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1歳からの情動マネジメント(ケジメ):よりよい自己イメージのために

1歳からの情動マネジメント(ケジメ):よりよい自己イメージのために

ホフマンは、共感能力は幼少期から自然に発達するものと見ている。すでに紹介したように、 たった一歳の子供でも他の子供が転んで泣きだすのを見て自分の心の中に痛みを感じる。相手の子供とのラポールが非常に強く直接的なため、その一歳児はまるで自分自身が痛みを感じている かのように親指を口に入れて母親のひざに顔をうずめる。一歳をすぎて自分と他人の区別がつく ようになると、幼児は自分のテディベアをさしだしたりして泣いている子を慰めようとする。

ハイハイが始まったら・・・

1歳になると自分で勝手に動きます。そして「わるさ」も「いたずら」もするようになるでしょう。「障子をやぶく」なんていうこともあるでしょう。「危険な場所にふらっといく」こともあるでしょう。子どもからすれば「だって行きたいんだし」「破りたいんだし」で終わるでしょう笑

ダメなものはダメ、できないものはできないことを「大人の頭」では理解できても、まだ子どもには理解できません。子供がわかるのは「あ、こうすると怒るんだ」ということくらいでしょう。

大切なのは、自分で勝手に動いて、何かに挑戦する、冒険する、そして怖くなる、不安になる、尻込みする、または怒る!という状況になったときに、大人が一緒になって情動をマネジメントすることです。相手がポジティブな状態を作り出して、大人に助けられた情動のマネジメントを子どもがプラスの感情として受け取られることが大切です。

「できないこと」だけど挑戦する。

やってみて「できなくて」嫌になっちゃうけど、助けてもらう経験を1歳から続けていくことで、2歳以降の【 共感 】能力が大いに発達していくことでしょう。

対人能力を発揮する前に、幼児はまず自分の情動をコントロールできる段階に達していなけれ ばならない。上手にはできないにしても、ともかく自分の中にある怒りや苦痛、衝動や興奮を静 めようと努力できる段階だ。他人の感情に波長を合わせるには、自分の内面が多少なりとも平静的 でなくてはならない。自分の感情を操縦する能力の芽ばえも、この同じ時期に認められる。幼児 は泣かずに待てるようになり、自分の主張を通すにもいきなり実力行使をせず相手を説得したり おだてたりといった手を使えるようになる(もちろん、いつもそうとは限らないが)。また、何 回かに一回はかんしゃくを起こさずに辛抱できるようになる。共感の徴候も、二歳までには見え はじめる。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.175)

情動は感染します。自分の情動をマネジメントすることを、1歳から、学ぶことができるのです。

大切な、「ダメ!」

情動の扱い方を学ぶ

ダメなものはダメ、という「気を引き締める」ケジメは子どもにとって大切な情動マネジメントの練習の場となります。

「自己」が現れ始め、自分の情動を自分でマネジメントすることを学んでいく段階です。

「ダメ」ということがある。「上手にイイことに自分の心を向かわせる」ことを学びます。

概念的自己が現れる一歳後半ごろになると、二次的情動の出現とともに、それまでとは異なる情動的コミュニケーションが発達して来ます。自己意識が強まれば、自分は何ができるのかを確かめようとして自分でやりたいという欲求が高まってきます。しかしそれは親の思いや行動とぶつかることになり、怒りなどの不快な情動を表出しながら抵抗・攻撃することが見られるようになるのです。また、情動経験を言語で表現するようになると、過去の情動経験を人との間でやりとりすることもできてきます。そうしたやりとりによって情動経験は整理されたり他人の情動経験と比較されたりして確として自己のものになるとおもわれます。(『よくわかる情動発達』p.49)

子どもに教える

子供たちが一歳前後の時点で、もうひとつ相違点が見えてきた。たとえば子供が誤って飲みこ むと危険なものを口に入れている場面で、過保護の母親は子供の行動を制限することについて指 示が手ぬるく率直でない傾向が強いのだ。過保護でない母親は、きっぱりと限界を設けて率直に命令し、子供の行動を阻止し、親の命令に服従させるケースが多かった

なぜ親の断固とした禁止が子供の恐怖心を克服させるのに役立つのだろうか。ケイガンは、赤 ん坊が面白そうなもの(親から見ると危険なもの)に這い寄っていこうとしているときに母親か ら「だめよ!」とストップをかけられることによって何か学習するのではないかと推測してい る。母親の制止を聞いた瞬間、赤ん坊は軽い不安情動に対処せざるをえなくなる。生後一年のあ いだにこういう場面を何百回となく経験することによって、赤ん坊は少しずつ人生の予期せぬ出 来事に直面するリハーサルを積んでいくことになるのだ。臆病な子供にとって、これはまさに克 服すべき課題であり、対応可能な範囲の不安は最適な練習台となる。赤ん坊が泣いたからといっ てすぐ駆けつけて抱きあげたりしない両親の愛情に見守られて不安に対処する練習を重ねるうち に、赤ん坊は自力で不安な場面を乗り切ることを学習していく。そして二歳になって再びケイガンの研究所を訪ねる頃には、臆病だった子供たちは見知らぬ人にしかめつらを見せられても腕に 血圧を測るための圧迫帯をはめられてもすぐには泣かなくなる。

ケイガンは、次のように結論している。「不安に過剰反応する子供のために良かれと思って挫 折や不安をすべて取り除いてやる母親は、逆に子供の不安感をひどくしていると思います」。言 いかえれば、過保護な親は臆病な子供から未知の状況に直面したとき自力で動揺を静める練習の 機会を奪い、恐怖心を少しずつ克服する機会を奪って逆効果をもたらすということだ。神経学的 レベルで見れば、臆病な子供たちの前頭前野の神経回路が恐怖に対処する情動学習の機会を奪わ れた、ということになるだろう。それどころか、恐怖への対処に失敗する経験をくりかえすこと によって、恐怖にとらわれる傾向がますます助長されるおそれさえある。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.338)

人間の両面性を学ぶ

生まれてからこのかた、あかちゃんにとってお母さんは「全面的な味方」のようです。

それが、自分が「自由」になったり「好きなこと」を手足を使って始めた途端、「あれ?」となるのです。

今まではそんな感情を持つようなこともなかったでしょう。脳が発達して、この「あれ?」の状況がわかるようになったのです。

「人間には両面性がある」ということを学び、それでも「大丈夫なんだ」と感じられるように。

じぶんの思い通りになる〈母親〉のときには甘える、じぶんの思い通りにはならない〈母親〉には癇癪や怒りを爆発させ、ときに攻撃的な行動を喚起することになる。しかし、その自律欲求に基づく行動によって母親を喪失する不安がもたらされ、子どもはふたたび母親への接近を試みるといった反復交替を繰り返すのである。母親との適切な心理距離がうまくとれないのである。それが、甘えと癇癪の爆発の間を交互に不安定に揺れる手に負えない2歳(terrible two)となって現象化してくるのである。(略)行為主体としての自己が、物理的ないし心理的に脅かされると、情動的な混乱に陥ってしまうのである。同一の母親が良いと悪いに分裂したまま、ときに癇癪を爆発させる。同じ対象へのそのような矛盾した対応は、同時に一貫した自己の表象が分裂するという危機的な状況をもたらす。たとえば同じ対象に向かって、あるときは「良い人である」と良い、別のときに「悪い人である」と言う〈じぶん〉を想像してみてほしい。そこでは、一貫性のない分裂した〈じぶん〉が擬似的に体験されるだろう。(略)2歳半ば頃には、このおうな最接近機の危機的なジレンマ状況から抜け出してくる。この頃になると、それまで分裂していたままの母親像が統合され、心のなかにしっかりと安定した一つの母親イメージとして内在化されてくる。それはポジティブ、ネガティブな両属性をもった、信頼に足る安定した母親の内的イメージである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.33)

お守り(心理的分離)

はいはいを始めたり歩き出したりすることを「探索」といったりします。

探索をするにも「臆病」「不安」だとなかなか世界が広がりません。

「大丈夫」だという心のお守りをこの時期からつくっていくことが、どうやら大切なようにおもいます。

この代理自我(母親)がいないと、自分だけでは空白であるから支えられなくなり、文字通りに必死で親(自分の代理自我)を探すといった、分離への不安を示すのである。しかし安定した恒常的な対象として母親表象が内在化されると、その母親表象を支えとしながら母親からの分離/個体化が始まる。母親が一時的に目の前から姿を消しても子どもはそれまでのように不安になることはなくなる。その表象による代用(母を思い出すこと)によって、ひとりで外に出かけたり、遊んだりすることができるようになってくる。それだけ母親からの心理的な分離が可能になってくるのである。じつはこの母子分離のなかで、母親とは異なる子ども独自な世界が芽生え〈子どもの心理的な誕生〉がなされるのである。(略)我を張るだけの特権的な主体としての意識(中心)をもつようになるのである。これが自我の芽生えといわれることである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.34)

感情や意図といった内的状態の理解が進むことと合間って、養育者がどのような意図で何をしようとしているのかを察し、養育者の行動をの予測を立てられるようになる。そして、自分が何かしようとするときにも、養育者の目標や計画に応じて、適宜自分の目標や行動を修正できるようんいなる(例えば、一緒に遊んで欲しいけれども母親が家事で手を離せないときに、家事がおわるまで待つなど)この頃にはまた、表象能力の発達によって、養育者のイメージを心の拠り所として利用できるようになる。そのため、養育者がどこにいて、いつ戻ってくるかがわかっていれば、あるいは本当に望むときには養育者は自分を護ってくれる、という確信をもてていれば、養育者がそばにいなくても比較的長い時間、安定した状態で過ごせるようになる。(『問いからはじめる発達心理学』p.58)。

3つの方法、どれがいい?

生後一四カ月を迎えたいたずら盛りの男児が、危ないことをしている。テーブルによじ登ろうとし ているのだが、テーブルの上ではランプがぐらぐら揺れている。 ここで、親はどう反応するか。いくつかのシナリオを描いてみよう。

1:はっきりと「だめ!」と言い、よじ登る遊びは外でやりなさい、と子供に教える。そして、子供を外に連れていき、木登りができる場所を見つけてやる。

2:ランプが落ちて割れる音が聞こえるまで、無視して放っておく。そのあと、壊れたランプを片づけ、静かな声で、二度とこういうことをするな、と言い渡す。そのあとは、子供にいっさい注意 を払わない。

3:怒りを込めた声で「だめ!」と叫ぶが、厳しく言いすぎた自分を反省し、子供を抱きしめてやる。でも、子供には失望したので、そのあとは放っておく。

右の例は、親子の行動観察の中で再々取りあげられるしつけのスタイルだ。右のシナリオを紹介し てくれたカリフォルニア大学ロサンゼルス校の児童精神科医ダニエル・シーゲルは、心理療法と児童 発達心理学の分野で非常に影響力のある学者だ。右のような親の反応によって、子供の社会的知性は それぞれ違った形で育っていく、と、シーゲルは主張する。

社会的知性が形成されるひとつの場面は、子供が腹の立つことや混乱することに直面して親の顔を 見たときだ。子供は親の口から出る言葉だけでなく、親の態度全体を見ている。そして、そういう場 面で何を感じどう反応すべきかを学習する。こうした機会に親が子供に向けて発するメッセージが み重なって、子供は自分自身に対する評価や周囲の人間とのつきあい方―――何を期待すべきか――を 身につけていく。

1のケース:安定型

たとえば、子供に「だめ!」と言ってから外で遊ぶように連れ出した親の例を考えてみよう。シー ゲルの同僚アラン・ショアーによると、この対応パターンは子供の眼窩前頭皮質に最も望ましい影響 を与え、眼窩前頭皮質による情動の「ブレーキ」を強化する効果があるという。この場合、男児は当 初の興奮が鎮まったあとで、自分の衝動をもっと望ましい形でコントロールする方法を学習できる。 親は、神経回路のブレーキをかけておいてから、より適切な形で興奮を継続する方法がある――テー ブルではなく木に登ることを教えたわけだ。

男児が学習することは、要するに、「ぼくは親から注意されることもあるけど、そこでやめてもっ といいことを見つければ、すべてうまくいく」ということだ。親が境界線を引いたうえで子供のエネルギーの適切なはけ口を見つけてやるというアプローチは、親子のあいだにしっかりとした愛着を築 くしつけ方の代表例だ。こういう子供は、たとえ自分がいけないことをしたときも、親からの情動チ ューニングを感じることができる。

「恐るべき二歳」と呼ばれる年齢になると、子供は親に対して「いやだ!」と反抗するようになる。 これは、脳の発達を示す重要な変化だ。この時期、子供の脳は衝動を抑制できる―説得に対して 「いやだ!」と言い張るようになる。この能力は、子供時代から十代にかけて向上する。類人猿 や乳幼児は、この点において大きく能力が劣る。理由は、類人猿も乳幼児も、衝動を抑制する眼窩前 頭皮質のニューロンが未発達だからだ。  子供時代を通じて、眼窩前頭皮質は徐々に成熟していく。神経の急成長期は五歳前後から始まり、学齢期にはこの回路がかなり機能し始める。急成長は七際ごろまで続き、自制能力が向上する。手に負えない幼稚園児の集団は、二年生になるとかなり落ち着きを見せはじめる。成長期の子供たちの 知的・社会的・情動的な発達過程は、それぞれをつかさどる脳の成熟と並行している。こうした成長 は、二十代半ばまで続く。

2のケース:回避型

うまく情動チューニングできない状態が続いた場合に子供の脳に何が起こるかは、親子が抱える問 題の性質によって違ってくる。子育ての欠陥とその結果として子供に表れる問題点については、ダニ エル・シーゲルが詳述している。 「たとえば、テーブルによじ登ろうとしている子供を放っておく親のケースを考えてみよう。このタ イプの親子関係においては、情動チューニングはほとんど見られず、親は子供に情動面でかかわろう としない。こういう場合、子供が親から共感的関心を得ようとしても、その欲求は満たされることがない。

心のつながる場面がないーしたがって、楽しみを共有する瞬間がない―親子関係の中では、 子供は肯定的情動を抱く能力が低いまま成長し、他者との関係を求めることが苦手な人間になるおそ れが大きい。このような「回避的」な親のもとでは、子供はびくびくと怯えやすい人間に育つ。大人 になっても、彼らは感情を外に出そうとしない。とくに、パートナーとのきずなを深めるのに必要な 感情を表現しようとしない。また、彼らは自分の感情を表現しようとしないだけでなく、情動的に親 密な関係を築くことも避けようとする。

3のケース:不安定型

テーブルによじ登ろうとした子供を見てまず怒り、次に後ろめたく感じ、そして子供に失望した親 は、シーゲルの表現を借りれば「両価的」だ。こういう親は、温かく愛情あふれる面を見せることも あるが、それよりも子供に対する不満と拒絶のシグナル――嫌悪や軽蔑の表情、視線を避ける、怒り や断絶を表わすボディ・ランゲージ―を送ることが多い。こうした親の態度に、子供はくりかえし 傷つき、屈辱を味わう。

こういう親に育てられた子供は、コントロール不能な情動に翻弄されやすい。衝動が抑制できずに 荒れ狂い、いつもトラブルを起こす典型的な「問題児」である。コントロール不能な行動に走ってし まうのは子供の脳が衝動にブレーキをかける能力(眼窩前頭皮質の役割)を身につけていないことが 原因ではないか、と、シーゲルは指摘している。 自分は大切に思われていない、何をやってもだめだ、という感覚を抱くと、子供は絶望してしまう―それでも、心のどこかで親に自分のほうを向いてほしいと願いつづける。こういう子供たちは、 自分のことをだめな人間だと思うようになってしまう。大人になっても、彼らの親しい人間関係には、愛情への切望とそれが満たされないのではという強い不安の両面が顔を出す。さらに、彼らは自分が 完全に無視され捨てられてしまうことへの非常に深い危惧を抱いている。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.266)

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