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【人間疎外社会】SQの発達が遅れる理由は命を弱める社会環境

【人間疎外社会】SQの発達が遅れる理由は命を弱める社会環境

SQ生きかたの知能指数

『SQ生きかたの知能指数』ダニエル・ゴールマン

心が擦り切れ命が弱まる社会

この記事のまとめ

「命」や「心」を大切にしていますか。

『SQ 魂の知能指数』ではダナー ゾーハー, イアン マーシャル が「精神の発育が遅れる原因」として次の3つを挙げています(p.223)

□ 自己のさまざまな面のうち、ある面をぜんぜん発達させていない

□ ある面だけを発達させて均衡がとれなくなっている、あるいはマイナスの方向や破壊的な方向に発達させている

□ さまざまな面が矛盾している、あるいは各面のあいだに関連性がない。

簡単に言うと、バランスがとれていない、ということです。

植物でも同じです。水がなければ、他の栄養分やら何やらがたくさんあっても、水の量に応じて成長量が決まってしまいます。「足りないもの」を補うことが成長に必要なのです。

命が叫んでいる、「痛い!」と言っている、「苦しい!」と言っている状態では、SQは育ちません。

アイルランドの医学コンサルタント、ドクター・マイケル・カーニーはこの種の苦しみを~魂の 痛み”と呼び、「自分自身のいちばん奥底の部分と切り離されたり、相容れなくなったりすると、 (この魂の痛みが)起きる。魂と結びついていると完全になり、自分は重要な人間だという感覚が 得られるのに対して、魂の痛みは分裂や疎外、自分は意味のない人間だという思いをあらわしている」と言っている。ダブリンのホスピスで末期患者に接しているカーニーは、魂の痛みは数々の肉 体的病気のルーツでもあり、肉体的病気から生じる痛みの原因でもあると論じている。 (『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.223)

本来自分がもっとも「強い」命の部分を育てられる環境に置かれていないときにも、同じように心は擦り切れます。「魚に生まれたのに、陸上生活をしている」ようなものです。

それでは心が擦り切れてしまいますね。

自分の「命」を燃やせないのですから。

引き裂く社会

誰が言ったか忘れたが、現代人ならだれもが少なくとも「神経症」か「分裂病」の傾向がある、と言った人がいる。そしてそれは多くの文学者、芸術家が表現してきた通りの事実ではないでしょうか。

自己が引き裂かれる、ということは、自己が他者と引き裂かれていることも意味します。コフートの考え方によれば、〈自己の充実〉は他者との繋がりによってしか得られないものです。

https://otonone.com/ura/kohut.html

わたしたちはたいてい、正常、なときのリチャードにちょっと似ている。ガラスの檻のような もので意味から隔てられているのだ。世の中を見るわたしたちは、台本をよく理解していない俳優 のようなものだ。わかりもせず、実感もしていない役柄を演じているだけなのだ。アルコール依存 症から立ち直った女性が、かつてこう説明してくれたことがあった。「アルコール依存症というの は真空のなかにいるようなもの、無のなかに、死んだ場所のなかにいるようなものなんです。自分 自身からも、周囲の他人からも、神からも切り離されているような気がしました」

 

カフカの小説に出てくる登場人物は、みなこういった特徴を持っている。きまりきった人生のなかで、夢遊病者となって社会という風景のなかを歩きまわり、世の中やできごとの意味をとること がまったくできない。そのさまはまるで悪夢のようだ。二十世紀の文学にはそういった表現がふん だんに出てくる。サルトルの〈嘔吐〉、〈疎外〉、〈自己欺瞞〉しかり、キェルケゴールの〈死に至る 病〉しかり、ハイデッガーの〈堕落〉しかり、カミュの〈異邦人〉しかり、マルクスの〈ブルジョ ワジーの誤った意識〉でさえがそうだ。どの言葉も、自己と他者との一種の断絶をあらわしている。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.227)

このような社会で「命」を大切にするためには?

創造的な関係、小さくても強い結びつきをもった人を〈事故を充実する他者〉として受け入れて行くことなのだと私はおもいます。

https://otonone.com/ura/creativity.html

引き裂かれた自己

分裂病は「バランスを取ろうとする」心の現象です。どうにもならずにアップアップになった「命」が生き残りをかけた、作戦といってもいいでしょう。

自己が引き裂かれるのは、たいてい、幼児期・学童期・思春期です。

リチャードは三十五歳で、過去十年間、ときどき精神分裂病になり、日常生活の雑事に対処する ことがほぼ不可能になっていた。病気のあいだは夢見がちになり、自分自身との会話に没頭して、 ほとんど眠らず、お金や持ち物を紛失したり人にやったりし、いかがわしい、ときには危険な仲間 とつき合い、とりとめのない、しかし深い意味のある連想を滔々とまくしたてるのだ。

 

幼いころの生活が、彼の感情の発達をひどくひずませた。母親に捨てられた彼は、労働者階級の 養父母に預けられ、その家庭が彼にあたえた知的刺激は、彼の高いIQにふさわしくないものだっ た。十四歳になるころには問題行動を起こすようになり、退学処分を受けた。そのあと実の父親や 新しい継母と暮らすようになり、そこでの環境は知的には豊かだったが、感情面ではまだ不適切だった。彼は書物や知的な問題に逃避した。輝かしい成績で大学を卒業した彼は、実社会に入るという難問に直面し、はじめて精神分裂病を 起こした。以来、ひとり暮らしをつづけ、つまらない仕事をし、友達はほとんどいない。

リチャードの話のなかで、わたしがいちばん興味深く思うのは、精神分裂状態にあるか否かによ って、彼の人格や能力に大きな差があることである。

健康なときの彼は、ドライで感情に流される ことはなく、抽象的で知的なことばかり話す。他人に対する洞察力はあるものの、冷淡で批判的だ。 人間的なところがほとんどないように見える。非常に魅力的な男性なのに、性的エネルギーを発散 することはなく、自分の肉体に属していないように見える。自分の気持ちについて語ることは絶対 にない。

一方、病気のときは、リチャードの高いIQはまるで役に立たない。病気が彼を、論理的、合理 的、実際的な思考から引き離してしまうのだ。だがほかの性格が一気に息を吹き返し、それととも にめざましいEQもよみがえる。彼は温かみとカリスマ性を発揮する。考えることはすべて深遠な 元型の層からの発想で、より広い意味に満ちあふれる。直観力は鋭くなり、彼は感情や弱さをさら けだす。そして性的エネルギーを発散し、自分の肉体のなかでくつろいでいるように見える。他人 とうまく折り合いがつき、オープンになり、相手の身になってものを考え、愛想がいい。

精神を、わたしたちの表面にあらわれる性格と、深い意味を持つ内面世界との経路であると考え るなら、リチャードの精神は壊れていると言える。英国の精神科医R・D・レイン流に言えば、リチャードは「引き裂かれた自己」である。傷つきやすい外側のエゴと、温かくて直観的な、深い意 味を持つ内面生活とに分裂しているのだ。そしてその内面生活には、病気を通じてしかアクセスで きない。彼は病気のときだけ自分の魂に触れていると言えるだろう。

リチャードの話は、正反対のふたつの精神病理、意味という問題を通じてわたしたちが病気にな る際のふたつの極端なケースを例証している。正常なときのリチャードは、精神の核にまったく触 れていない。生きている意味に触れることができないのだ。病気のときの彼は、精神の核にすっか り呑みこまれている。彼に必要なのはそのふたつを融合させることである。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.125)

人がいないと成長できない

昔、とはいつのことだろう。縁側があって、庭からお隣さんがはいってくるような時代だろうか。

道が子供達の遊び場だったころだろうか。

人の距離は、どんどん離れていく。

と思いながら、遠くの人とネットで繋がれるようにもなった。

新しい文化が生まれているなかで、共感する力は今までとは違った何かを媒介しているような気がする。たとえば「押しキャラ」を通じて共感し合う。「アイドル」で共感し合う。SNSでいいねを押し合い共感する。

もうこの社会は新しい文化を生み出している。共感はどうなるのか。人間関係は、これでいいのか。仕事はこれでいいのか。一人一人のSQが、社会の全体の流れを決めていくのでしょう。

プレストンとドゥ・ヴァールは、「今日のように電子メールを使い、自宅から職場へ通勤し、たび たび転居をくりかえし、町がベッドタウン化している時代には、他者の心情を自動的かつ正確に認識 する機会はますます少なくなる。これでは共感は不可能だ」と指摘している。現代においては、社会 的・実質的な距離のせいで人間の暮らしが異常になっている。しかし、わたしたちはこれが普通だと 思っている。距離が遠のけば、共感は薄れてしまう。共感がなければ、愛他主義は消えていく。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.100)

https://otonone.com/ura/creativity.html 

【自己疎外】人間として阻害される社会で自己が抑圧される

この記事のまとめ

自分の「命」を大切にしていますか?

他人の「命」を大切にしていますか?

古い昔の自分の台本に固執したり、他人の物語を生きている人がいます。

SQは「自立」の能力でもあります。他でもない「自分」がどうするのかという「主体性」にも関わります。

そしてSQは自己の全体性がとれていないとき、弱まり、他者の攻撃や精神的な病気となって現れてきます。

あなたの人生は、自分で作り上げたものですか?自分で「OK!」と、心から、歌えますか?お子さんはお子さん自信の心の物語を生きていますか?

お母さんはお母さんの自分の心の物語を生きていますか?

現代では、SQの発達の後れは、ごくありふれた形で起こる。育ちすぎたエゴの層が、中間層や 中心から切り離されているからだ。わたしたちは合理性を重んじすぎ、自意識過剰に陥りがちで、 計略をくわだてたり身構えたりする傾向が強すぎる。身体や肉体的エネルギーから切り離されすぎ、 夢や想像の深い源から切り離されすぎている。通常、これはEQの顕著な低下につながる。怒りや 恐怖、欲やねたみに流されてしまいかねない。わたしたちは不安定になり、他人との関わりのなか でバランスをとれなくなる。

そして同時に、SQとの接触も失うことになる。計略をくわだてたり身構えたりするのは、普通、 役柄を演じることにとらわれ、そのために自分自身の小さな一部でしか生きていないということである。自分のなかの六つの性格タイプをすべて少しずつ実現させる可能性があるというのに、たっ たひとつのタイプの台本に固執してしまうのだ。そのあげく、権力闘争ですっかり消耗してしまっ たり、因習に頼りすぎたり、細かなことにこだわりすぎたり、反抗に身をゆだねすぎたり、ということになる。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.230)

例えば「子どもが小さい頃にコンクールに出た」とか「自分はどこそこ大学をでた」とか「部活で優勝した」といった物語を、命の動きを無視して執拗に物語続けていたら、、、「命」の動きを阻害することになります。

また、親が「将来のために」子どもの声に耳を傾けず子どもの「命」をすり減らすこともよくあります。夢を押し付けたり、脅迫したり、恐れを植えつけたり。そうした行いは、犯罪です。今すぐやめましょう。ほとんどの人が、自覚すらできないのですが。

子どもの命を、どうか捨てないでください。

子どもの命を、どうか殺さないでください。

子どもの命を、どうか、守ってあげてください。

不健全な反応を引き起こすおもな要因は、自分自身の一部から疎外されることである。まるで喧嘩しているふたりの友人のようなものだ。実際、自分自身にたくさんの副次的な人格が含まれ ていることは、ほとんどのセラピストが認めているとおりである。フロイトもユングもこれを認め ている。

職場でも、親しい友人のあいだでも、社交的な集まりでも、何から何までまったくおなじ人間は ふたりといないし、おなじであっても意味がない。夢は、深層にひそむ数々の副次的な人格が流れ でたものである。健全な状態とは自分自身のすべての面とうまく折り合いをつけることで、そうな ればそれぞれの面が相争うこともなく、人は環境のもとめに応じてひとつの面からつぎの面へらく らくと移動していける。だが副次的な人格のいくつかが和解しがたい敵であることもある。それに いくつかがまったく見つからず、人格に”穴”があくこともある。そうなると、人格の成長と統合 はもっと難しくなる。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.235)

SQが低い人、SQが低い組織と関わるとSQが低くなる

SQが低い人は、「不健康」な生き方をしている人です。どこかで、自分自身や他者と「破壊的関係」を結んでいる場合があります。

破壊的関係とは、「ひとりひとり違った物語がある」とは理解せず、「他者」を大切にできない人と結ばれる関係です。

「命」を守るために、SQの低い人との付き合い方を見直すことは大切です。

因習的なタイプ

(秘書、会計士、事務員、コンピューターのオペレーター等)は、自分のグルー プとの一体感と、自分のグループからの離脱というふたつの健全な反応に分かれる。だがエゴが中 間層や中心という深層から分離していると、こういった反応は一方ではグループへの盲目的な忠誠心になりかねず、他方ではナルシスト的にグループへの興味を失うことになりかねない。前者の場 合の狂信と、後者の場合のナルシシズムは、ともにSQの低さをあらわす。

社交的なタイプ

(教師、セラピスト、カウンセラー、管理職等)は、他人に対する共感や愛情と、 なんらかの反感というふたつの反応に分かれる。両方ともしかるべき状況のなかではきわめて健全 である。だがエゴが自己の深層から分離していると、共感はマゾヒスティックな自己犠牲に変わり かねず、単純な反感はサディズムや病的な思いやりのなさに変わりかねない。依存や病的な思いや りのなさは、ともにSQの低さをあらわす。

学究的なタイプ

(知的専門職、学者、科学者、医師等)は、問題や状況を追究するか、反対に問 題や状況から逃避するか、健全な反応のうちのどちらかを経験する。だがもっと乱れた形になると、 問題の追究は強迫観念になりかねず、逃避はヒステリーや完全な抑圧、あるいは何かへの恐怖反応 になりかねない。強迫観念もヒステリー(または恐怖症)も、SQの低さをあらわす。言い換えれ ば、分裂した反応である。

芸術的なタイプ

(作家、詩人、音楽家、画家、インテリアデザイナー等)は、達成や創造を祝い、 喜ぶという反応と、目標を達成できないのを悲しむという反応のあいだで揺れ動く。だがこういっ た反応が自己の中間層や中心から引き離されると、祝う気持ちは躁病や見当違いな陶酔感、非現実 的に、ハイな感じ、あるいは偽の達成感になりかねない。他方、悲嘆は意気消沈になりかねず、 状況や人間関係やプロジェクトに喜びもよさも見いだせないのを大げさに嘆いたり、ときには悲劇的に感じたりしかねない。躁鬱病はこのような乱れた反応の裏表であり、創造的な人の罹患率が並 はずれて高い。これはSQの低さをあらわしている。患者は釣り合いのとれた、脈絡のある、した。 がって完全な状態を失ってしまうのだから。

現実的なタイプ

(ドライバー、パイロット、エンジニア、農業従事者等)は、通常、勝利という プラスの反応と、恥というマイナスの反応のあいだにおさまっている。だがこれらの反応が分裂す ると、勝利はわがままに変わりかねず、恥は自己嫌悪に後退しかねない。両方とも釣り合いのとれ たものの見かたや個人の統一性を損なう。そういう人はSQが低いのだ。

積極的なタイプ

(政治家、企業の重役、警察官、兵士等)は、責任を負い、自分の理想に忠実で、 リーダーシップをとるというポジティブな情緒面の反応を見せる。この反応がもっとネガティブに なると――しかしまだ健全な範囲内なら意気阻喪し、責任を放棄してしまうかもしれない。だ がこういった権力志向タイプのエゴが深層から分裂すると、リーダーとしてのプラスの資質がすべ て堕落し、大言壮語したり、権力を乱用することになりかねない。おなじように、責任の放棄は堕 落すると、不健全な妄想症や、他人に裏切られているという感覚になりかねない。

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