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【人間関係と板挟みの感情】6歳から思春期までの感情知性

【人間関係と板挟みの感情】6歳から思春期までの感情知性

“わたし”の発達―乳幼児が語る“わたし”の世界
“わたし”の発達―乳幼児が語る“わたし”の世界』岩田純一

この記事のまとめ

9歳の発達課題は、人間関係能力。

いまではいじめは小学校からはじまっている。中学校になるといじめの強さも規模も大きくなって取りざたされるようになるが、小学校の中学年で不穏な雰囲気ただよう学校の雰囲気が強まるようだ。どういうことか。いろいろなお母さんがいるから一概には言えないが、9歳頃になると内言が発達し、4人でグループ学習をしてもみんな対等に関わり合える、異質な人としてコミュニケーションができるようになる、というようなことを佐藤学が講演会で言っていた(経験則らしい)。

8歳・9歳になると、社会的な状況を考えるようになります。
「他人は自分のことをどう思っているのだろう?」「自分は周りからどのように見えているのだろうか?」と自分の評判を気にします。

「家族」よりも「仲間」からたくさんのことを学ぶ、喜びをもらうこの時期、「自己の発達」とともに「人間関係」が複雑になっていきます。

9歳の発達課題

9歳からの発達課題はなにか。「どうしたらこの世界で、うまくやっていけるのか」をみつけることだと、今僕はおもう。それは異質な他者との「人間関係」を学ぶことである。感情だけではなく、内面性、深い場所にある自己、他者にとっての他者にとっての自己を含めた複雑な人間関係の中でホンネとタテマエのバランスをとる生活、人間関係をデザインしていくこと。虚構の世界へ向かっていたファンタジーが、「わたしという一人の人間は一方でこうであり、他方でこうである」という同時にいくつもの面をもっていることを認識する。それは心地の良いものではないかもしれない。大人たちが、何を「よし」とするか。そして子ども自身が、何を「よし」とするかという対立構造も生まれるだろう。

ワタシと友達の間ではOKだけど、その友達にとってはNGなことがあったらどうするか。部活でみんなと一緒にいるのは楽しけど、たまにいじめがあっていやだ。とか。ワタシがどう考え、どう行動したらいいか。

じぶんが傷つかないように、自身の気持ちをごまかしたり、自己を偽る(自己欺瞞)といった複雑な人の感情過程の理解や、そのような自己欺瞞にともなう結果への自己責任性の認識は、小学校の半ば頃からみられ始めるようである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.210)

うれしいけどかなしい、といった2次感情が同時に生まれてくるのが何歳か忘れたが、それを基盤として今度は感情を超えて、「ひとりのわたし」の行為や振る舞いが多面化するのを手伝うことだ。日本の文化としては、オモテを闇に葬る、愚痴を言う、影でいじめをするという抑圧を子どもが学ぶ傾向がある(いまでは3歳からもう抑圧が始まっているようだが)。心の理論の二次、三次の能力もここで試される。自分から離れている関係の人に与えるワタシの行為、言葉の影響を考えることができる。考えてしまう。「われわれ」のなかに「われ」をどう位置づけるか。

この頃から、自他の相対的な能力や学業成績の評価が子供の間で相互に認識され始めてくる、このように他児との比較の中で自己の長所や短所・欠点が意識され、それに劣等感や恥ずかしさを覚えたり、自己の優れているところを知って満足したりするようになる。そこでは、仲間や教師の目が、子供が自己認識の客観性や妥当性をたえずチェックしていく鏡のような役割を果たすのである。その意味で、子供にとっては教師や仲間からの評価や批判が自己のアイデンティティをもっとも脅かすものとなってくる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.195)

〈われわれ〉と〈わたし〉

他者が拡大し、「みんな」にどう見られるかが気になる。ある意味で「自己の危機」せまる9歳の姿がみえる。

他人のふりをする

5歳児では母親や友だちが泥はねをかけたことに対して、決まりが悪いといった困惑、後ろめたさ、恥ずかしさといった社会的な情動に言及するものは見られず、8歳児になると約半数ほど出現し、11歳児には3分の2以上を閉めるようになる。周りで見ている人びとは母親(仲間)をどのように思っているかの質問には、5歳児では”知らない”や無反応がまだ65%もみられるが、8歳児ではそのような反応はほとんどみられrなくなり、「お母さんを愚かだとおモゥている」といったタイプの反応が半数くらいを占めるようになる。11歳頃には、そのような反応が増加するだけでなく、そこに一緒にいるじぶんが周りからは無関係なものとしてみられているという反応がそれまでの約半数から30%に減少し、逆に「われわれを困った人たちだと思っている」といった、一蓮托生に非難の目で見られているといった感じ方をするものが半数くらいになってくる。(略)

これらをみると、じぶんが犯した失態やミスではないものの、その当事者と一緒にいるじぶんもきまりのわるさや恥ずかしさ、うしろめたさを感じ、また周りの人からも同じ穴のムジナとしてみられているという認識を持つようになってくるのである。小学校の半ばを過ぎた頃から、このような拡張された自己同一性(extended identity)を感じるようであり、身内の者として何らかの共同責任を感じたり、恥ずかしさを覚えるといった感情を持ち始めるようになるのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.212)

猫をかぶる

小学校も半ば頃から、自己が仲間からいかにまなざされているのかが重要な関心ごとになり、いかに仲間へ自己を提示するかということがそれまで以上に意識されてくる。仲間からじぶんがよく思われたい、よく見られたいといった、仲間の目(評価)を意識した自己の提示が見られるようになってくるのである。したがってこの頃は、自己提示の仕方にも変化が見られるようになる。

小学校の低学年では、自己をストレートに提示することがまだ一般的である。たとえば授業で教師が、子供たちに皆にわかるような問いをしても、競い合って「ハイハイ」と挙手するのは低学年である。しかし、小学校の半ばあたりから少し様子が違ってくる。子どもによっては答えがわかっても手を上げなくなり、とくに高学年にもなるとそれがより明らかにみられるようになる。

それはこの頃、うれしそうに手を挙げることは、むしろ仲間からうれしがりと思われ、自己評価を下げると考えられるようになってくるからである。そのことを意識して、仲間の前では屈託した自己提示を行うようになってくるのである。仲間より成績が良くても、あえて”じぶんはダメです、あまりたいしてことがないです”といった言動を取る方が、逆に謙遜の美徳として評価され、良い子ぶることが軽蔑の対象とさえ感じ始めるようになるのもこの頃からである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.214)

自己卑下する

性格評価の認知では、すでに小学2年生から自己卑下提示者の方が、自己高揚提示者よりも高い評価を受け、その差は高学年になるほど増加している。能力評価の認知では、小学2年生では自己高揚提示者が卑下提示者よりも高い評価を受けるが、小学校の3年生を境に逆転し5年生では自己卑下提示者の方が高い評価を受けた。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.215)

自己卑下的な提示は小学3年生からもみられる。しかし、自己卑下的な提示はとくに小学校5、6年生でその割合が増加してくる。その理由づけは、学年を通して「恥ずかしいから、自信がない、もっとうまい人がいるから、ほかの人もじょうずだから」といった理由が多いが、「じまんしていると思われたくないから、みんなにじまんしたくないから」といった屈折した謙遜による説明は5、6年生になると出現してくる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.217)

幼児のうちは自分を肯定的に見る傾向が強く、自己を正確にとらえているとは言い難い。しかし、学業や運動の面で教師による公的な評価が行われ、子ども同士がさまざまなスキルや能力を比較する機会が多くなる児童期には、認知面の発達とも相まって、自己の肯定的な面に加え、否定的な面にも気づくようになっていく。自己概念は年齢と共に分化するが、自己の様々な側面をある程度客観的にとらえ、かつ、それらを結合して自己を捉えられるようになるには、青年期まで待たなければならない。(『問いからはじめる発達心理学』p.92)

公的虚構嘘:ばっかりの世の中にうんざりする9歳?

サンタクロースが実在することは、当初、子どもたちにとって疑うべくもありません。それは犬という動物が実在するかどうかを疑うようなものであり、実在することがごく当たり前のことなのです。それが疑いの目にさらされ、ついには「実在しない(リアルでない)」という認識に取って代わられるのは、多くの場合9歳前後のことです。端的には、それまで関連して伝えられてきた情報のすべてが、実は人間の手によってつくられたもの、つまり虚構であることに気づくからだと言えるでしょう。こうした公的虚構はサンタクロース以外にももちろん数多く存在しますが、それらは広く伝達されている情報や証拠の質や量の違いによって、さらに「歴史・文化的」「物語的」「宗教的」「大衆娯楽的」「都市伝説的」という5つの下位カテゴリーに分類することができます。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.177)

6歳からの板挟みの感情(2つの感情の同時処理)

6から7歳は、2つの入り混じった情動(怖いけどうれしい、嬉しくて誇らしい、嬉しいけど悲しい)という経験を思い出せる。(『情動発達』p111)

それを自覚的に「感じる」「言葉にする」ことができうのが、9歳、10歳という年齢になります。

この時期は、不安、ためらい、心配、寂しい、虚しい、いろいろな感情に襲われる、第二次ウハウハ期です。

また、7から10歳は「より深く人間を感じられる」年齢ということです。

6歳からの発達の課題は、「深める」ことのようです。

自己と他者は異なった歴史やアイデンティティをもち、現在の状況のみならず人生経験に対しても喜びや苦しみを感じることを理解して共感する。他者の一時的な苦痛だけではなく、慢性的な悲しみや不快な生活を想像して、共感的に反応する。(『よくわかる情動発達』p115)

7歳は手根骨が成人と同じ7個になり、スポーツや音楽が本格的にできる年齢といわれています。

「演習」「応用」の時期、といえるでしょうか。

相反する感情につきあう

ある研究では、6歳児に「ジーンは、明日、友だちとお母さんと動物園に行く予定になっていたが、友だちが急病でいけなくなった。ジーンはお母さんと二人で行くことになった。」といった話を聞かせ、「ジーンは嬉しい気持ちと悲しい気持ちが両立しているの。どうしてかな」と質問をしている。このように、あらかじめ相反する感情が生じたことを述べておくと、この頃にはその理由を適切に述べられるようである。しかしながら、そのような入り混じった相反感情が自覚的に捉えられるのは、やはり小学生の半ば頃を待たねばならないようである。(略)課題としては、「おばあちゃんが来てくれてうれしかったけど、お土産を持ってこなかったので腹が立った」「知らない人からキャンディーをさしだされ、欲しかったけどもらってよいかどうか困った」のように、同じ頃柄に相反する感情が生じる状況を叙述することが最も難しかった。しかし、これも10歳頃ころから相反する感情の共起を分析的、対照的に捉え言及することが可能になってくるようである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.205)

向こうから犬がやって来た時、ある人は喜ぶが別の人は怖がる。犬の好き嫌いによって、同じ犬に対して両義的な感情が生じうるのである。グネップらは、人によって両義的な感情が生じうると思われるような場面で、(登場人物が)どのような感情であるのか、もっと別な風に感じていると思うかどうかとか、さらにそれ以外の感情を持っているかもしれないと思うかどうかといった質問を行い、その感情を表情図から選ばせている。このような両義的な場面において、小学校1年生では、まだ2つの違った感情が生起する可能性を指摘することは少ない。しかし小学校3年生から6年生にかけて大部分の子どもが表情図から2つの感情を選択するようになり、両義的と思われるような場面では、人によってはまったく正反対の感情が生じうることが概念的な水準において理解されてくるのである。

このようにみると、小学校の半ば頃から、人の内に生じる感情状態の機微や、その過程を分析的・概念的に折り返して捉えられるようになってくるのがみられるこのような変化は、他者とは違う自分の気持ちを他者の前では制御する能力の発達を伴う。平林らは、「自分がかけっこで1等になってうれしいが友だちがビリになった」「いつも補欠であった運動会のリレー代表になりとてもうれしいが、それはクラスで1番早い友達がケガをしたから」といった場面で、その主人公がもしじぶんであったならホントの気持ち(うれしさ)の表出を、「隠そうとする、少し隠そうとする、あまり隠そうとしない、隠さない」の4件法で答えさせている。それによると、友だちの悔しい、残念な気持ちを配慮してじぶんのうれしい感情の表出を制御することは小学3年生から5年生にかけて優位に増加してくる。それは、じぶんの感情表出の仕方がルール的知識としてメタ化されてくることを示しているといっても良いだろう。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.207)

ルーレンコは、4、6、8歳児に「ある子供は1つしかないブランコにのりたいけれど別の子どもがのっているので、その子を押しのけて(押された子どもは地面んいころがり)自分がブランコに乗ることができた」「ある子どもは他の子どもがもっているキャンディーが欲しかった。そこでその子のキャンディーをまんまと盗んだ」といった2つの話を場面図版とともに語りきかせ、その行為者と被害者に関して、どんな気持ちだと思うか、どんなことを感じているか、といった質問やその理由づけが求められた。

その結果、いずれの年齢においても社会的には好ましくない動機や欲求でも、それがうまく達成された時、その行為者は〈うれしい、よかった〉と判断する。しかしながら、それとは別の感情も感じているかどうかを問いただすと、8歳児でその効果が現れ始め、半数ほどが「悪い、悲しい」「うれしいけど悲しい」といった道徳的な感情の意識化が促され、その理由づけに「してはいけないことをしたので」「人のものをとることは悪いから良くないと感じている」「被害者の損失や苦痛に言及しながらよくないと感じている」といった道徳的な感情への言及が見られるようになる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.208)

シルヴァスタインの「与える木」という絵本を読んだ感想文

「りんごの木は少年のために枝やりんごの実や幹まであげるなんて、すごいなぼくだったら、少年おためにあんなことまどしてあげられないだろうなほんとうに幸せだったのかな。よほど、少年が好きだったんだろうな。でもちいさいときの少年みたいに遊んでもらえなかったのが、かわいそうだった。最後は自分の近くに居てくれたので、うれしかっただろうな。りんごの木さんは、自分がどうなっても少年が幸せだったらいいのかな。」小4(p.136)

これをみると、まず澪の語りの中で「りんごの木」について述べられている内容を正確に把握し、さらにそれを基にして、活発に認識したり想像したりしていることがわかる。この認識の内容を、前述の「りんごの木は かわいそう」という情緒的認識の場合に比べると、次のような点で違う。それは、「りんごの木」の捉え方が多面的になっていることだ。「かわいそう」な面だけでなく、「すごい」面もとらえている。また物語では語られて居ない「りんごの木」の気持ちにまで目を受け推量している。(『子どもとファンタジー-絵本による子どもの「自己」の発見-』守屋慶子 p.136)

12歳の人間関係能力:感情知性を思春期で使う

SQ生きかたの知能指数

『SQ生きかたの知能指数』ダニエル・ゴールマン

EQ こころの知能指数

『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン

 

この記事のまとめ

EQは「情動を利用するチカラ」です。

子供時代も終盤に近づくと、目の前の状況を超えたところに存在する苦悩が理解できるように なり、また、ある人がいつもうつうつとしているのはその人が置かれた状況や地位が原因かもしれないということも理解できるようになり、最もレベルの高い共感能力が出てくる。この時期になると、貧しい人々、抑圧された人々、社会から見捨てられた人々など集団としての苦境にも共感できるようになる。思春期におけるこのような理解は、社会から不幸や不正をなくしたいとい う倫理的信念を支える力になる。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.168)

 

もうすぐ体育の授業が始まる。一二歳の少年三人がサッカー場に向かって歩いている。三人のうち 二人は運動が得意そうなタイプで、少し前を行くぽっちゃりした体形のクラスメートを見てクスクス 笑っていた。

「ふーん、おまえもサッカーをやるつもり?」と、二人組の片方がいかにもバカにした口調で太めの 少年に話しかけた。 この年ごろの少年たちならば、けんかになってもおかしくない挑発だ。 太めの少年は、これから起こる事態に備えるかのように一瞬目を閉じ、深呼吸をした。 少年は後ろの二人に向き直り、冷静な口調で答えた。「そう、やるつもりだよ――でも、あまりう まくないけど」

少し間を置いて、少年は続けた。「絵ならうまいんだけどな――何でもリクエストしてよ、すごく うまく描いてあげるから……」 それから、少年は二人を指さして言った。「きみたちは―きみたちは、サッカーうまいよね。すごいと思うよ! ぼくもそんなふうになりたいけど、ちょっと無理。でも、がんばれば、少しはうま くなるかな」

それを聞いた二人組の一人は、それまでの軽口調をすっかり忘れたように、「ま、それほどヘタ でもないさ。うまくなるコツを教えてやるよ」と、好意的な口調で答えた。

この短いやりとりは、まさに社会的知性のお手本だ。けんかに発展しかねない場面を、一転して友 情が生まれそうな場面に変えてしまった。画家志望の少年は、負けなかった―手荒い中学生の世界 で負けなかっただけでなく、目に見えない脳と脳との綱引きにも負けなかった。

画家志望の少年は、冷静さを保つことによって相手の挑発に乗らず、反対に相手の少年を自分の友 好的な気分に引きこんだ。相手とのあいだにある空気を敵対的なものから前向きなものに変えた、最 高レベルの社会的知性だ。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.130)

人間関係をよりよくするための共感能力と感情知性

 

この記事のまとめ

EQは「心を助けるチカラ」です。

ある町のレストランに、客のだれからも好かれているウエイトレスがいる。客の気分やペースに波 長を合わせるすばらしい才能をもっているのだ。 店の薄暗い片隅で酒をちびちびやるのが好きな気難しい男に対しては、静かに控えめに接客する。 職場仲間でランチにやってきてにぎやかな笑い声を上げる一団に対しては、愛想よく社交的に接客す る。片時もじっとしていない子供二人に手を焼いている若い母親が来店すると、さっとテーブルに近 づいていっておもしろい顔をして見せたりジョークを言ったりして子供たちを手なずけてしまう。当然、このウェイトレスはだれよりも多くのチップを稼いでいた。 相手の波長を読みとる才能に秀でたウエイトレスの例は、同調が人間関係にプラスに働くことを示 している。二人のあいだで動きや癖が無意識に同調する度合いが高ければ高いほど、相手の人物や共 有した時間に対してプラスの評価が大きくなる。 (『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.52)

共感能力と感情知性:励ます

ただ手を握る、眼差しを向ける、というだけでも、誰かの心を刺させることができます。

正面衝突で、車は大破した。運転していた女性は右足の骨が二本折れ、車体にからだをはさまれて、 痛みとショックにさいなまれながら、なすすべもなく混乱していた。 そのとき、通りがかりの男性名前を聞きそびれた――が近づいてきて、傍らにひざまずいた。 男性は彼女の手を握り、救急隊員が救出の努力を続けるあいだ、彼女を励ましつづけた。痛みと不安はあったものの、男性のおかげで彼女は冷静さを保つことができた。 「あの人は、わたしにとってこの世に降りてきた天使でした」と、のちに彼女は語っている。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.92)

共感能力と感情知性:相手の怒りを鎮める。

怒りは、強烈なものだ。

自分を圧倒し、他人も圧倒してしまう。

怒りを受けた人は、逃げたくなるし、びびって竦んでしまうかもしれない。

怒りを受けても、自分が平然としていること。ビビらずに、、、という基本ができていなかったら、「立ち会う」ことはできない。

このような高等技術で他人の情動をうまく導いた例を、私の親友だった故テリー・ドブソンか ら聞いたことがある。ドブソンは、一九五〇年代に日本へ渡って初めて合気道を学んだアメリカ 人のひとりだった。ある日の午後、ドブソンが電車で東京郊外の家に帰る途中、からだが大きく て、けんか早そうで、ベロベロに酔っぱらった汚い男が乗りこんできた。千鳥足の男は、周囲の 乗客を威嚇しはじめた。大声で悪態をつきながら、男は赤ん坊を抱いた婦人をぶん殴った。婦人 はよろけて、近くにすわっていた老夫婦の上に倒れかかった。老夫婦はとび上がるように席を立 ち、先を争って車輛の端へ逃げる乗客の群れに加わった。酔っぱらいは何度かこぶしを振り回し たあと(カッカしているので、狙った相手に当たらない)、車輛の中央に立っている金属の握り 棒をつかみ、大声でわめきながら棒を揺すってはずそうとしはじめた。

毎日八時間も合気道の練習をこなして体調万全だったテリーは、「誰かがひどいけがをする前 に自分が出ていってあの男を止めなければ」と思った。しかしその時、合気道の先生の声が脳裏 によみがえった。「合気道は和をめざす。争う心を抱いた者は、その時点で天地とのつながりを断ったことになる。人を威圧せんとする者は、すでに敗れたに等しい。合気道とは、争いを収め る道。争いを起こす道ではない」。

事実、合気道を始めるとき、テリーは決して人にけんかを売らないことと、護身以外の目的で 武術を使わないことを約束した。しかし電車内の状況を見て、テリーは今こそ合気道の腕を現実 に試すときが来たと思った。そこで、乗客全員が凍りついたようにすわっている車内で、テリー はわざとゆっくり立ち上がった。

テリーに気づいた酔っぱらいは「なに、外人じゃねえか。きさま、日本の礼儀作法を教えてや る!」と大声をあげ、テリーにむかって身構えた。 しかし酔っぱらいがとびかかろうとした瞬間、「よう!」と場ちがいに陽気な声が車内に響いた。

まるで突然親しい友だちに出くわしたような上機嫌の声だった。不意をつかれて酔っぱらいが ふりかえると、七十代とおぼしき和服の小柄な日本人がすわっている。老人は酔っぱらいにむか って嬉しそうにほほえみかけ、快活な調子で「こっちへおいでなさい」と手招きした。

酔っぱらいは「ばかやろう、お前と話すことなんかあるもんか」と、けんか腰で近寄っていっ た。テリーは、酔っぱらいが少しでも乱暴な真似をしたら殴り倒してやろうと身構えていた。 「おまえさん、何を飲んできたんだい?」 老人は酔っぱらいを見つめて尋ねた。 「酒だよ。てめえに関係あるか、ってんだ」 「酒か。いいねえ。そりゃあ、いい……」。老人は温かい口調で応じた。「いや、じつは私も酒に は目がないほうでね。毎晩うちのバアさんとふたりでーバアさんは七十六になるんだがね、ちょいと燗をつけて庭で一杯やるんだよ。縁台に腰をかけてね……」。家の裏手にある柿の木の こと、庭の草木のこと、晩酌のこと――老人は話しつづけた。

老人の話に耳を傾けるうちに、酔っぱらいの表情がやわらいできた。握りしめていた両のこぶ しから力が抜けていく。「ああ。柿はオレも好きだ……」。酔っぱらいの声が消え入るように小さ くなった。 「そう」。老人の声は元気だ。「お前さんにもよく出来た奥さんがおいでだろう?」 「それが死んじまってよ……」。泣きだした酔っぱらいは、悲しい身の上話を始めた。妻をなく し、家をなくした。仕事もなくした。自分で自分が情けない、と。

ちょうどそこで、電車はテリーが降りる駅に着いた。電車から降りるとき、背後で「ここへ来 て、お前さんのつもる話を聞かせてもらおうじゃないか」という老人の声がした。ふりかえる ~ と、酔っぱらいが電車のシートに長々と寝そべっていた。老人の膝に頭を乗せて。 EQが輝いた場面だ。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.194)

このような立ち振る舞いができるのは、日本人の老人が「第三者」だったからかもしれない。例えば酔っ払いを「怒らせた」人が、「怒りを鎮める」というのはもっと別のやり方が必要なのかもしれない。

ただどちらにしても、相手の怒りに乗らずに、自分は自分で情動をマネジメントすること、そして怒りに覆われた人間の心に語りかけることなのだろう。

家に帰って不機嫌な家族と向き合う心構え、なのかもしれない。不機嫌な上司と、「今晩、いっぱいどうですか?」と声をかけるのも、いいのかもしれない。

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