【遺伝子によいインパクトを与える人生】遺伝子を理解して仲良く生きる。
この記事のまとめ
遺伝子によいインパクトを与える人生を送る。
『 パーソナリティを科学する―特性5因子であなたがわかる』ダニエル ネトル
『遺伝子は、変えられる。』
遺伝子によいインパクトを与える人生を送る。
遺伝子によいインパクトを与える人生を送る。
とある本で出会った、私が気に入った言葉です。
遺伝子は「傾向」をつくるもので、変わりにくい傾向もあれば変えやすい傾向もあります。「変えたい」自分の姿を変えるには、遺伝子によってひとりひとりアプローチが違うことを理解してください。
絵本で有名な西野さんは動画で「学年ビリだったけど、塾に通って自分が授業をする立場になったら勉強がうまくいった。学年でトップになった」と話しています。人によっては「プレッシャー」を感じてしまい萎縮してしまうかもしれません。西野さんだからこそできたアプローチです。
教育とは、一方的なものではなく、このように一人一人の傾向に合わせて創造的に「その子の」無限の可能性を引き出すものだと僕はおもっています。
ダイエットと遺伝子と勉強
わかりやすい例を出します。ダイエットの広告は「痩せる!」「痩せた!」イメージを出して消費者を誘っています。イメージが本当かどうかも怪しいのですが、人によって効果的なダイエットの仕方が違えば、そもそもダイエットをしたら健康的でなくなるような遺伝子をもっている人もいます。
勉強も同じで、何ができるのか、(限られた時間という条件つきで)どこまでが限界なのかを見極めて、無理なストレスを子どもに与えないことが大切だとおもいます。
「医学部!医学部!」と口にする子がいます。それならちゃんと今の自分の状態をみつめて作戦を練らなくてはいけないのですが。周囲からプレッシャーというストレスを受けてしまい、脳が現実を把握できなくなっている子どももいます。
ある遺伝学の研究者グループが、10週間にわたってたるみと戦う夏合宿に参加するスペインの10 代の若者200人を追跡調査することにした。そして発見したのは、参加者が夏合宿で経験したこ とを逆行分析し、彼らのゲノムの5か所ほどの場所にあるメチル化のパターン(遺伝子がオンやオ フになっている状態)を調べることができれば、合宿がまだ始まっていない時点でも、どの子がもっ とも体重を落とすことになるかが予測できるということだった。ある子は夏合宿で痩せやすい身体 をエピジェネティック的に備えていたのにひきかえ、カウンセラーによるダイエットの指示をいく ら厳守しても、痩せられないと予測された子もいた。
ぼくらは今、こうした研究で得た知識を、自分特有のエピジェネティックな構造に生かす方法を 学びつつある。10代の若者たちのメチル化の標識が教えてくれるのは、痩せること、そしてそれ以 外の多くのことにおいて、自分独特のエピゲノム「ゲノムに施された塩基配列以外の情報」を知ることが、リバースエンジニアリングいかに大切かということだ。スペインの夏合宿の参加者から学べば、自分のエピゲノムを掘り起こ して、最適な減量戦略に必要な情報を集めることができるだろう。人によっては、自分には効果が 出ないことが運命づけられている減量合宿の法外な料金を節約する手段になるかもしれない。
けれども、エピゲノムは不活発なものではまったくない。それは、遺伝によって受け継いだDN Aとともに、その人が自らの遺伝子に対して行っていることの影響を受ける。
近年、メチル化のようなエピジェネティックな改変は、驚くほど簡単に起こることが、急速にわ かってきた。
また、遺伝学者はメチル化した遺伝子を研究する複数の方法だけでなく、それをリプログラミン グする方法、つまり、遺伝子をオンやオフにしたり、発現量を増やしたり減らしたりする方法の開 発に成功している。(『遺伝子は、変えられる。――あなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実』)
遺伝子と付き合う心の構え
遺伝的に無理!なこともあります。
例えばアルコールの分解速度、太りやすさといったものは遺伝子の影響を大きく受けます。特定の病気にかかりやすい、ある種の障害をもって生まれる遺伝子、というものもあります。
このデータは「データの取り方」で変わりうるものであり、数値は大まかに考えた方がいいでしょう。黒い部分が遺伝子の影響の割合です。「低いか」「高いか」でみれば、音楽や数学、スポーツの才能(どのように計測しているかはわかりません)や統合失調症、自閉症といった症状が現れるかどうかは「環境の影響を受けにくい」という結果になっています。
では、遺伝子の「強い影響」をどう受け止めたらいいでしょうか。
本当の教育とは?
教育とは、遺伝的な優劣を互いに補い合って一人では学べない、達成できないことを可能にすること。一人一人の方略として、他者の遺伝子を利用すること。(人は互恵的利他性をもつ)
教育とは、自分の遺伝的条件がいつ、どのような環境でどのように有効に働き、他者を助け、自己を充実させるのか、気づいていくこと。(誰と自分の命を咲き誇るか)
ひとりひとりがバラバラで別々の人間であって、その違いが「よい」ものをつくる経験が、大人も子供も、少ない気がする。僕自身が、バラバラだ。
社会の中を泳ぎ回って、勉強をしなおしている。
「自己認識」ができれば、登れない山にも昇ることができる
この記事のまとめ
遺伝的に弱くても、「命」の強ささえあれば山に登れる。
高山病、という言葉がある。高い山に登って空気が薄くなると体がうまく動かない、頭が痛くなる、というものだ。これも遺伝的に強い、弱いが決まっている。
シェルパ、と呼ばれる人たちがいる。登山者の荷物を運んだり、道案内したりする低酸素状態で暮らす人たちだ。
『遺伝子は、変えられる。ーあなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実』で著者のシャロン・モアレムは富士山に登った時のことを次のように回想しています。遺伝的に山に適したシェルパでなくても、山に登れるのです。
富士山の山頂には、コカ・コーラの自販機がある。 日本で一番高い山の頂に立ったときの記憶としてぼくが思い出せるのは、その程度のことでしかない。とはいえ、そこに至るまでのことは、残念ながら鮮明に覚えている。日出ずる国の登山は未明か ら始まった。たいていの人は6時間ほどで山頂に達する。そして夜歩く人は(山頂で日の出を待つ時間 がたっぷりとれると思ってぼくもそうした)、それ以上の十分な時間的余裕を持って出かけるように勧められる。
けれども当時、ぼくは若く健康で自信たっぷりだったから、後に続く人々をあの巨大な美しい山 の火山性のちりの中に残して、ひとり斜面を駆け登れると思っていた。計画では、途中の混雑する 山小屋のひとつで温かい「ウドン・ヌードル」をすすり、できたらちょっと仮眠をとって、さらに 頂上を目指し、美しい日の出の記憶を誇らしげに脳裏に刻み込む予定だった。 いやはや、何という妄想だったことか。 予定していた休憩場所にたどり着くのは、全体から見れば、さほど難しい部分ではなかった。そ れでもそこまでの道のりは、思っていたより時間がかかってしまった。
標高が上がるたびに、ぼく の歩みは遅くなっていた。脚は疲れていなかったが、頭が疲れていた。前日の晩はたっぷり8時間 寝ていたのに。ぼくは自分に言い聞かせた。たぶん興奮して眠りが浅かったんだろう、前からずっと楽しみにしていた富士登山に、ついに出かけられることになったんだから、と。 そう、ぼくはそう思った。そうに違いないと。 それでも、頂上には夜が明ける前に着こうと決心していた。予定していた「イネムリ」(日本人は、 パワーナップのことをそう言う)は飛ばして、「ウドン」をすすり、水筒に温かい緑茶を詰めて、山道を進んだ。
だがそのとき、まるで空手の達人みたいに、山が反撃に転じたのだった。荒々しく。 それ以降の登りは、ほとんど雨とみぞれと、そして雹との闘いだった。だが、天候はまだましな ほうの敵だったのである―――ちょっとましなだけだったが。
ぼくの頭はズキズキしていた。吐き気とめまいもしていた。世界がグルグル回っているように思 えた。今まで経験した中で最悪の二日酔いを想像してみてほしい。だが、それよりもっと悪かった ぼくは登山道のわきで前かがみになってそれ以上前に進めず、どうしたらよいかと途方に暮れていた。
頭は働くことを完全に拒否していた。 そのときだった。高齢の日本女性がぼくを救いに現れたのは。彼女とは数時間前に、ふもとで出 会っていた。ぶかぶかの悪天候用の雨具を着ようとしていた彼女が、身体を支えてくれと、ぼくに 頼んできたのである。そのとき、股関節と左ひざを誇らしげに指さし、最近ステンレスとチタニウ ムの人工関節インプラントを入れて関節を「アップグレード」した事実をぼくに教えようとした。 それを知っていたから、山は半分も登れないだろうと、ぼくは確信していた。実のところ、正直に言うと、悪天候と登山の難しさから、ぼくは彼女のことが少なからず気がかりだったのだ。 にもかかわらず、2本のつえに頼ってゆっくりと足を運んできた38歳になろうとする女性に助け られたのは、ぼくのほうだった。彼女は足を止めてぼくのリュックサックを持つと、手をとってぼ くを立ち上がらせた。
それ以上屈辱的なことはないだろう、とそのときは思っていた。だがそれも誤りだった。ぼく自 身、そして周囲にいた人がうろたえたことに、ぼくは直に学んだのだった。人間はどれほどガスを 生成できるかということを。
そう、ぼくは放屁しながら富士山に登ったのである。 「低圧低酸素環境」については聞いたことがあった。気圧が低くなるのが原因で酸素の量が減った 状態だ。だが、あの晩までは実際に経験したことはなかったし、ぼくの頭は、腹部膨満、めまい、 混乱、疲労がみな高山病の一部であると理解できるような状態にはなかった。
だが、なぜこれはぼくだけに起きて、ぼくの親切な高齢の登山仲間には起きなかったのだろう? なぜ彼女はおしゃべりをしながら、自分のものに加えてぼくの荷物まで持ち、ときどき振り返って は、ぼくが必死で追いつくのを励ますために、歯を見せてにっこり微笑むようなことができたのか?
それは、こういうことだった。ぼくは遺伝的に、大部分の人よりもちょっと高山病にかかりやす いらしい。ぼくが遺伝によって受け継いだ形質は、富士登山を助けるどころか、重荷となってしま ったのだ。 もう少しシェルパっぽかったらよかったのに。
(『遺伝子は、変えられる。:ーあなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実』シャロン・モアレム p.198)
山登りに不適な遺伝子?
『遺伝子は、変えられる。―あなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実』の著者であるシャロン・モアレムは富士山に登った時に、えらく苦労したそうです。途中で追い抜いたおばあちゃんに、最後は逆に励まされて、頂上まで登った。ボロボロで・・・
「低圧低酸素環境」については聞いたことがあった。気圧が低くなるのが原因で酸素の量が減った 状態だ。だが、あの晩までは実際に経験したことはなかったし、ぼくの頭は、腹部膨満、めまい、 混乱、疲労がみな高山病の一部であると理解できるような状態にはなかった。
だが、なぜこれはぼくだけに起きて、ぼくの親切な高齢の登山仲間には起きなかったのだろう? なぜ彼女はおしゃべりをしながら、自分のものに加えてぼくの荷物まで持ち、ときどき振り返って は、ぼくが必死で追いつくのを励ますために、歯を見せてにっこり微笑むようなことができたのか?
それは、こういうことだった。ぼくは遺伝的に、大部分の人よりもちょっと高山病にかかりやす いらしい。ぼくが遺伝によって受け継いだ形質は、富士登山を助けるどころか、重荷となってしま ったのだ。 もう少しシェルパっぽかったらよかったのに。(『遺伝子は、変えられる。―あなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実』シャロン・モアレム p.200)
シェルパというのは、山の案内人、山という環境に日常的に関わっている、山に強い遺伝子を持った人です。
山に登るには?
「自己」のチカラが遺伝子を助けます。「自己」が目標に向かうために、遺伝子を手助けする環境を作り上げる、といってもよいでしょう。
山に登る方法はたくさんあります。
どんな山に登るかを決めるところからはじめてもいいでしょう。「登りたい!」山があるかもしれません。とりあえず裏山、でもいいかもしれません。
靴は履きましたか?ご飯は食べましたか?登る山によってはそういった基本的なことも大切。
不慣れな山なら、山をよく知っている人に頼んで案内してもらったらいい。高山病になりやすいなら、ゆっくりとした計画をつくるといい。ゆっくり登れば、それに対してゆっくり遺伝子が、弱いなりにがんばって、あなたを助けてくれる。
シェルパの遺伝子(低酸素環境でも平気な体)がなくても、山には登れる。遺伝子の制約を「条件」の一部としてとらえて、自分の能力を知った上で「作戦」をたて、向かっていくなら。
自分自身を知ることが大切なのです。「山に登りたい!」という子がいるなら、まず裏山に日帰りでもいい。キャンプでもいい。それからどんどん、いろんな山に一人でいけるようにもなるかもしれない。「自己」の強さが、成長のアクセルを踏む。
自分が自分の遺伝子を守る。遺伝子を使う。:環境を変えて遺伝子と踊る。
自分のストーリーを語るチカラ(SQ)、自分はこれでいいのだ、他の人はこうやってるけどね!といえるようになること。それができたら、もう存分に「生きる」チカラがあるのではないかと僕はおもっている。
私たちはすべて、複合的に入り組んだ社会のネットワークにはめこまれている。家族、コミュニティ、そして組織……そのどれもがさまざまに専門化した多くのニッチを供給してくれる。大人のあなたが新年として持つようになった目的や価値がなんであれ、ただしいニッチを選ぶ限りは、自分のパーソナリティ傾向と調和しながらそれを実践して生きる方法がある。これまで何かに取り組んできて、一度として心が落ち着くことがなかったのであれば、ひょっとして自分にあったニッチを目指していなかったのかもしれない。家族や文化、あるいは時代に評価されるようなニッチはもういらない。そうしたプレッシャーに対して、あなたは敢然と立ち向かう覚悟をもつべきだ。現代の豊かな社会では、提供される社会的役割やライフスタイルは極めて多様である。社会にはおびただしい人々を押し込むスペースがあるーワーカホリック、家事労働者、親、庭師、あるいは道化、さらには資金調達者、科学者、そして奉仕者……。リストは際限なく続く。かつての社会はこれほど多様な人々の枠を支えることができなかった。今では、あなたのもつ特性がそのまま有利になるような適所を見いだすことは、これまでにないほど可能なはずである。だがその一方で、落とし穴にはまる危険もある。その手のニッチは世の中におびただしい。薬物依存者や犯罪者のためのニッチ、世界が自分なしで動いてくのを横目に見ながら一人孤立して苦しむ人々のためのニッチ。そしてなかでも、自分がなんのために生きているのかを見出せないまま、形だけの人生を生きる人々のためのニッチ……。自分にふさわしい良いニッチを探し出すとともに、間違ったニッチを避けるために、心を砕かなければならない。私たちはそのための自由と力と、そして責任がある。そのことは同時に、ある種の選択に必然的にともなうコストを理解することでもある。(略)いま述べたことのいずれも、あなたのパーソナリティを変えると言っているわけではない。これが意味するのは、パーソナリティが結果的に何を引き起こすかを理解し、その情報を使って賢い選択をするということだ。そのためには多くのことが必要とされる。自己を知るというのもそのひとつだ。自己認識というこの貴重な財産を自分のものにするうえで、本書が少しでも役に立つとすれば、私がこれを書いた目的は達せられたことになる。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.260)
世の中は平等ではない。
公平ではない。
不均一で、バラバラだ。
それをあえて「見た目」を取り繕って「ふつう」に落とし込むことでどれだけの遺伝子が、才能が、心が、失われてきただろう。大切な遺伝子を守れなかっただろう。
今からでも始められる自分語りを、大人も子どもと一緒に、子どもは大人と一緒に、はじめたらいいとおもう。
まずは遺伝子を理解する。
遺伝子は与えられた環境でなんとかしようとしています。遺伝子の限界を超えるのは無理です。空間性知能・論理的推論能力はほとんど遺伝子で決まるとわかります。『遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である』で紹介されているデータを紹介します。
「でも、環境を変えたら・・・」と思うこともできます。そうです。わからないです。「やってみるチャンス」は大切です。ただしそれは「塾にいったら」わかるのではありません。「いい高校にいったら」わかるのではありません。誰かからの適切な働きかけがなされた時に、「いいもの」がでてきます。適切な働きかけが何であるのか、ひとによって違うのですが。
環境は複雑です。学校でのストレスで「いい遺伝子」が表現されないことだってあります。全く勉強ができなかった子が「自分が教える」立場(環境)を与えられたら、とたんに勉強ができるようになった、という話もあります。
遺伝子のために環境を整える。
生まれ持った遺伝子は変わりませんが、遺伝子は環境により呼び起こされるものです。環境はもっている遺伝子や自己の表現型を変えます。しかし、環境を整えよう!と言って「友達が塾に行くから僕も私も」という理由で塾に行っても、残念な結果になります。「自己」が大切です。
オトノネでは、学校から家庭まで、お子さんにとってひとつひとつの「環境」がもっている意味を一緒に考えていきます。
そもそも、いつでもどこでも食べ物が手に入る「飽食」の文化がなければ、ダイエットを考えなくてもいいように、子どもの「お勉強」が本当に子どもにとって必要なのか、「お勉強」が子どもを「健康」にするのかどうかも大切だとおもいます。
「かいじゅうの王様」リチャードの劇的な変化:遺伝子は環境に応じて表現する
面白い話がある。
食事を変えるだけで、多動さがなくなった、という話だ。
多動さ、というものは「ストレス」に晒されて加速する、感情・情動の舵をとれなくなるのは当然のことで、北欧の学校や、アメリカの特定の学校では「自分の気分が高くなったと思ったら休む」スペースが教室の外や廊下に設置されている。
多動さ、落ち着きのなさを加速させる環境はたくさんある。刺激になるもの。それは色であるかもしれない。音であるかもしれない。姿勢であるかもしれない(椅子に座ることがストレスになることもある)。そういった日常の刺激の中で、食べ物ですら、子どもにとってストレスである可能性だってある。
ひとりひとり、感じ方が違うのです。
ぼくがリチャードに初めて出会ったのは、2010年の春、雨の降りしきるマンハッタンのある 朝のことだった。
診察室にぼくが足を踏み入れたとき、彼は、部屋中を跳ねまわっていた。ぼくはやがて、それは この子のふだんの姿だと知ることになる。
もちろん、10歳の男の子が手に負えないのは、ごくふつうのことだ。だがこの少年は『かいじゅ うたちのいるところ』の主人公マックスの回りをぐるぐる駆け回るような子だった。そのため学校 ではかなりの問題児になっていた。
しかし、リチャードが最初に病院に来た理由は、そのためではなかった。彼は脚の痛みを訴えて 来院したのである。 「それ以外の点では、そして目で見る限り、リチャードは健康児の見本だった。新生児のときのス クリーニング結果? 完璧に正常だ。最近受けた毎年の検査は? 完全に平均値の範囲内だ。実の ところ、彼はあまりにも健康に見えたので、何かおかしいところがあるということにだれかが気づ くには、しばらく時間がかかった。そして、とても優秀な医師のグループが彼の執拗な訴えに耳を 傾け、非常に非科学的で簡単な「成長痛」という診断を排除していなければ、真実が判明すること はなかっただろう。
脚の痛みの原因がわからなかったため、医師たちは遺伝子検査を行った。そしてその結果、リチ ャードが、シンディと同じOTC欠損症を患っていることが判明したのである。
シンディは、OTC欠損症のさまざまな症状により、何度も入院しなければならなかったことを 覚えているだろうか。しかしリチャードのOTC欠損症は、その表現型がかなり違っていた。通常 より高い濃度の血中アンモニアに関連づけられていたかもしれない不可解な脚の痛みのほかは、ま ったく影響がないように見えていた。
しかしリチャードの他の症状(ほとんどないに等しかったが)は、とても軽度だったため、彼自身も父親も、何か問題を抱えていることを受け入れるのにやや抵抗を示した。実際、ぼくが彼を診察し たある日など、OTC欠損症のある人はタンパク質が多い食品をうまく代謝できないから、低タン パク質の食事を維持するようにと彼自身も両親も再三言われていたにもかかわらず、リチャードの バックパックからは、アルミホイルにくるまれたペパロニソーセージがつき出していたほどだ。 だが、そのソーセージこそ、なぜリチャードの症状がなくならないかを教えてくるものだった。 リチャードの家族が気づいていなかったのは、学校と家庭で見られた注意力の欠如は、行動学的 なものというよりも、生理学的なものだったということだ。ほとんどの人では、通常より高い濃度 の血中アンモニアは、震え、発作、昏睡などをもたらす。だがアンモニア濃度の上昇は、リチャー ドでは闘争的な性向と注意力の欠如をもたらしていた可能性が高い。
でもここで、正直に言っておこう。ぼくも最初はそのことに気づかなかった。最初の診察では、 リチャードには、脚の痛みを改善する目的で、食事療法を厳密に守るように、という指示を与えて 帰宅させたのだった。 「リチャードの問題がそれより根の深いものだったことがわかったのは、3か月後に、食事療法を 前より厳密に守った状態で彼が再び来院したときだ。脚の痛みは消えていた――それはそれでいい ことだった――が、驚いたことに、学校生活がとてもうまくいっていたのだ。落ち着きが出てきて、 注意力も向上していた。彼はもう「かいじゅうの王様」ではなかった。
それからの数か月、ぼくは、リチャードの劇的な好転に含まれていた意味について、何度も考え を巡らせた。世の中には、リチャードのような子供たちがもっといるはずだ。実際、何十倍も何百倍もいることだろう。そうした子供たちは、自分でも気づかずに、遺伝的にそぐわない食物を食べ ているのだ。その症状は、代謝の崖から彼らを突き落とすほど重篤なものではないけれども、きっ と校長先生の部屋に呼びつけられるには十分なものだろう。(『遺伝子は、変えられる。――あなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実』シャロン・モアレム p.147)
自分を基準にする:自分の遺伝子を自分がお世話する。
社会は個人の遺伝子を気にしてはいません。自分が受けついだ遺伝子の面倒を自分でみることの大切さを伝えたいと思います。
世の中は、ただただ「このように振る舞え」という指示をだすような傾向にあると私は感じています。自分の遺伝子を大切にするのは自分しかいない、と強く思うのです。他人は他人、自分は自分、あたりまえのことをあたりまえにするのが難しい世の中になってしまったとおもいます。
弱い遺伝子
アルコールに弱い人が飲み会の時に、お酒を強要されたら断るのと同様に、ストレスに弱い人はそれなりの社会的な戦略をとらなかったら、すぐさま「ふつう」のストレスにやられてしまう。
弱さは、強くなる事で補うだけでなく、弱いところをそのままにして、別の強さを育てていくことだってできる。それは甘えでもなんでもなく、戦略だ。
一人の人が「成功」した方法でも、私には通じないかもしれない。ほとんどの場合、通じない。「私」は唯一無二だ。
例えば「疲れやすい」体質だったら?体質(遺伝子)に合わせて自分の環境をつくりあげること(他の誰でもない、生きている私のための環境)。自分自身の傾向を知った上で、「私が生きる知恵」を身につけて行く当たり前のことを、子どもに伝えていきたいとおもう。
もちろんその中には、人間関係も含まれている。
危険な遺伝子
ことは重大だ。昔は「いい」遺伝子だったかもしれないが、現代の日常生活では「わるい」遺伝子を持って生まれる人もいる。
遺伝子と「自己」
例えば音楽の才能(どうやって計測するかわかりません)がない、と思われるが、音楽が「好き」であるのは、遺伝子ではなく「自己」の現れです。上手い下手ではなく、「好き」であることで「自己」は積極的に心を使って世界を広げて生きます。遺伝子の優劣を大人が判断するのでは、こうした心の発達は得られません。
逆のケースもあります。例えば「ディスレクシア」という症状は、遺伝的に文字が読めない(読むのが大変なストレス)ことです。この場合は、目が悪い人がメガネをかけるように、「読む」ことを補うツールや、「読む」に変わる何かで遺伝子の「わるさ」を助けることができます。逆にこの「わるさ」のおかげで別の「いい」ものがでてきているかもしれないことを、忘れずに。
結局、遺伝子は「自己」にとって環境であり、「自己」が大切にされる環境をつくれば、遺伝子の影響は問題にならないと私は考えています。その点、多くの学校では優劣が決められて、全体性をもった「自己」が危険にさらされる場所であると、私は思っています。
遺伝子に逆らうと?
遺伝的に「痩せにくい」人がいます。それはいくら「最近のダイエット」をしても痩せない、というものです。生活習慣病などで「不健康」な体は改善する必要があるかもしれませんが、「遺伝子」に逆らって「自己」が遺伝子に無理をしてしまうと、ダイエットがたとえ成功したとしてもリバウンドをしたり、健康状態が逆に損なわれてしまうこともあります。
遺伝的な(これまでに作り上げた)傾向を変えるということは、とても大変なことかもしれません。おそらく大変なことです。そのコストをいかにやりくりするのか、「大切なもの」がなんなのか、限られたお金と時間と心のエネルギーをどう使うか。頭がこんがらがったら、おとのねさんに話してみてください。
この記事のまとめ
自分の「命」を何かに委ねずに、「自己」を中心にしてみましょう。
「自己」の視点で「自己」を充実させる。
遺伝的に引き継いだもの、ひとりひとりの持ち味に対して、社会、人間関係といった環境との摩擦が大きくなっています。文化的に安心できる自己の基盤、人間関係をつくることが何よりも大切になっているようにおもいます。
汝自身を知れ。
といったのは哲学者ソクラテスです。「自分」のことを「自分」が大切にしたいものです。だから「自分」を知ることからはじめよう。というソクラテスの言葉です。
強くある、とは一人でなんとかすることではありません。自分の弱さを知って、助けてもらえる仲間を、信頼できる仲間をつくっていくことが、「自分」を自立させてくれることだとおもっています。
遺伝子(あなた自身)を無視して、「あれせいこれせい」という要求しかしない人、不安にさせる人、煽ってくる人とは基本、付き合わないという心を身に付けたいものです(どうしても付き合わないといけない場合は?それもスキルが必要です)。
自己は環境を変えたり、遺伝子に働きかける強さをもっています。お子さんの「自己」(思考や感受性)を一番強く感じるのはどんな時ですか?一生懸命になるのは、どんなときですか?
オトノネでは、お子さんの「自己」の発達段階を理解し、「自己」の指向性に応じた関わりをするお手伝いをします。
遺伝子=環境
IQは70%以上、学力は50〜60%くらいの遺伝率だといいます。実際、持って生まれたものは大きいです。ですが、遺伝子は「自己」から見れば「環境」と同じです。遺伝子という「環境」を理解して、遺伝子とどう関わるかは「自己」が決められます。
性格=遺伝子
環境から見れば自己は遺伝子と変わりません。例えば「友達」という環境があるとしましょう。それに対して行動を起こしたり言葉にするのは、「自己」であるわけですが、それは「遺伝子」といっても構わないのです。なぜなら「自己」と「遺伝子」は「友達」という環境から見れば、区別ができないからです。
性格=環境
遺伝子から見れば、自己が例えば「ダイエットするぞ!」と言って食物がこないのと、「飢餓」で食べられないのは同じ「環境」になります。ただ自己(意思?)が働き続けることは大変ですが。「やればできる」とかいう精神論だけで済まない弱さが、自己にはあります。遺伝子(刻み込まれた記録・習慣・癖)は脳と違いなかなか変わらないものです(脳の回路を変えるのも大変なのですから)。
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