カテゴリーからも検索できます

【心のバネ・お守り】自然な発達のための「時間」と「心」『発達の扉』

子育て用語

「心のバネ」「自分への信頼」を強くする『発達の扉(上)』

保育や教育の指導は、すでに述べたように、憧れの心を高め、子ども の願いを生むような「発達の一歩前をいく活動」を用意することからは じめられます。しかし、この「発達の一歩前をいく活動」によつて、子どもの心のなかに発達の願いが生まれたとしても、その願いを実現するためには、子どもは前向きに葛藤して、矛盾を乗り越えていかなければならないのです。そのために、保育や教育の指導に何が求められるでし ょうか。

ひとつには、子ども自らが矛盾を乗り越えていくといっても、その前 向きな葛藤を支え励ますのは、おとなであり、保育や教育の指導です。 この心の支えを一人ひとりに適切に配することは、簡単なことではあり ません。どんな支えが求められるのかをみんなで考え、みんなで支えていかなくてはなりません。

もうひとつは、子どもが矛盾を乗り越えていくためには、自分への信頼をしっかりもっていなくてはなりません。矛盾を乗り越え、発達の願 いが実現したことが、自らへの信頼を生み、その信頼がもっと新しいことに挑戦してみようとするような活動への興味や意欲をつくっていきます。それは、あたかも矛盾を乗り越えたことが新しい活動に挑戦する 「心のバネ」をつくっているようです。この「心のバネ」は、活動の結果や達成感を、心を支えてくれる人と共感し合うことによって、いっそ うふくらんでいきます。本当の発達は、「○○ができるようになった」、 「○○がわかるようになった」という力の獲得だけでは終わらず、心の はたらきをも強めているのです。このとき、保育や教育の指導は、単に ひとつひとつの能力の獲得をめざすだけではなく、その能力の獲得が子 どもにとっての喜びとなるような指導でありたいと思います。

以上のように、発達は「発達の一歩前をいく活動」が用意されている ことによって始まる道すじです。ただし、ひとつだけ注意が必要です。 それは、「発達の一歩前をいく活動」に挑戦することは、子どもにとってとてもエネルギーを使う生活であるということです。現実の子どもの 姿をみると、一日の起きているあいだ中、「発達の一歩前をいく活動」 に挑戦するようなことはしていません。むしろ、自分がすでにできるよ うになった得意なこと、本当に大好きなことを繰り返し楽しんでいる姿 のほうが多いでしょう。それは、ときには「いつも同じことばかりして いて、変化がない」とおとなに感じさせる姿かもしれません。しかし、 この「変わりばえしない」姿にも、「発達の一歩前をいく活動」に挑戦するためのエネルギーを補給しようとしている子どもなりの思いを発見 することがあります。少しむずかしいことに挑戦しようとする意欲がわ いてくるためには、得意な活動を思う存分できる生活、楽しいことがた くさんある良き見通しのもてる生活が必要です。自分へのよいイメージ と良き見通しをもつ満たされた心によって、「発達の一歩前をいく活動」 に挑戦するエネルギーは高まるのです。子どもの心によりそって、たく さんの楽しさと少しの挑戦を織り合わせる生活の流れづくりが、保育や教育には求められます。(白石正久『発達の扉(上)』p.20)

「心」のお守り

オトノネのキーワードに「お守り」がある。

子どもの時から、「ひと」は「お守り」をもらって成長していく。

祈りが込められている場合もあれば、呪いが込められている場合もある。

 

「お守り」が「ひと」の「心」をつくります。

保育園の集団のなかで、たとえばリズム遊びのような活動にだんだん 苦手意識をもちはじめ、みんなといっしょにホールへ移動できない子が みられるようになります。そんなことが何日も続いたら、先生はどんな ことばをかけてあげるでしょうか。「はるかちゃんリズムいやなの。でもはるかちゃんのトンボさんて、 とてもやわらかそうな羽根で先生大好きよ。きっと他のも上手にできる と思うから、いっしょにホールへ行こうね」と言えば、リズムと聞いて 真っ暗だった子どもの心に、光がさし込みはじめるでしょう。そんなおとなのまなざしとことばのもとで、子どもは自分のことを「まんざらす てたものではないな」と感じ、少しずつ信頼できるようになっていくの ではないでしょうか。(白石正久『発達の扉(下)』p.38)

「できる」「できない」のつらい世界

いきなり、積木や折り紙という手の活動から発達の特徴を解説してし まいました。このような活動からはじめたり、このような活動ばかりで は、子どもの心は緊張しっぱなしです。トラックに挑戦していた二人の 子どもの表情をもう一度見てください。自分の力が一歩およばないこと に気づき、さらに挑戦してはみたものの、じょうずにできないことに気 づき、とても悩んでいるのが一目瞭然です。写真82の女の子にもう一 登場してもらい、今度は、粘土あそびに挑戦してもらいました。ままご との包丁を出してあげたので、大きな粘土の塊を切らなければならない と思ったのでしょうか。まな板の上で一生懸命がんばってくれたのですが、粘土を切ることはできません。「切れないよ」、「どう しよう」、切れなかったという事実に出会ったときの、2歳後半の子どもの表情が写真によく表れています。

今度はやおら部屋の時計を指さし、「時計や」、そして皿を示し「これ、 お皿」などと言いはじめました(写真85-56)。切れなかったという 事実から相手の視点をそらそうとしているのでしょうか。しかし、切れ なかったという事実から逃げるためには、自分がいなくなるしかないの です(写真85-18)。 ・ このように対比的認識が獲得されはじめる2歳の後半になると、単に 比べることばがわかるようになるというだけではなく、「できたか一で きないか」、「これでいいのかーこれではいけないのか」という評価に過敏になってきます。だから、相手の目や表情がとても気になるのです。 このような評価への過敏な心を、「二分的評価」とよんでいます。こと に、描く・作るなどの手の活動は、「できたか一できないか」、「これで いいのか一これではいけないのか」が自分でもわかり、他者から評価されるだけに、つらいことも多いのです。(白石正久『発達の扉(上)』p.153)

励ましの言葉

生活のなかで手の主人公 生後4か月ころを迎えて、子どもは単におもちゃに手が出せるように なっただけではありません。その手は、人間としての基本的欲求である 食べることのなかでも使われるようになっていきます。哺乳瓶には自分 で手をかけてくるし、始まったばかりの離乳食を食べさせてくれるスプ ーンにも手をかけようとするのです。そして、スプーンが口に入れられ るとき、そのスプーンを運んでくれている先生にも視線が向かいます。 自分の欲求を満たしてくれる相手をはっきり意識するようになっている のです。このとき、「じょうずにお口に入れられたねえ」とことばをかけるなら、ほんとうにうれしそうに微笑んでくれます。ほめことばの意 味が理解できるはずはありませんが、心が伝わるのでしょうか。こうやって子どもは自分がうれしいときに、相手から共感のことばをかけても らうことによって、自分を認めてもらうことの喜びをだんだん感じるよ うになっていくのです。

ときどき、保育所の先生から、「哺乳瓶を持とうとしない子どもたち」 のことが話題にされることがあります。なぜこの時期になっても哺乳瓶 に手が出ないのか、私にはわかりません。しかし、これだけは言えるで しょう。子どもたちは、心が高まり、目前のものを自分に引き寄せよう 触れようとしても、はじめは思い通りにならないのです。しかし、心は いよいよ高まります。この生後2か月から3か月にかけての矛盾を乗り越えていくことによって、子どもは手の主人公に生まれかわるのです。 この矛盾を力いっぱい乗り越えていくことがたいせつです。この矛盾の 時期に、「引き寄せたい、でも引き寄せられない」、「触れたい、でも触れることができない」という矛盾を生み、高める指導こそたいせつです。 そのためには、子どもの正面の世界が、心高まる魅力に満ちていなけれ ばなりません。どんな世界を用意してあげましょうか。(白石正久『発達の扉(上)』p.57)

 

新しいことに挑戦する心

1歳半での発達障害は、おとなや友だちの活動に憧れて、自分の世界 を広げていくことのみられにくさとして現れます。限られたものや場所 で、自分だけの世界をつくってしまう傾向を残し、表現活動でも、いつ も同じものを描くような姿が目立ちます。もっと違う活動にも挑戦して みようという意欲がもてないために、はじめてできたときの喜びが蓄積 していきません。達成感の蓄積が弱いと、「もっとしてみよう」、「失敗 してもがんばってみよう」という前向きな葛藤がみられにくくなります

このような問題は、活動の結果を共感することの弱さと無関係ではあ りません。たとえば、子どもは積木が積めるとうれしくて、おとなと目 を合わせて共感し、もっと積んでみたくなります。このように、自分のしたことの結果がうれしいこととして心に響く、いわばプラスのフィー ドバックがたいせつなのです。しかし、活動の結果を共感することが弱 いと、プラスのフィードバックも不十分になってしまうのです。

こんなとき、「入れる・渡す・のせる」などの基本的な活動でも、「お片づけしてくれてありがとう」というように、共感と意味づけをたいせつにしてみましょう。そんななかで、次第に活動の結果が子どもの心に響くようになってきます。その喜びが共感のまなざしとなって、寄り添うおとなに向けられるようになると、「もっとしてみよう」、「失敗して もがんばってみよう」という前向きな葛藤がうかがえるようになってく るはずです。(白石正久『発達の扉(下)』p.50)

コメント