【人を求めてやまない心】思春期の「問題行動」は子供のSOS
思春期はパニック、自傷行為、他傷行為が出やすくて、自閉症の子ど もたちにとってたいへんな時期だといわれています。だから、自閉症児 をもっているお父さんお母さんは、戦々恐々としてこの時期を待ってい るのではないでしょうか。どの子もそうなるというのではなく、そうな りやすい子も少なからずいるということです。なぜ思春期にそんな行動 が増えるのかを考えてみたいと思います。
成人施設の職員の方の勉強会に参加すると、特定の仲間や指導員を殴 ったり、頭突きで窓ガラスを割ってしまうことにどう対応したらよいか、 ずいぶん問われます。困った行動、「問題行動」の裏には、障害による 弱さだけではなく、心の理由のあることをくり返し述べてきました。た ろう君は、どんな心の理由をもっていたのでしょうか。たろう君に限ら ず、このような他傷行為や自傷行為に及ぶ自閉症児は、イライラの蓄積 とともに、そういう行為を何かのための手段として身につけてしまって いるのです。たとえば、いつも自分に寄り添ってくれる指導員が、他の 仲間といっしょに仕事をしていると、その指導員の目を自分に引きつけ るために隣の仲間やガラスにむかって頭突きする姿を、しばしばみかけ ることがあります。もちろん、その隣の仲間を何らかの理由で嫌ってい る場合もあるでしょうが。このように手段として自傷行為や他傷行為を使ってしまう自閉症児の多くは、そもそも信頼している人間関係が狭いように思われます。
たろう君も、お母さんの気持ちを自分にひきつけるための手段として、 お茶を溢れさせたり、風呂場や流し台の水を出しっぱなしにすることを 始めたようです。それが、だんだんエスカレートしていきました。困っ た行動といっても、そのレパートリーは広いわけではありません。自閉 症児が得意とする、二つの物事を関連づける操作や思考、一対一の対応 関係をつくる力が、自分のしたことと相手の反応という対応関係をつく ってしまうのでしょう。いわば「指示待ち」の逆パターンということに なります。
自閉症児が、強い不安や葛藤を回避せず乗り越えていくためには、子ども自らが必要とし選択する心の支えが必要です。それは障害の有無に かかわらず、すべての子どもたちがある時期に求めている存在です。わ たしは、そのときの子どもの心理を、「人を求めてやまない心」と表現しています。子どもは、自らの存在や意図が相手に受け入れられている 実感をもつと、その相手を心理的支えとして選びとるようになります。 したがって、子どものこだわりをいつも取り上げようとしたり、おとな の意図を押しつけようとする関係のもとでは、この心理的支えは選びと られないのです。もちろん、よかれと思って、無理に子どもと目を合わ そうとしたり、いっしょに遊ぼうとすると、子どもにとっては相手の存 在や意図を押しつけられたような心理になるのです。そもそも、自閉症 児は、相手の存在を認識できないで対人関係がとりにくいのではなく、 相手のことを認識しつつ、意図的に無視、あるいは避けようとしている のです。
そのことがわかって、子どもからのサインを受けとめつつ寄り添う存 在になると、子どもはからだ全体で、その人を心の支えとして求めるよ うになります。膝に座ろうとしたり、おんぶを求めてきたりします。おとなにとってはうれしい時期です。
しかし、多くの人はやがて気づきます。そこからなかなか人間関係が広がらないことに。そして、いつまでもその人間関係を引きずっている と、思春期になっても青年期になっても、お母さんにしか要求できない という狭い関係に閉ざされてしまうのです。だから、家庭のなかでは、 お父さんやきょうだいの出番をできるだけたいせつにしたいものです。 狭い関係が続くと、その関係を維持したいがために、わざと困ったことをして、相手をひきつけようとするようになるのでしょう。もともと自 閉症の子どもたちは、人間関係での不安や葛藤を避けたいのです。だか ら、心理的支えになった特定の関係にこだわるともいえるでしょう。
このような困った行動は、往来での奇声やトイレでの便こねなどにエ スカレートしていくこともあります。このような事例の数は、地域によ ってずいぶん異なるように思われます。わたしの感想としては、放課後 や長期休暇などでも、家の外での活動が保障され、家族以外の人と過ご す時間を十分もっている自閉症児は、上記のようなエスカレートを示す ことは少ないように思います。また、学校教育への信頼の度合いを反映 し、「学校に任せられない、自分ががんばらなければ」と、保護者が思 春期・青年期になっても狭い関係での生活を維持せざるをえないと、そ の頃から、困った行動がエスカレートしていくこともあります。自立をたいせつにすること、換言すれば保護者によって信頼される学校教育や 放課後・長期休暇での社会教育をつくりあげていくことが求められま す。(白石正久『発達の扉(下)』p.199)
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