【日常を見直すSQ】生きる動機・価値観の重み【命の強さ】心の知能指数EQとの違い
『SQ生きかたの知能指数』ダニエル・ゴールマン
この記事のまとめ
あなたの「命」は、生きていますか。
SQの高い人、命を大切にする人の例
三十代なかばだという彼を、仮に、アンダースと呼ぶことにする。彼はこう切りだした。
「わたしはこのスウェーデンで優良な大企業を経営しています。健康だし、すばらしい家族もいる し、社会的地位も高い。順風満帆〟と言ってもいいんでしょうね。でも、この人生で自分が何を しているのかよくわからない。いまの仕事をやっていて、正しい道を歩んでいるのかどうか、自信 が持てないんです」
世界の現状が、とくに地球規模の環境問題やコミュニティの崩壊がとても心配だとつづけ、人は みな、目の前の問題と本気でとり組むのを避けているような気がする、と言った。彼の会社のよう な大企業は、とくにたちが悪く、そういった問題に立ち向かおうとしない、と彼は感じていた。 「それをどうにかしたいんです。なんなら、わたしの人生を使って奉仕してもいい、でもどうすれ ばいいのかわからない。ただ、問題を起こす側にはなりたくない、解決する側になりたい、という ことだけはわかっています」 「アンダースは自分の不安を、精神的な問題、と説明し、自分は,精神的な危機」を迎えていると 言った。これは今日、感受性の強い若者のあいだでは典型的なものだ。翌日、講演を頼まれていた 企業重役グループにアンダースの話をすると、あとで四人もの重役が別々にわたしのところへ来て、 「どうしてわたしの悩みをご存じなんですか」と訊いた。その日、もっとあとで、わたしをインター ビューに来たスウェーデンの高校生のグループも、自分たちの将来についておなじ質問をわたしに ぶつけた。
「ぼくらは奉仕したいんです。世界を変えたいんです。大人がやりたい放題にやっためちゃめちゃ を、ぼくらはくり返したくない。ぼくらに何ができるでしょう? 体制に加わればいいんでしょう か、それとも加わらないほうがいいんでしょうか?」
信念や宗教とは関係なく、こういった若者は精神的な悩みを抱えていると言っている。意味のあ る人生を送るにはどうしたらいいか、悩んでいるからだ。彼らは意味や価値という広い視野に立っ て人生を送りたいと切望している。ヴィクトル・フランクルのいう意味を知りたいという願いを持 っているのだが、今日の世界ではそう願っても報われないと感じているのだ。 (『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.31)
世の中をよくする力:メンターシップ。人を助ける自分になる。『残酷すぎる成功法則』
ジャド・アパトーは情熱を抱いた、孤独な少年だった。そこで、彼は小さな賭けをして、潜在的なメンターに会いに行き、素晴らしい収穫を得た。同時に、生涯の友にも恵ま れた。しかもそれで終わったわけではない。アパトーは今、自分が受け た親切を次の世代に贈っている。彼は次のように語った。
ギャリー・シャンドリングとかジェームズ・ブルックとか、皆、僕に とても親切にしてくれました。彼らのショーのスタッフとして働いたとき、今の自分の知識を本当に一から教えてもらったんです。だからそれ 以来、人が助けを求めていたら、同じようにするのが当たり前になりました。ショーをやっていると、スタッフが必要になります。それでときどき、若いライターをスタッフに迎えいれるんです。彼らはとても才能 があるけど、まだ仕事のやり方を知りません。そこで彼らに教えてあげることが僕の仕事の一部なんです。そうすれば僕の仕事もはかどる。つまりメンターシップは、若い人のためになりますが、こちらの仕事も楽になるというわけです。
自分が受けた善意を次の人に渡す「ペイ・フォワード」の精神を、ア パトーはどこで学んだのだろう? それはもちろん、メンターからだ。 ギャリー・シャンドリングは彼に言ったという。
「才能ある若者を見ると、彼らが持てるものを最大限開花させてほしい と思う。本当に彼らを助けたいんだ。そして彼らを助けながら、じつは 私も助けられている。誰かのメンターになるたびに、教わっているのは自分のほうだと気づかされるのさ」
調査結果もシャンドリングの言葉を裏づけている。『スター・ウォーズ』のヨーダも、長生きでいつも落ち着いていたが、それもある理由のおかげだった。後進を育成することは幸福感につながる。若い人を指導 していることは、健康や収入に比べ、幸福を四倍も予測させる要素だという。だからあなたに何かの技術があるなら、「誰が助けてくれるか」だけでなく、「誰を助けてあげられるか」についても考えるようにしよう。(『残酷すぎる成功法則』エリック・パーカー)
SQは「超える」チカラ
今まで考えても見なかったことを思いつき、深く感じる。
これが「変わる」ためには大切なことです。
自分や他人の情動に気がつくEQは「日常の中」で使われる能力だとしたら、SQは「日常を超える」能力です。
自己認識はEQでも使われますが、EQを使う自己認識をさらに認識する自己をSQと読んでもいいでしょう。
化学者ケクレ は蛇が自分のしっぽを咬んでいる夢を見て、そこからベンゼン環を思いついた。それにアインシュ タインの有名な言葉もある。問題を解決するには、そもそもその問題が起きてきた心の枠組みのな かで考えているだけではだめだ、という言葉だ。彼の相対性理論は、二十世紀における、ものの見 かたの大きな変化のひとつである。一部の学者は、分裂病タイプが問題解決に使う連想が人類の進 化にとっては利点となり、人間の柔軟性と順応性を高め、創造的にしてきたと考えている。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.151)
フィードバックのレベル2です。
SQは「命」の案内人
私がSQ(魂の知能指数)という言葉を知ったのは『魂の知能指数』を読んだ時でした。
いま、新世紀を迎えるにあたり、最近まで充分に理解されていなかったたくさんの科学的データ から、第三のQ、があることがわかってきた。人間の知能の全体像は、精神的 知 能略 してSQを語ってこそ、はじめて完全になる。SQという言葉でわたしが意味しているのは、意味 や価値という問題を提起して解決する能力である。広い豊かな視野に立ち、自分の行動や人生に意 味を見いだす能力である。数あるなかからより意味のある行動路線や人生の道を選ぶための能力で ある。SQは、IQとEQの両方を効果的に機能させるために必要な土台なのだ。まさに究極の知 能である。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.9)
EQ、IQは知っているが、SQとは?と読み始めると、なるほど、EQでは説明できない、けれども人間にとって大切なものを表すと感じました。その人が、しあわせな人生を送れているかどうかは、EQでは説明できないのです。
例えば、EQと呼ばれるものがとても高い人を考えます。EQが高ければ「しあわせ」な人生を送れるのでしょうか?もし情動調整がうまく生き、自分のモヤモヤした情動も処理できているけれども、「自分が生きていない」「誰かの代わりを生きている」といった状態だとしたら。『こころの知能指数』ではそういった人を「人間カメレオン」と呼んでいました。
自分の情動、他人の情動との関わりを、どう利用するか、という能力をSQと呼ぶことができるでしょう。IQのために頭脳、EQのために心という言葉を使うとしたら、SQのためには「魂」や「命」という言葉が似合っています。
SQは自己の深奥に存在する知能であり、エゴや意識を超えた知恵と結びついている。既存の価 値を認めるだけでなく、新しい価値を創造的に発見するための知能なのだ。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.16)
健康的なSQをもっている人は、健康的な人間関係を作り、自分にも素直に生きていて、しあわせです。不健全なSQ(未熟なSQ)を持っている人は、誰かを破壊的な関係に巻き込んだり、自分の感情を偽って暮らしています。
SQのおかげで人間は創造的になることができ、ルールや状況を変えることができる。そして限 界と遊ぶことができ、〝無限のゲーム”をすることができる。SQのおかげでわたしたちは、識別 することができる。道徳観を持ち、厳しいルールを理解と同情でやわらげることができ、同情や理 解が限界に達したら、もはや限界だと悟ることができるのである。わたしたちはSQを使って善悪 の問題にとり組み、実現していない可能性を心に描く。夢を見、大志を抱き、たとえ泥のなかにあ っても自分を奮い立たせるのだ。
SQがEQと違うのは、こうした変革させる力を持つ点にある。ダニエル・ゴールマンが定義し ているように、EQがあるからわたしたちは自分の置かれている状況を判断することができ、その 状況のなかで適切にふるまうことができるのだ。これは状況という限界のなかで動くことであり、 状況のなすがままになることである。だがSQがあれば、そもそもその状況のなかにいたいのかど うか自問することができる。その状況を変えたいだろうか、もっといい状況を作りたいだろうか? これは自分の状況という限界と遊ぶことであり、状況を意のままにすることである。 最後に、SQの原理を神経学的に見ればわかるように、SQは文字どおり脳の中心から働きかけ、 すべての知能を統合している。SQはわたしたちを完全に知的な、情緒豊かな、そして精神的な生 き物にする。つまり、いかにも人間らしくするのだ。 (『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.11)
SQの高い人は、その人が「どれだけ意味のある、価値のある人生を送るか」にかかっている。
心理学者コフートの考えによれば〈自己の充実〉は自己と関係する他者がつくる環境です。SQは、「どんな他者が周りにいるのか」に関わる能力です。「どんな人との間でEQを使いたいのか」と言ってもいいでしょう。
SQは「ゴール」をつくる
EQは外から受けた刺激に対する反応だとしたら、SQはもっと自分の奥深くからくる動機、命の力に関わるものだといえるでしょうか。
何かのきっかけで、新しいことに挑戦し始める。自分を変えようと思う。こうした内発的な動きをSQといってよいかもしれません。自分の本音と繋がっている感覚、自分自身のありのまま感じているままに動いている感覚かもしれません。
ある種の神経組 織は合理的で論理的な思考、ルールに束縛された思考を可能にしている。これが人間にIQをあた える。もう一種類の神経組織は連想的な思考、習慣に束縛され、パターンを認識し、感情に訴える 思考を可能にしている。これが人間にEQをあたえる。三番めの神経組織はクリエイティブな思考、 洞察に満ち、ルールを作り、ルールを破る思考を可能にしている。すでに考えたことを再構成し、 変えるのはこの思考である。これが人間にSQをあたえる。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.56)
「目標をたてる」「目標に向かう」力はSQです。それを支えるためのメタスキル がEQ,といってもいいでしょう。「経験してきたことを超える」能力、自分を変革する能力といえるかもしれません。自分と世界の境界を変えていく力、と言ってもいいでしょう。
例えば、『スイッチ! ──「変われない」を変える方法』にはいろいろな「人を変えるエピソード」がありますが、その「人を変えよう!」「社会を変えよう!」と思う人たちは、SQを使っていると思います。
SQは「人生のコンパス」
「人生の意味とはなんだろう」「何をして生きていったらいいんだろう」「自分は本当に、この姿でいいのだろうか?」そうした問いを立てること、そしてその問いに答えていくプロセスは、SQによるものです。「ヴィジョン」という言葉も、SQと関わるものです。
カオス理論では境目、とは秩序と混沌の境界であり、 自分が何者なのかわかって心安らいでいる状態と、まったくわからずに困惑している状態の境界で ある。境目は、わたしたちがいちばん創造的になれる場所でもある。SQは意味や価値に対する深 い直観的な理解であり、境目に立たされたときのガイドである。SQはわたしたちの良心でもある (ヘブライ語では、”良心”、”コンパス”、”うちに秘めた魂の真実”という言葉はみな、おなじ語源 から来ている)。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.23)
みんなと一緒に、社会的に暮らすこともできます。けどSQは「自分はどう生きるか」という問いをたてる能力です。「個性」「自分探し」という言葉でも言いあらわせるでしょう。
自分に正直に生きる、という清々しさが、SQにはあります。「人生が虚しい」「なんだか落ち着かない」という魂の声を聞いて、応えてあげる力です。
SQをもっとうまく使いこなし、自分に正直になり、勇気を持てばーSQを使いこなすには正 直さと勇気が要求される――わたしたちは自分のなかのより深い源や意味とふたたび結びつくこと ができ、その結びつきを使って自分よりずっと大きな目的やプロセスに奉仕することができる。こ うして奉仕するあいだに、自分自身が救済されるかもしれない。わたしたちのいちばん深い救済は、 自分自身の深い想像力に奉仕することにあるのかもしれない。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.28)
SQテスト?
高度に発達したSQを示すものとしては、つぎのようなものがあげられるといいいます。
□ 柔軟である能力(積極的かつ自発的に適応できる能力)
□ 高度な自己認識
□ 苦しみに立ち向かい、苦しみを利用する能力 苦しみに立ち向かい、苦しみを乗り越える能力
□ 夢や価値に触発される資質
□ 不必要な危害を他人に加えたくないという気持ち
□ 多岐にわたるものごとのあいだに関連性を見る傾向(ホリスティック” であること)
□「なぜ?」とか「もし何々だったらどうなる?」という質問をし、根元的な、答えをもとめる 顕著な傾向
□ 心理学者が`場独立性”と呼ぶものであること。つまり、因習に逆らう器量を持っていること
現代社会の「価値」の弱さ:命が弱い現代社会
ただ与えられた環境を消費するだけではなく、環境を作っていく、自分を変えていく、他者に影響を与える、という視点に立てるのがSQです。
ワーカホリックに働いて、お金を得て、ただただ、手に入れようとしたり、TVで流れている商品に惚れ惚れするような生活をしていたら、魂は病気になってしまいます。
洋の東西を問わず、西洋型の文化は、手近なもの、物質的なもの、ものごとや経験や他人を自分に 都合のいいように操ろうとする気持ちでいっぱいになっている。わたしたちは人間関係や環境を乱 用しているように、自分自身のいちばん深い人間としての意味まで乱用している。そしてものごと を象徴的にとらえる想像力はおそろしく貧弱になっている。人間としての質はなおざりにして、わ たしたちはますます狂乱した行動に走り、手に入れて消費する。という行動にばかり心を向けて いる。自分自身や他人や世界のなかの崇高なもの、神聖なものをひどくおろそかにしているのだ。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.27)
命の神秘を大切にすることです。
個人的な動機の面でSQを高めるひとつの方法は、表面的な欲望の陰にある事実を探すことであ る。通常、わたしたちの文化が推奨するプログラム化された対応パターンに従っているとき、わた したちは何かがほしいとなったら一目散にそれを買ったり実行したりする。立ち止まって反省し、 「この欲望の陰にどんな深い必要性があるだろう? この欲望を満たすことは、その深い必要性をほんとうに満足させるだろうか?」と自問するよう促すものはほとんどない。SQは、ほしいと思 っているものについてもっと深く考えるよう、そしていちばん深い動機や人生の目的という、もっ と深くて広い視野に立って欲求を見てみるよう、わたしたちに呼びかけている。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.383)
SQは「価値をつくる」
人がもとめているこの*もっと”とは何なのだろう? そしてそれを見つけるのに、なぜSQが 必要なのだろう? 意味が現代の根本的な問題だと言われるのは、なぜなのだろう? 時代が変わ ったのだろうか、それとも人間の要求が大きくなったのだろうか、知能そのものが進化の新しい段階に入ったのだろうか? これらは、早急に考えなければならない疑問の一つである。(略)
わたしの身の上話はめずらしいものではない。現代を特徴づけているのは、家族やコミュニティ や伝統的な宗教の崩壊、そしてヒーローの喪失や不在であり、若者たちはそういったものの意味を 知ろうと苦労している。わたしたちが生きているこの時代には、明確なゴールポストもはっきりし たルールもなく、クリアな価値観も、わかりやすい育ちかたも、責任感についての明快なヴィジョ ンもない。
わたしたちは広い視野に立って人生を眺めることができず、意味の自然な流れの一部になること もできない。いろいろな意味でこの精神的な砂漠は、人間の高いIQの産物として生じてきた。わ たしたちは自分自身を説きつけて自然から遠ざかり、仲間の生き物たちから距離を置き、宗教を置 き去りにしてしまった。技術が飛躍的に進歩するあいだに、伝統的な文化やそのなかに含まれてい る価値観はとり残されてしまった。IQは肉体労働を減らし、富を増し、寿命を延ばしたが、数々 のつまらないものも発明して、そのうちのいくつかはわたしたちや環境を破壊しようとしている。
現代の文化は精神的に愚かである。これは西洋だけにとどまらず、西洋の影響を受けたアジアの 国々もしだいに愚かになってきている。精神的に愚か、というのは、根本的な価値観を失ってい るという意味である。地球や季節と結びついている価値観、日々や時の流れと結びついている価値 観、生活の道具や日常的な儀式と結びついている価値観、身体や肉体的変化と結びついている価値観、セックスと結びついている価値観、労働とその成果に結びついている価値観、人生の諸段階に 結びついている価値観、自然な終焉としての死に結びついている価値観を失っているのだ。わたし たちは手近なもの、眼に見えるもの、実用的なものだけ見て利用し、経験している。もっと深いレ ベルのシンボルや意味、つまり目的や行動やわたしたち自身を実存という大きな枠組みのなかに置 いてくれるものは、わたしたちには見えていない。どうしてこんなことになったのだろう?(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.43)
今の仕事でいいの?
物質的には豊かになり、専門技術も進歩したが、わたしたちの人生には何か根本的なものが欠け ている。一部の人にとっては、根本的なものとは、たんなる仕事を天職に変える能力かもしれない。 だがこの天職という感覚は、ビジネス界の既存の価値構造のなかでは見つからない。たいていの人 は、どんな職業の既存の価値構造のなかでもそれを見つけることができず、もっと広い文化のなか でも見つけられない。だから文化にとらわれないものや、わたしたちの文化からなくなっているも のを自分で発明したり発見したりしなければならない。つまり意味に対して個人的に責任をとり、 あらたに意味にアクセスし、賢く利用しなければならないのだ。通常、そのためには現状を変える か、現状を最大限に活用しなければならない。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.49)
SQの高い文化?低い文化?
アメリカ人のビジネスマンがメキシコの漁村の突堤に立っていると、ひとりの漁師が小舟でやっ てきて、突堤に舟をつけた。舟のなかには大きなマグロが何匹かあった。
アメリカ人はみごとな魚 を誉め、捕るのにどのくらい時間がかかったか訊いた。 メキシコ人は答えた。「なあに、ほんのいっときさ」
するとアメリカ人は、どうしてもっと長く海に出て、もっとたくさん捕らないのかと訊いた。 メキシコ人は、さしあたり家族を養うにはこれで充分だからね、と言った。
するとアメリカ人は訊いた。「それじゃ、ほかの時間は何をしているんだ?」 メキシコ人は答えた。「ゆっくり朝寝して、ちょっとだけ魚を捕り、子供たちと遊び、女房のマ リアと昼寝して、毎晩ぶらぶらと村に行き、友達といっしょにワインを飲んだり、ギターを弾いた りしているよ。充実した忙しい生活をしているのさ、セニョール」
アメリカ人は馬鹿にした。「わたしはハーバードの経営学修士号を持っている。きみを助けてあげられるよ。きみはもっと時間をかけて魚を捕り、その収益でもっと大きな船を買うべきだ。それ で収益があれば、きみはさらに何艘か船を買うことができる。ゆくゆくは一艦隊ほどの漁船を持つ ようになる。捕れた魚を仲買人に売るのではなく、じかに加工業者に売り、いずれ自分の缶詰工場 を開設する。製造、加工、販売を一手に握るんだ。この小さな漁村を離れ、メキシコシティに引っ 越さなければならないな。そのあとロサンゼルスに、やがてニューヨークに進出して、大企業を経 営するようになる」 メキシコ人の漁師は訊いた。
「でもね、セニョール、全部でどのくらい時間がかかるんだい?」 これに対してアメリカ人は答えた。「十五年から二十年といったところかな」
「で、そのあとは?」 – アメリカ人はからからと笑い、それからが最高のお楽しみなんだと言った。「潮時を見計らって 株を公開し、売却してうんと金持ちになる。百万長者になるんだ」
「百万長者に? そのあとはどうなる?」 アメリカ人は言った。「そのあときみは引退する。海岸の小さな漁村に引っ越し、ゆっくり朝寝 して、ちょっとだけ魚を捕り、子供たちと遊び、奥さんと昼寝して、夕方になるとぶらぶらと村に 行き、アミーゴといっしょにワインを飲んだりギターを弾いたりできる」
すぐにわかるように、この話に出てくるアメリカ人のビジネスマンはSQが低く、メキシコ人の 漁師はSQが高い。なぜだろう? それはこの漁師が自分の人生の深い目的や、深い動機についての知的センスを持っているからだ。彼は自分や家族の必要に見合うライフスタイルを開発し、自分 にとって重要なことがらに時間をかけ、心安らかに暮らし、中心を持っている。一方、アメリカ人 ビジネスマンはSQの低い文化の落とし子だ。彼はあくせくし、達成のために達成せずにはいられ ず、この漁師のような人生の深い動機とは無縁で、たんにハーバードで学んだというだけの理由で 無意味な目標を立てるようになっている。おそらく漁師は長生きし、安らかな死を迎えるだろう。 ビジネスマンのほうは五十五歳で心臓発作を起こし、目標を達成できなかったと思いながら死ぬか もしれない。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.380)
内臓のよろこび・皮膚のよろこび
皮膚の喜び、内臓の喜び、舌の喜び、よろこびに足りる人生を送るだけなのに、現代社会はあくせくしています。
自分のSQで人と喜びあうこと、自分の喜びを感じること。「命」の価値を問い直すのが、SQの力です。
セロトニンは脳に満足感をもたらす脳内化学物質だ。SSRI (選択的セロトニン再取り込み阻害薬)系 の抗うつ剤は、体内のセロトニン・レベル を上げることによって気分を明るくする薬である。しかし、一方で、セロトニンは消化管の働きを調整する役割もはたしている。人間の体 内にあるセロトニンの約九五パーセントは消化管に存在している。消化管には七種類のセロトニ ン受容体があって、消化酵素の分泌から腸管の運動に至るまで、さまざまな働きを調整している。
セロトニンというひとつの分子で消化管と満足感の両方に対処してしまうのと同じように、 「社会脳」を作りあげている神経回路もさまざまな活動にかかわっている。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.128)
悪意ある人にも「命」はある
この記事のまとめ
人の「命」は、大切にしなくては、死んでしまいます。
前向きになれない、心を開けないと、SQが低いと悪になる。
EQが低くてSQを高められない人もいれば、EQが高くてもSQが低い人もいる。
「自分地獄」に自分を閉じ込めた人、「自己疎外」をした人、どれだけIQが高かったり、高学歴でも、悪に染まる人、悪に加担する人が生まれてきます。
一九九〇年代の後半に、わたしは最高に警備の厳しい刑務所を訪ねたことがある。凶暴な男性の 性犯罪者のあいだで実施されているグループ・セッションについて、新聞記事を書くためだった。
四十五人の性犯罪者が入っている刑務所の会議室にはじめて足を踏みいれたとき、わたしは激し い拒絶反応を起こした。吐き気がし、眼の前が真っ暗になるほどの頭痛に襲われたのだ。そのグル ープのなかには、連続レイプ犯もいれば、子供を殺した犯人もいた。新聞の写真から、有名な連続 殺人犯とわかる男もひとりいた。第一印象では、そのような犯罪を犯す男について、わたしが最悪のことを想定するのももっともなように思われた。たいていIQがとても低いように見え、顔つき はねじれてゆがみ、頭の形が不格好な男も何人かいた。看守がふたりと、会話の進行係がひとりい るだけで、女性はわたしだけだった。悪意とその脅威が部屋に充満していて、わたしは逃げだした くなった。だが人間であるとはどういうことなのか、いちばんよく教えてくれたのは、見たところ 怪物のような、それらの男たちだった。
グループ・セッションとは、参加者がいっしょに話すことを学び、自分自身や相手について知る ようになるために考案されたものである。一九四〇年代の集団療法で徹底的に作り直されたこの手 法は、起源をたどれば古代アテネにまでさかのぼり、ソクラテスが仲間の思いこみやステレオタイ プな思考を打破するためにひっきりなしに質問や議論を浴びせかけたことにある。 ソクラテスは、 この手法を用いれば、どんな無知な人間のなかにもひそんでいる知恵を見つけ、あらゆる人間の なかに善を発見する、ことができるようになると信じていた。
囚人たちは鬱屈して腹を立て、悪態ばかりついていた。それでも三時間のセッションのあいだに、 多くの囚人が発言するようになった。彼らは口々に自分のどうしようもない孤独について語った。 「みんなおれたちのことを、人間のくずでしかないと思っている。そりゃ、たしかにおれたちはく ずだよ、でもただのくずじゃないんだ」
自分の犯した罪について語り、被害者の苦しみに直面したとき、自尊心がずたずたになったと話した者もいた。当惑し、自分はどうすればよかったのか、なぜ刑務所に入れられたのか、よく理解していないように見える者もいた。部屋のなかにいる全員の苦悩は強烈だった。たいていが子供時 代に虐待されたり捨てられたりしていて、その経験を話してくれた。彼らの怒りは人間として認め られたいという叫びであり、発言の機会をあたえられたことで、基本的な人間としての資質が輝き だしていた。それは好意を持たずにはいられないものだった。
看守のひとりが、「以前だったら、この男たちとはどんなかかわりも持ちたくないと思っただろ う」とコメントした。「でもいま、このグループに参加したあとでは、彼らの誰とでも喜んで話し ますよ」
わたし自身が感じたことはもっと強烈だった。ほとんどの囚人がわたしに向けて意見を述べてい た。彼らの犯罪はたいてい女性や子供に対するもので、自分が犯した罪を超えて、自分自身をどう考えるか見通すために、とくにわたしを必要としているようだった。あのときの経験はわたしの人 生のなかでもっとも強烈なもののひとつで、変わることのない理解を残した――悪人などというも のはいない、しかし誰でも悪意を抱く可能性はある、と。悪は人間に潜在的にそなわっている。寸断され、中心を見失い、SQの発達が不十分であったとき、人間はともすると悪に走る恐れがある のだ。 (『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.240)
「動き」の傾向:ホランドの6つの性格をモデルにすると
SQは「命の動き」
EQは何かの目的に対して、情動をうまく処理する力です。SQは、何かの目的自体を作り出す衝動です。
動機とはわたしたちを動かすものであり、 お 感情の持つ潜在的なエネルギーを、エゴという経路に送りこむのであり、それが行動となってあらわれるのである。動 機、感 情、行 動――これらの言葉はみなおなじ語源から派生し、みな深い 精神的エネルギーやフロイトのいうリビドーをある方向に向けることに関連している。どんな動機 が存在し、どう働くかを理解するのは、自己の深いところにある基本的なエネルギーの導きかたを どうすれば変えたり広げたりできるかを理解するうえで、非常に重要である。言い換えれば、SQ を行使するには動機を理解することが非常に重要なのだ。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.185)
何かが起きた時、今までは感じなかった「変化」、今までなかったことに関わるようになった、といった「変化」が魂の動きだといってよいでしょう。この「動き」はスピノザの「コナトゥス」に対応します。命の動きそのものです。
ホランドの6つの性格をそれぞれ6枚の花びらだとしたら、その花びらを咲かせるエネルギー、「動機」の部分があります。
動機:集団志向 → 性格:因習的
動機:自己主張 → 性格:積極的
動機:構築 → 性格:現実的
動機:創造性 → 性格:芸術的
動機:好奇心(探究) → 性格:学究的
動機:情愛(親心) → 性格:社交的
遺伝と環境の話を理解できていれば、もちろんこの動機が環境によって変わる、遺伝子によっても傾向はある、ことはわかります。
動機があるけど、それが環境によって抑圧されていないか、もしかしたら、EQを使って環境を調整できていないだけなのか、といったいろいろなストーリーを語ることができます。
どんなストーリーをつくるか。どんな舞台に飛び込むか。その命のエネルギーを燃やしていくことが、「しあわせ」につながると私は信じています。
6つの「動き」
動機:集団志向
集団志向は、因習的なタイプやハスの一枚めの花びらと関連している。これは人付き合いや、グループのなかにうまく溶けこむこと、スポーツ活動に参加したり観戦したりすること、ほぼあらゆる種類のグループ活動を楽しむことに興味があり、その興味によって突き動かされるという意味である。集団志向がおもな動機になっている人は、反抗やひとりでいることにはほとんど興味を示さない。
この動機のマイナス面、つまり陰の面としては、引っ込み思案やナルシシズム――自分自身 に夢中になり、人間関係を築けないこと(カテル)――などがある。
動機:情愛(親心)
親心のような情愛は、社交的なタイプやハスの二枚めの花びらと関連している。情愛が動機にな っているというのは、愛したい、あるいは愛されていると感じたい、という欲求によって突き動か されているという意味である。カテルの理論体系のなかでは、この動機は親のように庇護する気持 ちと関連づけられている。この動機はもっと発達すると、困窮者を助けたり、世のため人のために よい仕事をしたいと思うことにつながっていく。
マイナス面、つまり陰の面としては、怒り(カテル)や憎しみがあげられる。
動機:好奇心(探究)
好奇心は、学究的なタイプやハスの三枚めの花びらと関連している。これは探求心(カテル)や、 文学、音楽、芸術全般、科学、アイディア、旅行、自然研究等々への興味によって突き動かされて いるという意味である。マイナス面、つまり陰の面は、恐怖(カテル)や隠遁や無感動となってあらわれてくる。
動機:創造性
創造性は、芸術的なタイプやハスの四枚めの花びらと関連している。これは存在していないもの を創り、斬新な言いまわしをし、典型的行動様式とは異なる生きかたをし、見たことのない、ある いは表現されたことのないものにあこがれ、かなわぬ夢を見るよう突き動かされるという意味であ る。マイナス面、つまり陰の面は、破壊やニヒリズムである。この動機はカテルの理論体系のなか ではたんに、セックス” と呼ばれているだけだが、彼やほかの多くの心理学者の研究のなかでは創造性、生きるための本能、ロマンティックな感情として分析されている。一○ないし一五パーセン トの人にとってはもっとも有力な動機であり、わたしたちの意識の本質や脳の発達のおかげで、あらゆる人間のなかに存在している動機でもある。
動機:構築
構築は、現実的なタイプやハスの五枚めの花びらと関連している。これは機械的な仕掛けで遊ん だり、ものを作ったり修理したりすることから楽しみを得るという意味である。この動機に駆りた てられる人は、感情豊かな内面生活を送っていることが多いが、その感情を言葉で表現するのは苦 手である。大量生産の時代になる前は、そういった人は陶芸や家具製造その他の工芸で自分の感情 を表現することができた。現実的なタイプはもっと発展すると、カテルが、セルフセンチメント” と呼ぶ後天的な動機のパターンに従う。このパターンは自制心、自尊心、よき市民であること、そ して地域社会の利害関係を重要視する。
動機:自己主張
自己主張は、積極的なタイプやハスの六枚めの花びらと関連している。これは高収入や名声、競 争、家族にいい生活をさせること、仕事での成功、政治(自分の出世のための)への興味によって 突き動かされるという意味である。この性格タイプはもっと発達すると、独立心が強くてリーダー シップをとるのが好きなことには変わりはないが、地域社会への奉仕や、さらには個人の利益を超 えた利害関係といった動機によって突き動かされるようになる。
陰の面は、責任を放棄したり、自 分自身を卑下したり、個人的な動機のために権力を乱用したりすることである。
低SQ社会:ホランドの6タイプの現実的なタイプが陥る恨みつらみ【自己嫌悪・自己欺瞞】
『SQ生きかたの知能指数』ダニエル・ゴールマン
この記事のまとめ
表皮する文化がSQを低くする。
全体性と自発性を重要視するこの道の影の形は、自己嫌悪である。つまり自分自身を信じられな い人、みずから進んで追放される人、臆病者だ。SQが低いと、この道をいちばん狭く生きること になる。やりがいのない実用的なことにばかり興味を示し、他人と意志や心を通わせる努力はせず、 感情面で怠惰になってしまう。 「感じるなんてめんどくさいよ!」
前述の作家ジョン・グレイはマーシャンにこう言わせている。 入れ墨を入れた粗野なマーシャンは、ひどいときは一日じゅうかがみこんでオートバイを修理し、 オートバイとスポーツ以外にはいっさい興味を示さず、自分の得になるよう権力に媚び、競争心が 強すぎて人と協力できず、自分とおなじような仲間たちとつき合い、恋人に対する気持ちは未熟で、 現状に固執している。
現実的なタイプにとって、SQを高めるための第一歩は、現状になんらかの不満を抱くことでな ければならない。自分の興味の狭さにうんざりするとか、情緒的なふれあいがないのを寂しく思う とか、自分の考えや感情をきちんと口に出せないことにストレスを感じるとかだ。つぎに、そうい った事態を招いたのが自分であると素直に認めなければならない。たんにしかるべき人やグループ と出会っていないとか、興味をそそられる魅力的なものを見つけていないせいではないのだ。現状 を打破したいと思わなければならず、人間としての幅や自分の興味を広げたいと熱望し、もっと大 きな、もっと多彩なグループに属したいと心から願わなければならない。 マーク・スミスのように、現実的なタイプの多くは難題を通じて―戦争に行くとか、愛する者のために戦うとか、自分が信じている大義のために戦うとか、コミュニティを設立するために骨を 折るとか、死に直面するとかいった経験を通じて――この道をさらに先まで進む。
これはつきつめて言えば個人を超えた奉仕の道であり、個人を超えた現実、つまり魂の不滅の部 分、個人的なエゴを超えた自己に根ざした生きかただ。現実的なタイプの人間がそのようなレベル に達したとき、SQは輝きわたる。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.345)
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