【SQの別名】自信・自己肯定感・前向きさ・自尊心・生きている感覚
SQは「命」
この記事のまとめ
「命」の強さは人生の豊かさです。
「グリッド」と呼ばれている「やりぬく力」、「マインドセット」と呼ばれている「前向きになる力」、「自己肯定感」「集中力」やら何やら、いろんな言葉が使われますが、どれも
「命の強さ」
という言葉でまとめられるとおもいます。
これは私の言葉では
「積極的自己責任」の力で説明できます。
自分の命は自分で責任を持つ。自分の命は自分で守る。自分の命はだれかとともにあって輝く。自分の命に自分で積極的に関わるという意志の強さが、「しあわせ」のために大切だということです。
いつもうまくいくのではありません。失敗し続けます。それでも「次へ!」行くことでしか成長は望めないのが人間です。自分の身の回りに起きる出来事、自分の命の動きを自分ごととして積極的に捉えていくことです。
SQの別名:自信・自尊心・自己肯定感
自信は学んで行くものです。失敗したとき、うまくいかなかったとき、自信がなくなるかもしれません。赤ちゃんだったら泣くでしょう。それでも誰かに「褒められて」「励まされて」心が強くなっていきます。そうして自分が成長できる人間関係の中でしか、人は自分を強くすることはできないとも考えています。
創造的関係とは?
SQの別名:あそびごころ
「本当に変わりたいですか?」
この一言にどう答えるか。誰かのせいにしたりせずに、自分ごととして自分を捉えられるか。言い訳をせずに結果を認められるか。現状をありのまま認識できるか。認められるか。
「変えたい」という気持ち強さはSQの強さです。
「何かをしたい」という気持ちの強さはSQの強さです。
「きっと変えられる」という気持ちの強さはSQの強さです。
そしてこれは小さい時から積み重ねてきた「遊び」の経験が、何かを生み出す経験、そして「よろこび」を感じた経験があってこそ、生まれてくる強さだと私はおもっています。
「遊び」は日常を変えて行くことです。いつもと同じ遊びをしていても、遊び仲間が違えば、遊びの中身が違えば、どんどん感じることも変わってきます。
小さい頃の「遊び」の質が、SQに関係してきます。「仲間と一緒にいる安心感」を得るだけの遊びか、それとも「もっと面白い何か」を生み出す工夫をして遊んできたか。自分で積極的に「遊び」を作った経験は、将来自分自身の人生を積極的に「遊ぶ」ための基礎です。
魂の知能指数SQは生まれ持った生命の神秘:耳をすませるマインドフルネス
この記事のまとめ
「命」は誰もがもっている、神秘。
SQは自分を自分が生きるチカラ、そして生まれてきた自分の天の才を大切にするチカラです。
これが幼少期、学童期を通じて破壊されたり弱められることがあります。
現代社会はSQが低くなるように働きかけてくるからです。
子供の自尊心は、その子がどう扱 われてきたかによってほぼ決まるもので、遺伝とはほとんど関係がない。しかし、いったん自尊心の 傾向が定まると、親の下手な子育てや同僚からの圧力やその他の遺伝的要因とはまったく別の次元で、 自尊心は子供の行動を形作る要因として働く。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.236)
自尊心とは?子供が自分の「命」の価値を自覚していることでしょう。安心してこの世で「命」を燃やせるという前向きな感覚だとおもいます。
自分の行動や意志、心の限界をつくってしまう「自尊心」、「命」の価値は、自分を超える能力であるSQにとって大切な要素になります。
SQは「命の神秘」
洞察、という言葉がある。ひらめき、と言ってもいい。誰かに学んだわけでもなく、ただ、気がつくだけです。
わたしたちは意識を神経医学と物理学の両面から見て、SQが脳の生まれつき持っている能力で あること、そして脳ともっと大きな現実との結びつきかたであることを見てきた。SQの光は他人 からあたえてもらう必要はなく、学ぶ必要もなく、遺伝によって受け継ぐ必要もない。深い自己は人間が生得の権利として持っているものであり、目の前に展開する人生の証人としてつねに存在す るものである。意味をもとめて励むとき、そして意味にもとづいて行動するとき、深い自己はいつ も存在する。 (『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.257)
聞こえていなかった自分の声が聞こえる。
見えていなかった自分の姿が見える。
感じていなかった重みを感じる。
全てが「ささいなこと」かもしれない。
けれども小さな声を上げてうずくまっている自分に気づいたとき、人は「変わる」ことができる。
ときどき、わたしの精神的危機の場合のように、内面に亀裂を抱えて生きる緊張があまりにも強 すぎて、この内面の光があらわれるまで動きがとれなくなることがある。わたしの場合は、まるで 自分の半身が存在していないかのようで、どうにも生活がつづけられなかった。しかし、ついには あの内なる孤独、ラビのヘスケルの言う「耳を澄ませている孤独」が、自分の言い分を聞いてくれ と要求してくることになるのだ。精神の危機という経験は、孤独の呼び声を聞くという行為にほか ならないのである。 (『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.257)
SQは「死の意識」
パリの病院で末期患者を相手に仕事をしている心理学者マリー・ド・エネゼルは、つぎのように 言っている。
わたしもいつかは死ぬという意識〟が、逆に、わたしをすべての人々と結びつけている。だ からこそ、どんな人の死もわたしの心を動かすのだ。そのおかげで、ただひとつのほんとうの 疑問の核心を見抜くことができた。「それならわたしの人生はどんな意味を持っているのだろ う」という疑問である。(中略)生の果てにいつかは訪れる死、恋人や友人を襲う死は、ものの ごとや人の表面だけ見て満足せずに、それらの核心や深奥にまで入って生きていくよう、わしたちを後押ししてくれるものなのかもしれない。
死は人生に、意味や価値という広い視野をもたらしてくれるのだ。 (『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.263)
SQ:自分の歌を歌おう
この記事のまとめ
自分の声、自分の歌を、知っていますか。
数年前に、ユネスコの会議に出席したときのことである。開催地は旧ソ連の衛星国、内乱で疲弊 したグルジア共和国の首都トビリシだった。会場はモダンな洋風のホテルで、外の破壊や絶望、飢 餓とは対照的だった。 ある晩、わたしたちは街の劇場に招待された。グルジア人は自分たちの豊かな文化を、過去の栄光の名残を自慢したかったのだろう。
劇場に入ると天井はひび割れ、焼けこげの跡がついていた。壁は爆弾や迫撃砲の砲弾でしっくい が吹き飛ばされ、穴だらけになっていた。かつて壁を飾っていた芸術作品の名残は、カビが生え、 変色し、絵の具がはげていた。照明は薄暗かった。破損した発電機では、わずかな電力しか出せな いのだ。エアコンはなく、うだるような暑さだった。
オーケストラのメンバーが、不揃いな白いシャツにサイズの合わない黒いズボンという格好であ らわれた。演奏は弱々しく、元気がなかった。メンバー自身も街も意気消沈していては、活気のあ る演奏などできるはずがない。聴衆は退屈し、わたしを含めておおぜいが居眠りをしていた。その 場に坐っているという責め苦が永遠につづくかと思われたが、やがて、がらりと雰囲気が一変した。
ステージの中央に歩みでたのは、黒いディナージャケットを上品に着こなした歌手ズラブ・ソト キラヴァだった。誰からも愛されているグルジア人、ソトキラヴァは、いまではモスクワの有名な ボリショイオペラの第一テノールになっていた。ユネスコの招待客に敬意を表するため、生まれ故 郷の街でゲスト出演することになったのだ。彼は胸をふくらませ、朗々と歌声を響かせて、ヴェル ディのアリアから伝統的なグルジアの曲まで歌いあげた。
彼が歌っていると、劇場はよみがえった。その声は彼の喉からではなく、どこかグルジアの遠い 過去から聞こえてくるように思われた。それどころか、どこか人間の無意識の集合的な記憶のプー ルから発生し、現在のグルジアの苦しみや悲劇とのあいだに橋をかけているように思われた。その声が導管となり、別次元のエネルギーや希望が、抑圧されて元気のないオーケストラや聴衆にもた らされた。彼の声は、ひとことで言えば、魂がこもっていた。魂が躍動し、深みからの発信機とし ての役割を果たし、現在をもっと広く豊かな視野のなかに置いていた。SQのパワフルな例と言え るだろう。
このグルジア人テノール歌手の公演は、わたしにとって、意味や価値のゲームを向上させるため に誰もがやらなければならないことを象徴していた。わたしたちはめいめい、「自分の歌」を歌わ なければならない。持てるかぎりの力を発揮し、SQを使うことによって、ほんとうの自己のいちばん深い層にアクセスし、その源から独自の歌を作らなければいけない。人間誰しも貢献する 可能性を秘めているのだ。
SQを使うのは簡単なことではない。わたしたちは意味のあつかいかたの多くを忘れてしまって いる。わたしたちの文化は文字どおりSQが低いのだ。人間の魂の豊かさを表現しようにも、適切 な言葉がない。喜びや愛、同情や優しさのような言葉は、表現しきれないほど多く のものを含んでいる。SQを使うということは、人間の想像力を広げることである。そして意識を 変革することでもある。普段慣れているのより深い自己の層を発見することでもある。そのために は自己のなかに意味のための基盤を見つけ、自己を超越しなければならない。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.50)
SQ「命」の感覚、生きている感覚。
ひとりひとり、体が違うように、感じ方も違います。
あなたは「命」をどのように感じたことがありますか。
詩人、リルケの場合
『オルフォイスに寄せるソネット』や『ドゥイノの悲歌』の作者であるオーストリアの詩人ライナ ー・マリア・リルケ(一八七二~一九二六)は、無名の詩人の言葉を読んで、そういった経験の意 味や、経験がもたらす深い安らぎを体験した。リルケは大人になってからずっと、自分がいつか正 気を失うのではないかと心配していた。
[わたしは]精神集中し、頭は平静そのものだった。外は公園で、何もかもがわたしと調和し ていた――けっして作られたのではなく、そのまま保存されているだけの時間だ。まるでもの が引き寄せられ、スペースができたかのようだった。バラの花の内側のように平穏なスペース、 天使のようなスペース、そのスペースのなかで人はひっそりと静まり(中略)。 [その瞬間が] いまやわたしのなかにあり、奇妙に強く、生きながらえて、まるで至高の〈存在〉ででもある かのようだ。過去数年間にそんな瞬間が二、三度はあり(中略)、まるでわたしのなかのラン プ、穏やかなランプのように、わたしの内面生活をうららかな澄んだ輝きで満たしている。そして思いだしてみては、心に残った感じに注意を払い、それらについてじっくり考えれば考え るほど、わたしのいまの概念によれば内容のないこういった経験は、ますます何か高度な統一 体に属しているように思われてくる。
リルケはのちにこういった経験を利用して、日常的な存在の下にある〈完全なもの〉について書き、死は、生の別の形でしかないという考えかたを発展させた。
こういった経験は、宗教的なものであれ、もっと漠然としたものであれ、非常によくあることで ある。ある報告によれば、西洋の文化では三、四割の人が大きな歓喜や幸福感のようなものを少な くとも一度は味わったことがあるという。それにともなって深い自己洞察が得られ、人生を新しい眼で見るようになったり、周囲の何もかもが生きて意識を持っているような感じを覚えたり、自分 を導いてくれる存在や慰めてくれる存在があるように感じたり、万物との一体感を感じたりしてい る。もっと精度の高い測定テクニック、たとえば個人面談などを使った調査では、この数字は六、 七割にはね上がっている。
その他
一九九〇年にオックスフォード大学のアレステア・ハーディ・リサーチセンターは、精神的な経 験について徹底的な調査を行なった。それは、新聞に載せたつぎのような質問に回答した、五千人 ほどの対象者を分析するものだった。「あなたは、日常的な自己とは違う存在やパワー――それを 神と呼ぼうと呼ぶまいとかまいませんが―を意識したことはありますか?」また、その実体験を被験者自身の言葉で描写するように依頼した。回答のなかにはつぎのようなものがあった。
特定のできごととは何の関係もなく、なんとなくうきうきした感じ。自分が抱えている問題 などとるに足らぬもので、まったくつまらないものだという感じ。ものの見かたが変わったと いう感じ。自分の理解度が増した、もっとうまく人生に対処できるようになったと感じた。生 き返り、若返って、ものごとを広い視野のなかで見るようになった。
非常に小さな存在になったという感じ。自分が経験したり考えたりすることなど、じつはみ なささやかなものなのだと感じた。自分が何か深遠な調和の周縁にいるだけで、先に進むには どうしたらいいのかわからない感じ。安らかで落ちついた気分。けっしてむきだしの感情を抑 えているわけではない。強烈な感情。
一九七七年に死んだ祖父に、その後何回か会ったことがある――感じただけだったこともあるが。祖父に会うととても慰められ、安心でき、確信が持てる。祖父があらわれるのはわたし が病気のときや、悩んだり心配したりしているときだけだから、なおのことだ。
(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.134)
性格を決める脳の部位:性格(心の表現)と自己と【古い脳・新しい脳】
この記事のまとめ
「性格」も「自己」も脳の働きで決まる「命」の神秘です。
性格
人間の脳は生まれてから今までに、もともとの状態を含めてどんどん変わっていきますが、環境の影響である特定の箇所が多く使われたり、使われなかったりすると「省エネ」のためにどんどん「傾向」がでてきます。それが性格と呼ばれるものです。
例えばある女の子人は「男っぽい」性格をしているかもしれません。ある人は「怒りっぽい」性格です。こうした性格を表す言葉はいくらでもありますが、現在、世界でよく研究されている性格の指標に「ビッグファイブ 」があります。この5つの因子は、脳のある特定の部分に関係しています。
外向性:腹側被蓋野・側坐核・中脳の報酬系構造体
神経質傾向:小脳扁桃・側頭葉の下にある神経核・海馬・右背外側前頭前野・扁桃体
誠実性:前頭葉・背外側前頭前野・眼窩前頭野
協調性:社会脳(扁桃体、眼窩前頭野、側頭葉、内側前頭前野、側頭頭頂移行部)
開放性:前頭葉
性格の強弱は、この脳の活動部位をどれだけ頻繁に、強く使っているかでわかる、というのがビッグファイブ の主張です。(赤色は新皮質のうちでも前頭葉と呼ばれているストレスの影響をもっとも受けやすい箇所です)
古い脳は原初的な「情動」と「反射」
赤色でない脳の部位は、大脳辺縁系などと呼ばれる進化的に古い脳です。
EQを説明する記事で詳しく説明します。
新皮質は「認知(世界の見方・感じ方)」「思考」「解釈」
新皮質は人間に特有です。特に抽象的な、創造的な働きにかかわる「前頭葉」が大切です。
学校教育では、抽象的な言葉をたくさん学びます。自分には関係がないこと、経験したことがないこと、現実に見ることができないことすら学びます。こういう抽象語を理解するときに使う脳が「前頭葉」です。
抽象的で、一番大切な言葉は「自己」だとおもっています。生きる歓びは「自己」を語る力にあると私はおもっています。言語能力は遺伝の影響が小さいというデータがあります。だれもがまず学ぶべきこと、それは自分と自分を取り巻く世界を自分事としてとらえ、自分事として解釈することだとおもっています。
本人が誰であるか、何をしているのか、なぜそれをやっているのかについて、自らに語る主観的ストーリーである。人間が物語を語る生物だというのは、疑う余地がない。(略)全く同じ客観的出来事が無数のことなる物語へと解釈されうるのだ。キャリアでは成功しなかったものの、さまざまな経験をしてきた人間は、自分の物語を失敗と欠陥のそれとして語ることもあるだろうし、あるいはまた勝ち残りの競争からの心楽しき闘争のそれとして語ることもありうる。(『パーソナリティーを科学する』ダニエル・ネトル p.250)
SQは脳のどの部位と関係する?側頭葉???
EQは前頭葉と扁桃核でした。
ではSQは?
どうやら、側頭葉と関係があるようです。
パーシンガーの同僚のひとり、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるレスリー大学のペギー・ アン・ライトは、高められた側頭葉の活動といわゆるシャーマニズムの経験のあいだの、おなじような結びつきを研究した。シャーマニズムとは、魂がはるかかなたの経験領域まで旅をし、生者や 死者の魂と交流して、癒しのアドバイスを持ち帰るものである。ライトの研究からも、精神的な儀 式で幅広く用いられているリズミカルな太鼓の音が、側頭葉や大脳辺縁系の関連部分を興奮させる ことが判明した。(『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.128)
大脳辺縁系の海馬や扁桃核は「意味」や「価値」の判断をする。そして大きなエネルギーを与えてくれる。それと強く繋がっているのが、側頭葉。
側頭葉は、感情と記憶をつかさどる大脳辺縁系と密接に結ばれている。大脳辺縁系のきわめて重 要なふたつの部分は、扁桃体――辺縁系のまんなかにある小さなアーモンド形のもの――と、海馬――経験を記憶として脳内に記録するのに欠かせないもの――である。パーシンガーの研究によると、これらの部分が刺激されると、側頭葉の活動がさかんになるという。逆に、側頭葉の活動がさ かんになると、感情に強い影響がある。記憶をつかさどる海馬とつながっているために、側頭葉の 活動による精神的な経験はたいてい数秒間しかつづかないのに、その強烈な感情が一生残ることも ある。人生を変える、と言われることも多い。 (『SQ 魂の知能指数』ダナー ゾーハー, イアン マーシャル p.129)
側頭葉は新皮質であり、新しい脳の部分です。
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