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9歳【内言・架空の友達・空想の友達】思春期に向けた自己形成・言語発達

9歳の思春期

9歳【内言・架空の友達・空想の友達】思春期に向けた自己形成・感情知性

“わたし”の発達―乳幼児が語る“わたし”の世界
“わたし”の発達―乳幼児が語る“わたし”の世界』岩田純一

この記事のまとめ

9歳から、大人です。

2、3歳児がひとりごとをいいながら遊ぶことがあります。学んだ言葉を自分で復習しているようなものです。

「オーライ オーライ 乗ルワヨ。ブーブデス。アチヨ車掌サンデス。切符ハ オ願イシマス。発車。」とか、「デンシャハ走ル ウマイケド オウマガパカパカ」*というようにデタラメの話を話すこともあるでしょう。

これが9歳ころになると、自己が発達することで内言がより高度な「思考」になります。

3歳児でも「僕がおもちゃをかしてあげたのに、Aちゃんはぼくにボールを貸してくれなかった。もう遊ばない!」ということがあります。思ったことをそのまま口に出す、というのも内言と言えますが、言葉にしない部分で、「前頭葉」を使って情動を処理したりする高度な使い方は、9歳ごろに花咲くようです。

自己分析・内省的思考:前頭葉がモリモリ発達していく

小学校の半ば頃になると、他者に物語るだけではなく、自己自身の反芻的、内省的に物語る能力が洗練されてくる。読み書き言葉への習熟は、そのことを促す契機となるように思われる。そのことばによって、過去の出来事や体験のなかでの自己(行動や感情)をより分析的に把握し、概念的に意味付けることができるようになる。それは内省的な自己への折り返しといっても良いだろう。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.191)

◆「今日、国語の時間にわからなかったので、島田くんが教えてくれました。それからだんだんきのうのことがわかって、今日の勉強においつきました。でも島田くんが休んで、その次の日来た時、休んでいた日のこといえなくて悪かったなあと思います。自分だけのことしか考えてなかったと思った時は、どうしようと思っていました。これからはみんなのことを考えないと、と思いました」(小学4年生)

このように、他者との関係におけるじぶんの行動の意味や、そこでの感情体験を内政・反省するといったことが特徴的に見られるようになってくる。子供の作文や生活記録文のなかに、自己の出来事をきっかけとして、じぶん自身やじぶんと仲間の関係を内省的に綴るようにもなってくるのである(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.200)

自問自答する

小学校も10歳頃になると、心理的な特性や肩書きといった属性によって自己を概念化するようになるだけではない。今の自己という存在自体への根源的な問いを初発するようになる。「あるとき急に『わたしはひとりぼっちだ』と感じたことがありますか」「『わたしはこんな風なおとなになっていきていくのだ』と考えたことがありますか」「心の中で自分に向かって『お前はバカだ』と考えたことがありますか」「心の中で自分に向かって『おまえはだれ?』とか『おまえはばかだね』などと話しかけたことがありますか」などといった自我体験尺度で質問調査すると、そのような体験反応が10歳頃に多く見られるようになるというまだ、十分にことばで表現できないとしても、「なんで自分がここにいるんだろう」「どうしてじぶんは生まれて来たのか」「鏡に映っているこのじぶんははたしてほんとうに〈わたし〉なのだろうか」といった、自己の存在をめぐる問いがこの頃にかけて特徴的に出現してくるようである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.199)

客観的・俯瞰的・多面的に考える

ハーターは、小学校の4年生頃にもなると、長所だけでなく欠点もあるが、それでも人として (as a person)じぶんが好きだといった総括的な自己評価も可能になってくるという。この自己への内政的・批評的な振り返りは、他者への批評的なまなざしを同時にもたらしていく。それまで絶対的な存在であった親や教師の人間性を評価したり、その欠点や長所を客観的、批判的に相対化してまなざすようになってくるのである。それは親や教師への口答えや反抗、陰口や批判的な言動となって現れ始めるのである。

◆「おさけは どうしてあるのかな。このことは ぼくのお父さんが いつもいつも おさけによっているので ぼくはいつも かんがえるのです。お父さんは よっぱらうと いつもすぐに ひとに めいわくをかけてしまいます。ときどき きんじょのひとにまで めいわくをかけてしまいます。」(3年生)(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.201)

 

◆「ぼくの家族は 4人です。ぼくは すえっこです。兄のぜん玉:母のしごとをよくてつだう。あく玉:ぼくからきらわれています。母のぜん玉:よくはたらく。あく玉:しんけいが細い。父のぜん玉:やさしい。あく玉:さけのみだ。ぼくのぜん玉:きめたことは すぐやります。あく玉:きめるまでが たいへん。」(3年生6月)
このように人となりを両義的、立体的に捉えることが、小学校の中頃からみられ始める。この頃からすでに、人の人格生を善玉、悪玉の両面から多面的に認識し始めるようである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.202)

「人格」で評価する

9歳以降、「その人は、こんな人だ」というラベルを貼り付けるようになります。

自分自身にも「ラベル」を貼ることもするでしょう。

高次の「心の理論」が発達するにつれ、関係する人間に応じて「自分のパーソナリティーを変える」ようにもなってきます。(もちろん、それは0歳から行っていることですが)

小学校低学年では、それらの人の外面的な特性や物理的な環境によって叙述することが多いが、小学校の3、4年生の頃にかけて、しだいに心理的、内面的な人格特性によるその人らしさの叙述が増えてくる。幼児では、このようなパーソナリティ特性を表す用語の使用は日常場面のなかでもほとんど見られない。しかしながら、そのような特性擁護のしようがないことが、他者を特性的に理解していないことと同じではない。

◆保育を観察していると、Uがわたしにパンチしてくる。それを見た他児が「おまえ弱いくせに(いつも弱いくせにそんなことをするの意味)」と止めようとする。Uは何かあるとすぐに泣いてしまう子どもである。そのような日頃の行動から、他児はUを「弱いくせに」という特性的にラベリングをしている。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.110)

自己嫌悪、他者からの評価など「心」が著しく変化するこの時期、子ども自身が、そして大人が子どもの「心」にどう関わるかが、一生を通じて「その子」を作り上げる基礎になります。

 

【架空の友達・空想の友達】2歳・9歳は対話する他者を必要とする

子どもの心的世界のゆらぎと発達: 表象発達をめぐる不思議
『子どもの心的世界のゆらぎと発達』木下 孝司

この記事のまとめ

2歳と9歳は、節目です。

「他の人には見えない、自分の中にいる、想像上の友達」です。

空想上の友達、架空の友達、などといいます。イマジナリー・フレンドともいいます。

言語が質的に、量的に変化する2歳と9歳ででてくることがあるそうです。

 

2歳前後から子どもの内部に子どもの”自己”と交流し役割を交換しうるような”他者”が住み始めるのである。これ以来、子どもの心は「空想の友達」をもちうるような基本的な構造を備えるようになると言える。事実、スベンセンの調査によれば、「空想の友達」が初出した時期の中央値は2歳5ヶ月である(『ことばが誕生するとき』p.70)

 

架空の友だち(imaginary companion)とは、子どもが想像で作り出した目に見えないキャラクターのことで、比較的長期にわたって存在し、名前もつけられ、日々の遊びや会話の中でたびたび登場してきます。周りの大人や子供たちからすると、まったく「リアルでない」存在ですが、作り出した当人にとっては非常に「リアル」な存在として迫っているようです。発達的には、早くて2歳頃に出現し、多くの場合就学前までに消失することが明らかにされています。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.177)

 

9歳
読書や演奏、試作やお絵かきで遊ぶ。
9歳半「空想の友達」がもう一度出て来る時。

【内言】9歳の自立心と感情のコントロールと思春期『感情』

感情

私たちは、多くの時間を、あるいは大半の時間を、恐怖に囚われたり恋愛に夢中になったりすることなく過ごしている。このような特に情動の介在のない中立的な心の状態でいる時、私たちは、通常、きわめて論理的に思考することができる。私たちは頭が冴えており、他人のいいかげんな主張を比較的簡単に見抜くことができる。しかし、強い情動が私たちの中に沸き起こったり、強力な気分が私たちをのっとったりすると、事情は全く異なってくる。このようなとき、頭(理性)は心(情動)の奴隷となるのだ。(『感情』ディラン・エヴァンズ p.107)

「だけど!だけど!」頭ではわかっているけれど、不安、恐怖で心が動けなくなっていることがある。
当たり前にやってきたこと、今までにつくった「価値観」、もしくは、発達の段階で「その時は役に立ってくれたけど、成長した今となっては、足を引っ張っているもの」がある。

「やらされ」続けた経験は神経回路に組み込まれてしまう。
せっかく発達した「内言(思考に使われる心的言語)」の語りかけに対して、心が反応できなくなってしまう。
課題をしないと、意味不明な進研模試をうけないと呼び出されてねちねちやられる経験を続けていると、学校の奴隷になってしまう。
自分の本当のチカラを、フルに使えているだろうか。

神経は記憶する。
体は記憶する。

自立心とは、このような心の拘束状態から自由になることで育てられるのであって、「させられる」ことに埋め尽くされた言語環境では育たない。

佐藤学という有名な先生の話を聞いた時に「経験的に、内言が発露するのは小学3年生から」ということを学んだ。
年齢でいうと8才から9才であり、オトノネ的な「思春期」の始まりと被っている。


『学力では測れない非認知能力が子どもをのばす』中山芳一 p71より

思春期は、生理的な生殖機能の発達だけではなく、言語的な、精神的な自立の時期だと、おとのねさんはおもっています。
思春期は、自立のために、内言を育て、個別化にむけて選択してゆく、他の動物にはない、人間的なプロセスである。

小学生の高学年になるころには「させて」いた習い事を全部やめてみて、本人の気持ちを確認することをオススメするおとのねさんにとって、この時期が「自己対話」が可能になる時期だという話は、ありがたかった。

(蛇足ではあるが、とある保育園の保育士の先生から「9才までは、もっとお母さんに、子どもを抱っこしてほしい」という話を聞いた。9歳はギャングエイジが始まる時期であり、まだ自立以前、お母さんとのふれあいが必要だ、という意味だとおもいます)

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感情のコントロール、育ちの中で得られた感情の癖、心の癖は、いたしかたなく生まれる。
だが、そのせいで内言が育たない、自己対話ができない、自分の力で自分を守る意志が働かないのでは、ずっとコドモのままになってしまうかもしれない。「通過儀礼」がなくなった現代で、これに変わる「儀式」が「受験」であるようだが、一人で乗り切るには辛すぎることもあるだろう。やっぱり助けてもらわないとなかなか乗り越えられない困難がある。

8050問題の解釈と学歴、マスコミ、景気の関係

受験勉強ってなんだろう。思春期との関係。塾の先生の役割。バリ島の儀式。

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自立した一人の人間として、助けてくれる人と出会えた人は、しあわせだ。

そして、「記憶された感情」が消えた時に、準備ができたときに、「忘れた時」に、新しい人との出会いがある、というのも、不思議と、また事実であるようにも思える。時間を、悠々と燃えている命を、プロセスに任せるという態度も、大切かもしれない。

それは、新しい「ファンタジー」、新しい「物語」を語り始める時だと、僕はおもっている。

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知能指数(IQ)は変化するのか?一生変わらないのか?

IQは人によって異なります。

IQが高い人もいれば低い人もいます。

ではIQの違いは遺伝なのか環境なのか?
答えは両方と言われています。

生まれ持ったものと育ってきた環境の両方が人のIQに影響します。

また、時期によってIQの意味合いは異なってきます。

一般的に、幼児期のIQというのは変動しやすいものです。

TOEICなど様々なテストを開発しているアメリカの機関、エデュケーショナル・テスティング・サービスに所属しているロナルド・ロック氏によると、

IQをより正確に出したいなら小学校3年生、早くても2年生以降と述べています。

つまり個人のIQの値が安定してくるのは9歳前後であることが予想できます。

ここでも、8歳がひとつの区切りになっています。

9歳の神話は本当?

人間の発達は「脳が不要だと思った部分を切り捨てていくこと」だといってもかまわないでしょう。使わない神経は捨てる。使う神経を強化していくのです。

9歳までは外国で過ごし「ペラペラ」だったけど、9歳を境に日本に来て使わなかったら英語を忘れてしまう、というバイリンガル教育の落とし穴も、脳の「取捨選択」現象によるものでしょう。

佐藤学という教育学者の経験談によれば「内言が豊かになるのは9歳」だそうです。この時期に、多くの変化が子供の中で起きているようです。

誕生時、人間の脳は完成にはほど遠い状態にある。脳は誕生後も成長を続けるが、最も急速に – 発達するのは子供時代だ。新生児の脳には成人の脳よりはるかに多くのニューロン(神経細胞)があるが、誕生直後の「刈り込み」と呼ばれるプロセスによってあまり使われない神経結合は失 晴われ、よく使われる神経回路が発達する。余分なシナプスを廃止する「刈り込み」によって情動伝達における「雑音」の原因が取り除かれるので、脳内の信号/雑音比率が改善される。「刈り 込み」は大脳新皮質全体にわたって短期間のうちに起こる。シナプス結合は数時間ないし数日の単位で形成されてしまう。経験――とくに子供時代の経験が脳に刻み込まれるのは、このような仕組みによる。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.341)

 

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