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【情動を知り前頭前皮質を大事にする】心のお守りをつくる情動教育

【情動を知り前頭前皮質を大事にする】心のお守りをつくる情動教育

この記事のまとめ

時間をかけて「お守り」をつくりませんか。

EQは自分の心・他人の心を知りよりよく生きる能力

マシュマロ・テスト 成功する子、しない子

マシュマロ・テスト 成功する子、しない

EQは情動をコントロールするチカラと表現した時、「したいけど、しちゃだめ」とか「つまんないけど、やらなきゃ」という事態でEQのチカラが試されます。退屈な授業を「ぼーっ」と過ごしたり、「落書き」して過ごす子どもたちは、情動の知性をうまく使っていると言えるかもしれません。

(そもそも教室にいなくてはいけないという圧力がかかっている条件で、なんとか生き残ろう、という気持ちが自然にでてきた結果です)

扁桃核の判断と前頭葉の判断が違う時に、「どうしたら前頭葉の力を強められるのか」「あっちにころばずに、こっちにころべるのか」という意志の力を支えるスキルが、EQともいえます。

うまく先延ばしにできる子供は、気をそらし、自分が経験している葛藤とストレスを和らげるために、ありとあらゆる工夫をした。意志の力を妨げられないように、楽しい空想の気晴らしを考え出して、つらい待ち時間を過ごしやすくした。例えば、短い歌を作って歌ったり、滑稽な顔やグロテスクな顔をしたり、鼻の穴をほじったり、耳掃除をして出て来た耳垢をいじったり、足の指を鍵盤に見立てて手で引いたりという具体だ。気をそらす手立てを使い尽くした挙句、目を閉じて眠ろうとする子もいた。ある女の子は、とうとうテーブルの上に手を組んで頭を乗せ、深い眠りに落ちた。その頭からベルまでは、わずか数センチしかなかった。こうした作戦は、未就学児が使うのを見ると目を見張らされるが、教室の最前列に座って退席するわけにもいかず、退屈な講義を最後まで聞く羽目になったことがある人なら誰にとってもお馴染みだろう。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.40)

EQは学んで得られる「学ぶ力」

EQは、学ぶことができる、教えてもらえる、というのが大切なところ。

実験者は一方の条件では部屋を出る前に、もっちりして甘いマシュマロの味というう、ご褒美のホットで欲求をそそる魅力的な特徴を考えるように子供達を促した。一方、「クールに考える」条件では、マシュマロのことを丸くふっくらした雲だと考えるように促した。子どもたちは、ご褒美のクールな特徴に注目するように仕向けられると、ホットな特徴に注目するように仕向けられた時の倍の時間、待つことができた。(略)「クール」に考えるように仕向けられたときには、簡単に待つことができたのだ。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.44)

気分を変えると、ストレスに打ち勝つというスキルも、子どもたちはすぐにやってのける。すごい。

一人にして誘惑と向き合わせる前に、待っているあいだ、悲しくなるようなこと(泣いていても誰も助けてくれない状況など)について考えたりしてもいいと言っておくと、もらえるお菓子のことについて考えるように進めたときとおなじぐらい早く、待つのをやめた。楽しいことを考えたときには、その3倍近く、平均で14分弱待てた。9歳児を(例えば描いた絵について)褒めると、作品についてネガティブなフィードバックを与えた時と比べて、報酬をただちにではなく、待ったあとでもらうことを選ぶ場合がずっと多い。そして、子供達に言えることは大人にも当てはまる。ようするに、私たちは悲しい時や落ち込んでいるときのほうが、欲求充足を先延ばしにする可能性が低いのだ。慢性的にネガティブな情動に襲われたり鬱に陥ったりしがちな人も、幸せな人と比べると、あとでもっと価値ある報酬を得るよりも、それほど望ましく鼻い報酬をただちに手に入れることを好みがちだ。 (『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.44)

やっぱり前頭葉

マシュマロテストでは「象」を「ホットシステム」、「象使い」を「クールシステム」と呼んで、「クールシステム」が使える状態つまり新皮質がきちんとはたらいている状況を保つことが、なによりも現代社会を生きる知恵なのだと、述べています。

私たちの大脳辺縁系は依然として、進化上の祖先の大脳辺縁系とほとんど同じように機能する。今でも情動的にホットな「ゴー!」システムのままで、快楽や苦痛、恐れといった情動を自動的に引き起こす強力な刺激に対する、素早い反応を専門としている。(略)脳のホットシステムと密接に相互接続しているのがクールシステムで、それは認知的で、複雑で、思慮深く、ゆっくり活性化する。おもに前頭前皮質に座を占める。(略)強いストレスがクールシステムを押さえ込み、ホットなシステムの効果を高めることは、ぜひ指摘しておかなければならない。ホットシステムとクールシステムは、互いを補うかたちで絶え間なく相互作用し、一方が活発になるともう一方が活動を弱める。私たちは、ライオンに対処することは稀だが、現代社会の果てしないストレスとは日常的に直面しており、そこではホットシステムがしばしば優位に立ち、クールシステムが最も必要なときに、それが使えない状態になっている。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.54)

0歳からEQを学ぶ

「母親がいなくなるというストレスに幼児がどう反応するか」を調べた研究があります。「お母さんがいなくても平気」なのは、実は2つの全く逆の解釈ができるのでなんともいえないのですが。1歳ですでに4歳になった時の行動を予測できるということは、、、幼児期の関わり合いが大切すぎるということでしょう。

母親のいないあいだ、おもちゃで遊んだり、部屋を探検したり、いっしょに残された個人とかかわわったりして気をそらすことができた幼児は、ドアから離れられず、たちまち泣き出した子どもが経験した強烈な不安を避けられた。母親不在の2分間に幼児が経験するストレスは、刻々と高まった。最後の30秒間は、永遠にも感じられたに違いない。このもっともつらい時間に幼児が見せた行動が、その子の将来を占う上でとりわけ有用であることがわかった。完璧にはほど遠かったが、偶然よりもはるかに高い確率で、保育園でマシュマロ・テストを受けたときにどう振舞うかが予測できたのだ。具体的には、「新奇な場面」で別離の最後の30秒間を、母親からの不在から気をそらして過ごせた幼児は、5歳になってマシュマロテストを受けると、お菓子のためにより長く待ち、より効果的に気をそらすことができた。(略)この結果は、人生の早い段階からストレスをコントロールし、「冷却」するために注意を調整するのが重要であることを強く示している。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.65)

情動にハイジャックされないように

EQ こころの知能指数
『EQ こころの知能指数』

SQ生きかたの知能指数
『SQ生きかたの知能指数』

本はいくらでもでています。アンガーマネージメントとか、不安にならないようにとか、いろんな本がでているので一つ一つためしてもいいのですが。。。

もっとも、情動をマネジメントする前頭葉があくせくしていたら何にもなりません。ゆっくりする時間を作る、ただただ休む時間をつくる、ということから始めるのがよい人もいます。

効き目があるのは、「信頼できる誰かに話す」ことだとおもいます。怒りや不安といった情動が常習化している人は特に「変える」ことが難しいかもしれません。一人では難しい、だから「変えたい」ことを誰かに伝えて、支えてもらってほしいとおもいます。

次の物語のように、天使が現れるのも、ありうることでしょうか。

ホットシステムを冷却するためにクールシステムを使える。が、ホットシステムに働きかけることで、ネガティブな感情に対処できるようになる。「よいもの」を取り入れることの大事さを感じます。

ジョン・チーヴァーの1961年の短編「橋の上の天使」は、自制のスキルに優れ、心理的な免疫系が最善を尽くしており、自制心と意志の力を働かせようという動機付けがこれ以上ないほど強くてもなお、クールシステムが容易に損なわれるることを教えてくれる。物語の主人公は、マンハッタンに住む羽振りの良いビジネスマンだ。アルバン彼が家に帰るためにジョージ・ワシントン・ブリッジに近づくと、突然、猛烈な雷雨に襲われる。風が吹き荒れ、この大きな橋が揺れているように感じられて、主人公(名前は出てこないので、「ブリッジマン」と呼ぼう)は、橋が崩壊するのではないかという恐ろしい考えが頭に浮かび、パニックになる。

彼はなんとか家まで帰り着くが、自分がジョージ・ワシントン・ブリッジだけでなくほかの橋に対しても、身動きが取れなくなるような恐れを抱いてしまったことに間も無く気づく。ブリッジマンは仕事のために橋をしばしば渡らなければならないので、意志の力で恐怖心を克服しようと必死になるが、どんなに懸命に努力してもうまくいかず、しだいに落ち込み、自分はどうしようもない泥沼にはまってくくだけなのだと思われてならなくなる。(略)

幸いなことにチーヴァーの物語の中では、「天使」がブリッジマンを助けてくれた。それはある晴れた日のことだった。彼は橋を渡らないで目的地に着く道筋を見つけることができずに、渡らなければならない橋に近づいていくと、再び恐怖に襲われた。彼はそれ以上進むことができなかったので、しかたなく車を道路脇に止めた。そのとき、一人の愛らしい天使のような若い娘が小さなハープを持って近づいてくると、車に乗せてくれるように頼んだ。その長い橋を渡る間ずっと、娘が耳に心地よいフォークソングを歌って聞かせてくれたので、彼の恐怖心は消えていった。ブリッジマンは、ジョージ・ワシントン・ブリッジを私のはやはり用心して避け続けたが、ほどなく、他の橋を渡る行為は日常生活の一部に戻った。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.231)

「自分は情動をコントロールできる」という自信がつくようになるといいですね。

心に描く相手は、目の前にいる。

脳は不思議だ。人間は不思議だ。

「お守り」は、本当に心の中につくる他者の姿であるようです。

脳を画像処理しながら観察する方法でおこ なわれた後年の研究によると、「あなたはどう感じていますか?」という質問をしても、「彼女はどう 感じていますか?」という質問をしても、被験者の脳はほぼ同じ神経回路を活性化させて回答を出す ことがわかった。自分の感情を感じとろうとするときも、他人の感情を感じとろうとするときも、脳 はほとんど同じように働くのだ。 幸福、恐怖、嫌悪などの感情を表わしている人物の表情を真似してその感情を自分の中で喚起してください、という課題を出してみたところ、この課題を実行するときに活性化した神経回路は、その 人物をただ見ていただけの場合(あるいは自然に感情が浮かんできた場合)に活性化する回路と同じ だった。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.93)

困った時に自分を助けてくれる他者を自分の中に作り出すこと、それが「お守り」をつくることです。

愛は情動を抱きしめる(情動教育で健康的なPTSD)

幼少期の情動体験(情動教育)の大切さ

「子供に情動面のコーチをしてやることによって、親は子供の迷走神経の感受性をやわらげるこ とができます。情動面のコーチとは、子供が抱いている感情について話し相手になり理解を助け てやること、批判や断定をしないで感情の問題解決に手を貸してやること、けんかの相手を殴っ たり悲しいときに殻に閉じこもったりするかわりにどうすればよいかを教えてやることです」。 親が上手にコーチしてやれば、子供は扁桃核に攻撃・逃避反応をけしかける迷走神経の興奮をよ り効果的に抑制でき、適切な行動がとれるようになる。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.346)

PTSDは小さい頃の記憶、もしくは大人になってからでもとんでもなく感情が揺さぶれた時に起こる。その際、子どもの時の記憶が無意識に沈みやすいのは、「感情を言葉に」せずに海馬の深いところに記憶を沈めてしまったから、と考えると説明がつくようです。

情動反応の不正確さを増す要因がもうひとつある。強烈な情動の記憶は生後二、三年までの幼 少時における養育者との関係から生じる場合が多いという事実だ。虐待や遺棄などによって心が 深く傷ついた場合は、とくにこの傾向が強い。生後まもない時期には、脳の他の部分、とくに言 語的に文脈を記憶する海馬や理性的思考の場である大脳新皮質は発達途上にある。扁桃核と海馬 はそれぞれ独自に状況を記憶し、必要に応じて貯蔵してある情報を取り出す。ただし、海馬が取 り出した情報を情動反応に結びつけるかどうかを判断するのは扁桃核だ。扁桃核は海馬に比べて 誕生の時点ですでにかなり発達しており、生後まもなく完成してしまう。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.46)

保育所等では子供が「言葉がまだ未熟で行動や振る舞い、仕草にあらわす」のは保育士によく知られている。友達との喧嘩も、うまく遊びには入れなかったりするのも、癇癪を起こしてしまうのも、自分自身にかけるお守り(言葉)で自分を情動から守れないからだ。

人生の始まりの数年間における人間関係、とくに養育者との関係がその人の情動学習をだいたい決めてしまうというのが精神分析の基礎的な考え方だが、ルドゥーは幼少期における扁桃核の 役割を根拠にこの説を支持している。扁桃核が学習したことは、その人の情動に非常に強い影響 を残す。にもかかわらず、成長したあとでその内容をさかのぼって理解することは難しい。情動 の記憶は言葉にならない大ざっぱな情動性向の設計図として扁桃核に貯蔵されているからだ。幼少時の情動の記憶は本人が経験を表現する言葉を持たない時期に形成されるため、成長したあと でその記憶がよみがえったとき、自分自身がとった反応を整理して考えることができないのだ。 何かが原因で感情的に爆発してしまった自分自身に私たちがひどく困惑するのも、爆発の原因が 遠い昔、まだ自分が周囲の混沌とした状況を理解するための言葉を持たなかった時代に端を発し ているからかもしれない。心の中に渦巻いている不可解な情動のもとになっている記憶を表現す る言葉がないのだ。 (『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.46)

このような仕組みを「コンプレックス」と呼ぶことがあるかもしれません。小さい時に言語化できずに「もてあましてしまった」情動が海馬の無意識の海を泳ぎ回っている状態だとおもえば、「性格を変える」ことがなかなか難しいことも納得できるでしょうか。

幼少期が大切といいながら、大人になってからも、適切な、健康的な、幸せな情動処理を行えるかどうかは、どうも幼少期でも大人になっても、他者の存在が大切なのだと私には思う。無意識の中で、「大丈夫だよ」と囁いてくれる他者をつくりだす。それが「お守り」として、大人になってからも役立ちます。

健康的なPTSD?

Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害

トラウマになるストレスの後の障害という意味です。

「お守り」は「健康的なトラウマ」といってもいいでしょうか。本来、人間は生き残るために、命を落とさないために「好き」よりも「嫌い」の方が記憶に残るようにできています。好きなものに向かうよりも嫌いなものを避ける傾向が強いことは行動経済学の本でも読んだ記憶があります。

だからといって、海馬が「しあわせの記憶」をたっぷり貯蔵して、「しあわせになる解釈」をしてくれるなら、扁桃核は「大丈夫だよ」「安心してね」という指令を送るはずです。

感動的な、心が揺れる、扁桃核が反応する、「トラウマになってしまうしあわせな経験」を小さい頃からたっぷり(特に他者と評価され傷つきやすくなる学童期にかけて)していくことで「強くてやさしい」、しあわせな人になるのかもしれません。

「トラウマになってしまうしあわせな経験」を物質に頼れば、麻薬やアルコール依存症になり、しあわせどころかボロボロになってしまうでしょう・・・小さい頃から「お守り」を手渡してあげた方が、よさそうです。

そのためには、お母さん自身が、ストレスをマネジメントできていた方が、よさそうですね。

ストレスを子どもに感染させない。感染したら癒す。

「子どものために何をしてやればいいのでしょうか」という質問が親から出る。十分に時間があればまず、子供がお腹にいる間と生まれてからの数年間は、ストレスレベルを低くしておくことがとくに重要だと説明する幼いうちに子どもを長期にわたって極端なストレスにさらすと、恐ろしい害をその子に与えかねないことはよく知られている。それに比べるとあまり知られていないが、1歳になるまで、一見すると軽度のストレス要因い慢性的にさらされて暮らしている(たとえば、暴力を振るわないとはいえ両親が絶えず争っている)子どもたちは、眠っているあいだに怒鳴り声が聞こえただけで、脳内でのストレス反応が拡大する場合がある。赤ん坊のストレスレベルを低く保つための第一歩は、子ども生まれると親のストレスが高まる場合が多いことを自覚して、親が自分自身のストレスを減らすことだ。

衝動や誘惑、拒絶される経験に対するホットシステムの反応を「冷却」してコントロールするときと同じ戦略が、真夜中に数時間おきに泣いてむずがる赤ん坊の面倒を見るときにも使える。あなたが疲れ果てているときにはなおさらだ。保護者は子どもが生後一年未満のころから、気をそらす戦略を使って子どもの心を苦悩の感情から遠ざけ、気晴らしになる刺激や活動の方に向けてやることができる。そのうちに、子供は自分で注意をコントロールし、自分の気をそらして苦悩を和らげることを学ぶ、これは、実行機能を発達させる基本的なステップだ。親はこの変化の導き手として力を貸すことができる。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.294)

疲れている新皮質を、休ませる扁桃体。

情動の力、「象」、「ホットシステム」扁桃体、いろいろな呼び名がありますが、これらは悪さばかりではない、人間が生きるために必要なものです。

生きている喜び、リラックスした状態を「よろこぶ」のはこの部分だからです。

 

ニューヨークのアッパーイーストサイドにある上品なハンガリー領事館でのレセプションで、疲れ切った聴衆がプログラムの開始を待っていた。長い1日の仕事が終わった夕方遅くだった。40歳ぐらいからずっと年上までの、ほとんどはグレイか黒のビジネススーツを着た「芸術に造詣が深い」人たちが、ロレックスの腕時計やiPhoneを再び見やり、目を閉じ始める。散々待たされた後で、突然、スピーカーから大音量の音楽がどっと溢れ出した。

今、悪いことをしたいんだ!あとで苦しんだってかまうものか!

寄せ集めのようなバンドがステージ上でその歌詞をいかにも楽しそうにがなり立て、バイオリンやギターを荒々しく演奏し、ドラムやメタル缶を叩き、カスタネットを打ち合わせ、ラトルを振り鳴らした。小さな古びた中折れ帽を被り、ヒッピーのような服装をしたバンドのメンバーは、お互いに呆れるほどふざけあい、いかにもまじめそうな聴衆にも誘いをかけてきた。ハンガリーに旅行に行きたいという気持ちを掻き立てるために。

居眠りをしていた聴衆は度肝を抜かれて、ロックコンサートで若者があげるような興奮した感性と唸り声を思わずあげた。もしそうでなく、プログラムが型通り、ブタペストのすばらしさについてのビデオと講演ではじまっていたとしたら、咳が止まらなくなったふりをしながら出口に向かう人たちがたちまち続出していたことだろう。バンドが興奮を引き起こすまで、聴衆はおのおの自制心の発揮し過ぎで疲れ、そろって深刻な意志の疲労状態にあったように見えた。毎日意志の力を使った努力を続け、ストレスの多い長い1日の仕事をやり通すだけでも、人は披露しうる。

聴衆は内なるキリギリスを今すぐ喜ばせてやりたくてうずうずしていたので、羽目を外せ、陽気にやれ、ホットシステムを楽しませろというバンドの誘いを嬉々として受け入れ、そのあいだ、働き過ぎたクールシステムは一休みしていた。(『マシュマロテスト』ウォルター・ミシェル p.239)

 

精神的虐待=肉体的虐待:拒絶の痛みは体の痛み【損傷する前帯状皮質】

この記事のまとめ

ココロの痛みは、カラダの痛み。

カラダの痛みは、ココロの痛み。

鬼気迫る痛み、体の反応は進化的に古い脳、大脳辺縁系に関わっている。その中で「拒絶」もしくは「喪失」に関わる場所が前帯状皮質です。

わたしたちはだれかと心を結びあおうとして相手が応えてくれないと、心が 傷つく。母親に応えてもらえない赤ちゃんのように、満たされない思いを味わう。 こういう気持ちが起こるのは、神経の働きによる。人間の脳の中で社会的拒絶を受けとめる部分は 前帯状皮質で、これは肉体が傷ついたときに活発に反応する部分とまったく同じなのだ。前帯状皮質 には、肉体的苦痛がもたらす不快感を喚起する働きがある、とされている。(略)

拒絶されたときの胸にズキンとくる感覚を「心が傷ついた」という肉体的な痛 みになぞらえて表現するのは、まさに的確な比喩とうなずける。肉体的な痛みと社会的な痛みを等値 する表現は、世界各国のさまざまな言語に共通して見られる。(略)

前帯状皮質に損傷を受けたサルの子は、母親から引き離されても苦痛の叫びを上げるこ とをしない。自然界でこういう状態になれば、それはそのまま生命の危険につながる。同様に、サル の母親が前帯状皮質に損傷を受けた場合、子ザルが苦痛の叫びを上げても、抱き寄せて守ってやると いった反応を見せなくなる。人間の場合、母親が赤ちゃんの泣き声を聞くと前帯状皮質に警告が届き、 母親が反応するまでその状態が続く。 人間どうしの結びつきが太古からのニーズであったことを考えると、涙と笑いの中枢が脳の最も古 い部分である脳幹の近接した領域に置かれている理由も理解できる。笑いと涙は、社会的結びつきの 最も重要な場面――誕生、死別、結婚、久しぶりの再会など――で自然にわいてくる。別離をつらく 感じ、社会的きずなを喜ぶ感覚は、人間どうしの結びつきがもつ力の大きさを物語っている。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.174)

情動のマネジメント法(認知療法的アプローチ)

言葉で書くと単純です。

1:認知「今私はこういう情動をもっている」

2:意思「この情動をコントロールしたい」

3−1:再認識

3−2:行動「休もう」「誰かに話そう」「散歩をしよう」「日記を書いてみよう」

1:認知

これが大切です。どのくらいの強さの?どんな?そしていまどうしようとしている?何があったの?強い情動を弱く見積もったり、弱い情動を強く見積もっていることもあります。

不安や怒りを感じた時の記録をとるのでもいいでしょう。

2:意思

自分と関わるための意識が必要です。情動に流されて混乱状態になっていたらできません。

3−1:再認識

認知行動療法というものがあります。簡単にいうと何かが起こったらこれこれ自動的に思考していることを改めていく、というものです。「相手はこういう状況だったのではないか」「自分はこういうことが理由で感情的になったのだ」といった分析をすることです。

自動思考に「異議あり!」を申し立てるのです。これを批判的な心といってもいいでしょう。情動の回路をつなぎ直す作業です。物事を別の視点でみる心のしくみを作ることです。

脱感作法というものもあります。リラックスして前頭葉が働く状態で、少しずつ、少しだけ、ストレスのかかる状況を思い出したり、イメージしながら嫌な感情をやさしくつつむような方法です。

このように情動の自己認識と健全な懐疑心を組み合わせれば、軽度の不安神経症を起こす神経 の活動にはブレーキがかけられるはずだ。不安をコントロールする練習に力を入れれば、不安を 抑制する神経回路を活性化させられるかもしれない。同時に、リラックスした状態を積極的に作 り出す努力をすることで、情動の脳が送り出す不安信号に対抗できるようになる。 「実際にこの練習を続けるうちに不安とは相容れない精神状態を作りあげることができる、とボ ーコーヴェッツは指摘する。くりかえし生起する不安を放置しておくと、不安は説得力を持つよ うになる。しかし不安心理を自分で納得できるさまざまな視点から考え検証してみれば、不安を 喚起するひとつの見方だけを単純に信じ込む傾向を抑止できる。精神病に分類されるほど重症の不安を抱えた患者のなかにも、この方法で症状が緩和された例がある。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.113)

3−2:行動

刺激から離れる、気晴らしに散歩をする、自分が情動をコントロールできる状態(環境!)を作り出すこと。

日々仕事に追われてハードワークをしていると気がつかない、心の疲れでストレスが溜まっていることがあります。

Youtubeをみて元気をもらう、映画をみる、音楽を聴く、といったひとりひとり違うことで刺激から「離れる」工夫ができます。

次の説明は、「不安」についてですが「怒り」についても同じように考えられます。

ダイアン・タイスによる調査では、軽度 の抑うつ気分をふりはらうための気晴らしとしては読書、テレビ、映画、ビデオゲームやパズ ル、眠ること、楽しい休暇の空想にふけること、などをあげた人が多かった。ウェンズラフの説 を援用するならば、気晴らしとして最も効果的なのはエキサイティングなスポーツ、笑える映 画、元気の出る本など雰囲気をガラリと変えてくれるものだろう(ここで注意をひとつ。気晴ら しのなかには、それ自体が憂うつな気分を定着させてしまうものがある。テレビを毎日たくさん 見る人たちを調査したところ、テレビを長時間見たあとは見る前より気分が落ち込むという)。 タイスによれば、エアロビクスは軽度の抑うつ神経症によく効く気晴らしのひとつだという。(略)

いずれのアプロ ーチも、脳を情動障害と相容れない覚醒レベルに置いてやることによって抑うつや不安のサイク ルを断ち切ろうとする試みだ。 一楽しいことや気持ちのいいことをして自分を元気づける方法も、憂うつな気分を吹きとばす特効薬として比較的よく使われてきた。熱いお風呂につかる、好物を食べる、音楽をきく、セック スをする、といった類だ。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.121)

困った時こそ??

自分の内面の情動の疼きを見つめてしまうのではなく、他者に眼差しを向けることで「負の連鎖」を止めることも有効です。「今日は調子悪いから、自分のこと頑張るんじゃなくて誰かのサポートに徹しよう」と考えるだけでもいいかもしれません。

同じように、ガン患者も、病状がいかに深刻であれ、自分よりさらに重症な患者のことを考えると少し元気が出る(「私はまだいい、歩けるんだから」)。自分を健康な人間と比べる患者は、 いちばん落ち込み方が激しい。自分よりつらい状況を考えると、意外なほど元気が湧いてくるも のだ。今まで意気消沈していたのが、それほど悪くないと思えてくる。 助けを必要とする人々に手をさしのべることも、抑うつ状態からの脱出策として効果がある。 抑うつは自分についてくよくよ考え込むことが良くないのだから、苦悩を抱えている他人に共感 を寄せて自分自身から関心をそらす活動が効果的だ。リトル・リーグのコーチをする、ひとり親 家庭の子供を援助する、ホームレスのための炊き出しをする――タイスが調査した中では、こう したボランティア活動に身を投じる行為は気分転換として非常に効果的だった。ただし、実行し ていた人は非常に少なかった。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.122)

情動は、生まれてくるもの。自然に現れてくるもの。

大脳辺縁系と呼ばれる進化的に古い部分にある扁桃核が生み出す情動は、生み出されてしまう。ただ、新皮質の前頭葉でそれに対する反応は制御できる。と認識することは大切です。

怒りや、悲しみや、もちろん喜びは、感じるものです。生まれて出てくるものです。情動をどのように抱きしめるのか、包み込むのか、あやしてあげるのかを学んでいくのが、情動知性の教育です。

心理療法で改善できるのは主として情動反応が起こったあとの対応の部分であって、情動反応 を起こしやすい性向そのものを完全に消し去ることはできない。このことを明らかにしたのは、 ペンシルバニア大学のレスター・ルボースキーのチームによる心理療法例の研究だ。

ルボースキ ーらは、数十人の患者についてセラピストのもとを訪れる原因となった人間関係の葛藤を分析した。患者たちの心を悩ませていたのは「他人に好かれたい」、「親しい人間関係を築きたい」とい う強い願望だった。あるいは「自分は何をやってもだめだ」、「自分の力だけでは何もできない」 という不安だったルボースキーのチームはさらに、患者たちが人間関係のなかで右のような願 望や不安を抱いたときにどのような自滅的反応を見せているかを詳細に分析した。患者のなかに は、自分の要求を強く押しつけすぎて相手を怒らせたり相手から冷たくされるケースがあった。 あるいは相手に軽蔑されるのをおそれて殻に閉じこもってしまったために、反対に相手が拒絶さ れたと思って腹を立てる、といったケースもあった。気持ちの行きちがいから人間関係が泥沼化 していく場面で、患者は当然ながら絶望や悲しさ、恨みや怒り、緊張や不安、自責の念などで混 乱状態になっている。患者によって具体的な内容はさまざまだが、配偶者や恋人、親と子、職場の同僚や上司など大切な人間関係において必ずといっていいほど自滅的パターンが出てしまう点 は全員に共通していた。

しかし心理療法を続けるうちに、患者に二種類の変化が見えはじめた。自滅的パターンの引き 金となるような場面に遭遇しても以前ほど過激な情動反応を見せなくなり、相手に対しても自分 の望む人間関係を実現するために有効な働きかけができるようになったのだ。ただし、患者の心 の底に最初からあった願望、不安、心の痛みは変わらなかった。心理療法が終わりに近づくころ には、患者の自滅的な情動反応は最初の半分くらいに減少し、相手から望みどおりの反応を得ら れる確率は二倍に増えた。しかし、患者たちの欲求の根底にある特殊な感受性だけは変わらなか った。

脳のしくみで言えば、不安をかきたてる場面に遭遇すると大脳辺縁系の回路があいかわらず警戒信号を発するのだが、前頭葉皮質とそれに関係する部分が新しく学習した健全な反応で介入す る、ということだろう。簡単に言えば、情動の脳が学習したことは――子供のころに深く刻みこ まれた心の習慣でさえ――修正できるということだ。情動の学習は、死ぬまで可能なのだ。 (『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.326)

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