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【人見知りする理由】6ヶ月から9ヶ月までの赤ちゃんの願いと葛藤

【人見知りする理由】6ヶ月から9ヶ月までの赤ちゃんの願いと葛藤

6ヶ月:発達の質的転換期1「選ぶ」力と「欲張り」な能動性

対の対象の見比べと持ち替え。(操作は「1つ」だけ)
二つのものがおいいてあるとき、まず「見比べ」、次に一方に手を伸ばし感覚を確かめ、もう一方のものに「持ち替え」同様にするだろうか。

「選び取る」対象へ向かっていく能動性の身体的な現れ(目に見えるものから選ぶ)

一品づつ盛り分けて食事を出し、自分で考えて選び自分で決めるようにすると(靴下を自分で選ばせてあげるのでもよし!散歩の道を極めるのでもよし!遊びを選ぶのでもよし!自分が決めたことに満足するような活動でも!)、1歳半で自我が芽生える力になる(目に見えないものを選ぶ・決める)。

見比べて一方に手を伸ばす能動性
もう一方にも手を伸ばす「欲張り」な能動性→10ヶ月になるとより小さいもんおへ興味やたんん作画切り替わる

能動的身体の使用が可能なことで、外界に新奇なもの、珍しいものを発見して次々探索していくようなエネルギーが高まりやすくなる。→さらなる発達へ

能動的身体の使用が困難であれば、そのエネルギーは高まりにくくなる
→さまざまに探索して、そこでの発見を他者と共感し、対象を共有すしあっていくような、ことばの土台になる「共有関係」が形成しにくくなる。(10ヶ月で手から物を離す力の獲得しても、相手に手渡すことができずに放り投げる。)

つまむなどの所作が可能であれば、大きな瓶よりもキラキラした小さな鈴を志向するかもしれない。(10ヶ月)

こういった活動を行いつつ、二つ(「対」)の対象を提示した正面にいる他者に対して、対象へ手を伸ばすとき、把握するとき、持ちかえるときなど に視線を向けてくる。そのとき他者は、多くの場合、「上手にとれたねぇ」など と支持し励ますような言葉かけを行うだろう。そういった他者との関係を契機 にして、子どもは次の活動を展開させていく。

つまり視覚と手指操作(目と手)の協応系の活動によって、対象を「一方」と「も う一方」、「表」と「裏」(子どもが表と裏という意味を認識しているわけではな いが)というように一面的ではない関係として認識していくための基本的な「可 逆操作」が獲得され始めているのである。さらに、それらの操作は、他者をも「対」 の一方に位置づけ、他者からの激励や意味づけを要求しつつ、さらに展開して いく。この他者との関係の形成が、「可逆対操作」の獲得においては、重要な意 味をもっている。

さらに、「一方」を持ちかえつつ吟味し、「もう一方」の存在を認めて、そち らにも手を伸ばそうとする。対象への能動性、志向性が、見比べて「一方」に 手を伸ばすような選択性を内包し、さらに「一方」を手にするだけではなく、「も う一方」にも手を伸ばすような「欲張り」な能動性にも発展していくものなの である。それを確保するために他方の手を伸ばして把握すると、今把握してい るものが手から放れてしまう。「もう一方」を確保することはできたが、最初に 把握したものが手から放れてしまったのがわかって、それを把握しなおそうと する。そうすると、今手にしているものが放れてしまう。子どもはイライラし だすかもしれない。こういった子どもの能動性、志向性の高まりによる要求と 現実の操作のレベルの矛盾は、対象への能動性、志向性の高まりが十分なもの であるならば、必然的に「一つ」だけではない「もう一つ」とも接点をもって、 生後9か月頃の外界との二つの結び目を操作する「示性数 2 可逆操作」の獲得 へと進む前提になる。(『障害の重い子どもの発達診断』p.56)

 

生後6、7 か月頃の発達の質的転換期において、「対」の対象への「見比べ」や「持 ちかえ」、そして「もう一つ」への「欲張り」な能動性、志向性、選択性が高ま りにくいと、次のような傾向が現れやすい。⑴外界のさまざまな対象に対する 活動が、一つの接点で完結してしまい、その対象を口に入れたり、回転させた りするような「常同行動」を顕在化させていくことが多い、⑵そういった「常 同行動」の顕在化は、激励や意味づけを求める他者を必要とせず、対象への活 動を共感・共有し合うような人間関係の形成へとつながりにくい、⑶以上のよ うな経過をもちつつ、やがてつかんだ対象を手から放すことができるようになっ たときに、手に持ったものを正中線で合わせたり、器に入れたり、相手に渡し たりするような、二つ(「対」)を合わせる活動(定位的活動)が獲得されにく くなる。 (『障害の重い子どもの発達診断』p.58)

8ヶ月:見えない世界への興味と場所見知り・人見知りの本当の理由

イナイイナイバアで楽しめる年齢。

鏡を見せると後ろを覗く。カーテンの後ろに隠れたお母さんが出てくることを期待する。

「見えない世界」への興味があるから、子どもはつかまり立ちに挑戦する

「もっと高い世界」への探索の力が育たないまま、立ち上がるための筋緊張の強さなどからだの力がついてしまうと、つかまり立ちして無目的に腰を振りつづけるような常同行動があらわれることがあります。発達は、からだや手の機能などの「かたち」だけではなく、認識や感情の力という「なかみ」もいっしょにつくられていかなくてはならないのです。そんな発達の力のつながり力を知っていることによって、保育や教育は、子どもをまるごととらえる広い視野と見通しで、子どもの指導を考えることができます。 (白石正久『子どものねがい・子どものなやみ』p.40)

大人にもあるある。

「二分的世界」(知っているもの・知らないもの)は、人との関係にも表れ、それが発達にとってとてもたいせつな意味をもっています。大好きなおかあさんや先生ではない人は、自分にとって得体の知れない、コミュニケーションできるかどうかわからない、不安な存在なのです。鏡の裏側に見えない世界のあることがわかりはじめるように、人のなかにも、見えない、わからない世界があると感じはじめるのでしょう。激しく泣かれるのも、無理はありません。しかし、泣かれても少し冷静に子どものしぐさを観察してみましょう。その泣き顔のなかにあるのは、怖いという感情だけでしょうか。はじめて出会った人の顔を見て泣いても、なぜかもう一度その人の顔を見ようとします。すぐ、たまらなくなって顔をそらしますが、気持ちが落ち着くと、またその怖いはずの顔を見ようとします。

この「怖いもの見たさ」が、人見知りのもつ意味をよく表しています。「対の世界」のなかで揺れ動く心のはたらきが、「怖いけれども興味がある」という矛盾した心をつくり出しているのです。

このとき、不安な揺れ動く心を支えてくれるのは、子どもが安心し信頼できる大好きな人です。そんな心の支えがあることによって、対人関係ばかりではなく、物や場所の「二分的世界」を、そして、一度はあきらめてしまった這い這いをも、大好きな人の支えと励ましのもとで、のりこえていくことができるのです。大好きな人の胸のなかや膝の上が、悩める心を支える安全基地になります。 だから、おかあさんはトイレにも行けないくらい、 子どもの分離不安が強まるでしょう。

乳児期前半の世界がそうであったように、この「二分的世界」という悩み多きときを、じっくりのりこえていくことによって、きっと子どもはもう一回り大きい新しい主人公に生まれかわっていくことでしょう。おとなは、しばし子どもの自立のために、どんと胸を貸す存在になるのです。(白石正久『子どものねがい・子どものなやみ』p.)44

 

9ヶ月:生後第二の新しい発達の原動力

対の対象を同時に扱う。(操作を「2つ」おこなう)
両手に持った積み木を正中線で合わせる。「一つを保持しつつ、もう一つにも気持ちを向け、二つ同時に注意を向けて保持する」

ものを通じた第三者(母親以外の人間)との共有関係、接点の形成(「生後第二の新しい発達の原動力」→一歳半へ)
他者への不安、表情を伺う。新奇なものへの好奇心と不安。

生後9か月頃の「示性数 2 可逆操作」が獲得されると、手に持った積木を正 中線で合わせたり、打ち合わせる活動をするようになる。「チョチ・チョチ」遊 びである。この外界との二つの結び目をもった活動が展開するようになると、 正面の他者との視線や表情による交流がなされるようになっていく。両手の積木を打ち合わせてから、相手と視線を合わせ、相手の反応を確認する。そこには、 3つ目の結び目である他者との関係が形成されていく。子どもは、この3つ目の 結び目によって、他者の意図、意味づけを看取するようになっていく。

それを次のような課題で確認する。子どもの正面の机上の標準点に第1の積 木、さらに第2の積木を提示し、それへの手の到達や把握の仕方を観察する。 その際、それぞれの積木への到達や把握だけではなく、提示した検査者との視 線の交流や共感の状況を観察する。さらに、検査者も二つ (「対」)の積木を持ち、 自らの正面で「打ち合わせ」(「チョチ・チョチ」)のモデルを楽しそ うに提示してみる。

このとき、一つだけではない「もう一つ」の積木への志向があるか、さらに その志向への支持や激励を求めるような他者との視線の交流がみられるかを、 まず確認したい。そして、「チョチ・チョチ」のモデルに対して魅入るようなま なざしになり、検査者の顔と手の積木を交互に見ながら、自分の手の積木を打 ち合わせようとするかを確認する。このとき、他者の提示したモデルには他者 の意図が潜在していることを感じ取り、それに応えることへの不安が表れるこ ともあるが、母親などの特別な存在(これを「第二者」という)に応援され、 模倣をはじめるだろう。検査者は「第二者」に対して「第三者」と表現される 存在であり、そこに区別的認識が成立している。この区別的認識が、この段階 での人見知りなどの不安感情の原因となる。

さらに、「ちょうだい」と言いつつ子どもの手にしている積木に手を伸ばして みる。検査者の手に自らの積木を合わせようとするが、「ちょうだい」の意味を 理解しているわけではない。はじめは「第三者」の意図に相対することへの不 安もあって子どもは戸惑いや躊躇を見せるが、検査者が「ありがとう」と言い つつ積木を手に受け取ると、意味理解ができたことへの安堵の表情を見せつつ、 「第三者」に「渡す」ことができるようになっていく。(『障害の重い子どもの発達診断』p.58)

 

相手の手に乗せる、器に入れることを、渡す、片付けるという意味を持った活動として、子供は最初から獲得しているわけではありません。しかし、手に乗せてくれたことを「ありがとう」と言って受け止めてくれる他者の反応の中で、自然にその意味を学習し、獲得していくのです。しかし、手から離すことができたとしても、この合わせることができないと、活動に目的を与える意味づけのプロセスや、他者の心の中にある感情を認識して行くきっかけがなくなってしまうのです。(『発達相談室の窓から』p.50)

 

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