カテゴリーからも検索できます

【自己概念】の発達と言葉の発達『“わたし”の発達』岩田純一

【自己概念】の発達と言葉の発達『“わたし”の発達』岩田純一

この記事のまとめ

言葉の発達は「自己」の発達です。

“わたし”の発達―乳幼児が語る“わたし”の世界
“わたし”の発達―乳幼児が語る“わたし”の世界』岩田純一

年齢が上がるにつれて、わかること、理解できること、感じられることがどんどん増えていきます。

ひとつひとつの段階を踏んで、より複雑な、よりやわらかい、より強い生き方ができるようになります。

1歳

自分の名前

一歳も半ば近くになると、スターンのいう言語的な自己感が形成されてくる。この頃になると、じぶんの名前がじぶんにつけられたものであることが分かり、じぶんをじぶんの名前でよび始めるようになる。また、「タッチ」というように、じぶん自身の行動を叙述したり、じぶんの整理、近く、感覚や情動といった内的状態に言及するようにもなってくる。名前でじぶんを呼称し、じぶんの行為や内的状態をことばによって言及できるほど自分が対象かされてくるということでもある。まさに、ことばによって語りうる自己が形成されてくるのである鏡に映る自己像の認知がみられ、じぶんへの指差しが現れ始めるのもこの頃からである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』p.4)

1歳半ば頃になると(略)じぶんの行為を自身で叙述する、自己の名前を理解し、じぶんを名前で呼ぶといったことが可能になってくる。(略)ことばによる自己への言及によって、逆に自己性の認識がさらに明確化していくことになる。2歳頃にもなると、自己のことだけではなく、自己と他者の関係にも言及するのが見られるようになる。「ユー(自己の名前) ノ チィー(姉の名前) ノ(1:10:21)」「オートウチャン チンキチ ト ダンダ アイル(2:01:15)」(おとうさん、真吉と風呂に入る。)(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』p.20)

3歳

自意識が強くなる。歌なんか歌ってくれというと、今まではすぐ客の前で歌っていたが、「ハズカシクテショウガナクッテ。」とか
「ハズカシイカラ。」と言って歌わなくなった。

他の人と自分を比べることができる。「アツコチャンヤクラベルト 八千代ガ大キイ」*

「わたし」と言う

定型発達の子どもの場合、個人差はありますが、3歳前後くらいから一人称代名詞を使い始め、ここで述べてきた自己形成プロセスと対応したもので在ることがわかります。他方、自閉症の子どもにおいては、人称代名詞のしようが遅れたり、「わたし」と「あなた」の人称代名詞の逆転や混乱が起こりやすいことが知られています。こうした事実は、人称代名詞のしようが単に言語的ルールの問題にとどまらず、自他の関係構造の変容ならびに自己の発達がその根底にあることを示唆しています。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.52)

個人的な体験や経験エピソードが永続的な思い出として自伝的な記憶に繋がれ、あとで思い起こし、それを自分史として物語ることは3歳〜4歳の頃から可能になってくるのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.41)

自己を客体として見ることができるようになり、自分の経験を表現する手段である話し言葉が発達するに伴い、子どもは経験したことや、自分の内面の状態について語るようになる。具体的には、2歳ころには自分の意図や欲求、喜怒哀楽の感情(嬉しい、悲しいなど)について、また、3歳頃には思考や信念(…と思った、知っている、忘れた、など)について語りうるようになる。ただし、このん時期の子供が自己の経験について語るためには、子どもの語りを援助し、会話を共に構成する大人の存在が不可欠である。子供が過去の出来事について語るようになると、親は子供に出来事の5W1Hを尋ねたり、それについて親自身が考えたことや感じたことを伝えたりする。このような会話を通して子供は、自分がどのような人であるのか、という自己についての感がえ(自己概念)を形成していく。(『問いからはじめる発達心理学』p.91)。

自分の属性・社会的立場の理解

3歳も後半になると、じぶんの性別という属性にふさわしいことば遣いがなされるようになる。(略)遊びや行動のなかにも〈男の子らしさ〉〈女の子らしさ〉といわれる性差が現れてくる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.121)

多様な他者との関係性のなかで〈わたし〉の立場や役割を相対的に位置付けるようになると、それらの位置付けによって自らの振る舞いやことば遣いを変えることが始まる。園を訪れたお客さんに「こんにちは」と挨拶をしたり、「…です」「…にあります」「すみませんでした」」などと、大人ぶった丁寧なことば遣いがみられるようにもなる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.122)

この頃から、差が明らかに行動面にでてくるようです。

心拍数の性差は早くも3歳の時点で見られ、男子の心拍数は女子より1分間に6.1 回少ない。(『言ってはいけない 残酷すぎる真実 』橘 玲 p.96)

4歳

他者と対比された自己

三歳児クラスも4歳頃になると少し様子が変わってくる。それは、持ち物だけでなく、じぶんの体験や経験を他児と競い合うといった姿の出現である。とくに年中児に入ると目立ってくる。幼稚園や保育所を訪ねると、そばによってきて、たずねもしないのに「ぼく〜だよ」と、じぶんのことを話にやってくう。それを耳目にした他児も同じように、「ぼくは……」「わたしは(も)……」と対抗するかのように語ってくれる。(略)(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.52)

自分たちの体験の競い合いは、ときに嘘をついてまで他児と対抗しようとする物言いにもなる。誰かが「ぼく、ディズニーランンドに行ってきたの」と言うと、それに対抗するかのように「わたしも、きのうディズニーランド行ってきたの(実際には、昨日は保育園にきていた)」と語りきそうのである。仲間に負けたくない気持ちから嘘を言ってしまったり、必要以上にじぶんの力を誇示することもみられる。それだけ仲間との競争心や自負心から〈あなた〉と比べて〈わたし〉を物語ろうとする思いが強くなってくるのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.53)

(4歳になると)良いと悪い、生と死などといった2項が対立的に意識され、ときにそれらの対立そのものが遊びのテーマとなってもみられるのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.77)

5歳

自分語りが強くなる

年中児になると、とにかく熱心にじぶんのことを話すようになる。じぶんの語りたいことがあると、状況に関係なく話し始めるといった感じである。したがって、自分の話題を唐突に持ち出したり、また突然に話が別のことろへと飛躍してしまうといったことが 特徴的に見られる。(略)年中児同士の会話をみても、前後の脈絡を無視して急に話があちこちに飛んでしまうといったことがよくみられる。このような語りの唐突さは、年中児に特徴的なものである。年長児ではさすがにこのような語り方をすることはあまりみかけなくなる。(略)じぶんのことをひきあいに出すとしても、前後の会話文脈とのつながりを意識しながら話そうとするようになってくる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.56)

社会的な立場を理解する

年長に入ると、相手との関係性や微妙な状況の違いに応じて、自称詞を巧みに使い分けることができるようになってくるのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.124)

自分の感情がわかる

他者への感情表示の社会的ルールや、他者の感情の生成過程を概念的に捉えることは、子ども自身が対人的な関係などにおいて、じぶんの感情状態をモニタリングし、それをメタかして捉えられるようになることでもある。

◆おませな年長の女児である。じぶんの好きな子のことをこっそり教えてくれ、自分の感情を「どきどきすんねん」と真剣な顔でいう。隣のクラスの嫌いな男児の名前をあげるときには「すぐたたくから、みててイライラする」と言う。

(略)このような言及は、子供が自分の感情状態やその変化過程をメタ的に認識できる程度を示すものである。それは何も、今体験されている感情だけでは無い、じぶんが先ほどの出来事で経験した感情を思い出して回想的に捉えるといったこともみられる。お帰りの会で「〜さん遊んでくれなかったから悲しかったです」「〜くんと一緒に遊んで嬉しかったです」と、じぶんの気持ち(感情)を振り返って述べるようになる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.135)

ターウォクト(Terwogt)らによると、6歳にもなると悲しいお話を聞いても、これは本当のことではないとじぶんに言い聞かせたり、類似の経験を思い起こしたりすることによって、〈悲しい〉と感じる情動の生成過程を自己制御できるようになるという。このような内言による情動の制御機能は5〜6歳にかけて発達してくるのである。自己の情動をメタ化し、自己の情動を制御することが、たやすくは想像と現実の境界を越境させなくするのであろう。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.84)

比喩表現がわかる

喜び、悲しみ、怒りの感情状態を表す条例のような比喩文を多く作成し、ここの比喩文を子供に聞かせた後、「〜はどんな気持ちなのか」を4つの表情図(怒り、悲しみ、喜び、白紙)から選択させている。その結果、4歳から6歳にかけて正答率が増加していくことが見られた。4歳でも偶然による正答率は超えるが、比喩表現の理解が成人の成績に類似して来るのは5歳になってからである。とくに6歳になると成人の感情判断とほぼ一致して来るのが見られる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.136)

「わたしたち」の感覚が生まれる

自分がどういう人間か、何を期待されているのかという視線から行動を決めていく。

年長児に入ると、〈われわれ〉の遊び意識が強くなり、その遊びに対して〈わたし〉の責任や義務感を負うようになってくる。(略)共同で遊ぶには、わたしたちで合意したルールや約束にしたがって遊ぶことが必要である。もし、われわれの決めたルールや約束事を反故にしたり違反すれば、それは私たちの遊びを壊すことになる。したがって遊びのルールを守らない子は、「ずるいぞ」と皆から非難されたり、ときには排除されることになるのである。(略)「やめた」という表現は、遊びにおける〈われわれ〉意識の裏返しでもある。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.101)

◆年長の男児が木のブロックで家を作っている。その囲いの中で女児がうろうろしているのを見て、その男児は「みんなのいえや、てつだってぇ」「てつだわへんかったら、よせてやらんで」と言うお。女児は「へーみんなのいえ」と、男児を手伝って一緒にブロックを積み始める。

いずれのエピソードも、「みんなのものやろ」「わたしが」といった表現のなかに〈われわれ〉意識、すなわちわれわれの一員としての〈わたし〉という意識が明らかになってくることをうかがえる。そのような意識は、〈われわれ〉のことを考えながら自己の行動を制御したり、みんなにとってのじぶんを相対的に位置付けて捉え始めるようになることでもある。〈われわれ〉意識は、年長児に入るとより強くなってくる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.95)

〈われわれ〉への責任意識や義務感は、遊びだけではなく、さまざまな園生活においても見られる。ある幼稚園では、年長児にはうさぎやにわとりの飼育当番が決まっていて、当番の子供が小屋に入ってほうきで掃除をしたり、キャベツを包丁で刻んでうさぎやにわとりにやっている。当番以外の子供が小谷野囲いの中に入ろうとするが、そのたびに「入っていいですか」と、当番に了承を求めている。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.107)

また年長児になると、年長組としての〈われわれ〉意識、お兄ちゃんお姉ちゃん意識も明らかになってくる。それはお兄ちゃんお姉ちゃんとして、ルールを守らないじぶんより小さい子を注意するといった行動になって見られる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.108)

学童期

6歳では登場人物の幸せ、悲しみ、怒り、恐れという情動の原因と、それによってもたらされる結果を正確に報告しました。情動の原因と結果を正確に理解することで、どのように対処すれば効率的かを考え、情動調整の方略を取ることができるのです。(『よくわかる情動発達』p.87)

自己を物語ることによって自己への折り返しはさらに深まっていく。とくに、本格的な読み書きの習熟がみられる小学校の半ば頃にはこの脱文脈的なことばの使用によって抽象的な概念の獲得や、論理ー抽象的な思考が可能となってくる。それだけではない。そのことばが自己の内省的な分析や、自己への批評的な問いかけを可能にするのである。また、学校における仲間との多様な関係性の中で、自己を相対的に位置付け、他者(仲間や教師)の評価を鏡としながら、いくつかの人格特性をもつ存在として〈わたし〉が概念化されるよういなってくるのがみられる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』p.6)

自己卑下(9歳の危機)

能力要因の記述に限ってその内容を発達的に眺めると、劣等生に関しては、小学一年生までは学科名と具体的な要因だけであり、小学2年生になると「テスト、勉強が苦手」といった内容の記述が見られるようになる。小学も4年生になると「頭が悪い、成績が悪い」という表現が急増する。5年生以降になると「集中力、判断力、根気」といった、自己の力量について叙述するのが増加する。同じように優越感では、小学校の5年生以降になると「想像力、発想の豊かさ、独自性」といった内容に言及するようになってくる。このような自己の認識に見られる変化は、研究方法によって多少の違いがみられるものの、やはり小学校の半ば頃から高学年にかけて生じてくるように思われる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.196)

他者の心理的な特性で叙述する

自分がよく知っている誰か三人について話すように求めたが、その人物の叙述には3つのカテゴリーがみられた。1つは行動的な比較であり「ビリーはジェーンより速く走る」「彼女は我々のクラスで1番絵が上手い」のような叙述である。2つ目は「サラは大変親切である」「彼は手に負えないバカである」といった心理的な特性を叙述するものである。最後は「リンダは他の皆よりほんとうに傷つきやすい」のように、心理的な特性を比較的に叙述するタイプである。その結果、心理的な特性による叙述は7歳頃から著しく増加し始め、9歳以降からはもっとも一般的な叙述のスタイルとなる。対照的に、行動の比較による叙述は8、9歳をピークとして以降は減少して行く。また心理的な特性を他者と比較的に叙述するのは10歳以降に増加し始めるのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.197)

思春期

さらに思春期に入ると、それまでの自己の物語が親の庇護のもと、親への同一化によって作られてきたことが強く意識されてくる。そして、その借り物の自己から、本当の〈わたし〉の物語をじぶんで作っていこうとする。自己同一性への問い(自立へ向けて、不安や孤独に満ちた本当のじぶん探しへの旅)が始まるのである。本当の物語の構築へ向けて、それまでの自己の大きな語り直しが始まるのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』p.6)

コメント