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【2歳3歳】発達段階を理解して子どもに伝わる言葉を「少しだけ」選ぶ

【2歳3歳】発達段階を理解して子どもに伝わる言葉を「少しだけ」選ぶ

「ちょっと」ならがまんできる?2歳、3歳

「大きい―小さい」がわかるようになるころから、欲張りな心に変化がみられはじめま す。もちろん、友だちの遊んでいる小麦粉粘土を全部自分のものにしようとしたら、きっと 大変なケンカになることでしょう。自分の世界を守ろうとし、友だちに貸してあげられない姿、分けてあげられない姿の方が圧倒的に多いはずです。だから、「独り占めはだめ!」 「貸してあげなくちゃだめ!」などと、ついついおとなはいってしまうのです。

しかし、「大きいのはたいせつよね。だから、その小さいの、どうぞしてあげたら、○○ちゃんありがとうっていってくれるよ」などと心の交通整理をしてあげると、あんなに欲張りだっ た子どもたちが、その「ちょっと」や「ちいさいの」なら、プレゼントしてあげられるのです。ときには、おとながあいだに入らなくても、このやりとりのほほえましい姿をみることもできるでしょう。

あんなに欲張りだった一歳児ですが、二歳になると目の前の物を一つのかたまりとして みるのではなく、「たくさんとすこし」、「大きいのと小さいの」という区別した関係でと らえることができるようになっているのです。もし、ゆずれない姿が前面に出たとしても、 「大きいのじゃなくてこの小さいの、どうぞしてあげたら」といったら、子どもはもう一 度対比的な認識にたちもどって、ちょっとのがまんをすることができるようになっている はずです。もちろん、これは芽生えはじめたばかりの力であり、そして、あくまで「ちょ っと」のがまんなのですが。

少しのがまんができる力は、分け与える心だけではなく、少し待てる心にもなってくれます。すぐに食べたいと要求していたおやつでも、「みんなのお皿に、分け分けするまで待っててね」といえば、少しのがまんで食べられるという見通しがもてるゆえに、お皿に手をかけることなく、「いただきます」をともにすることができるでしょう。そして、分けてあげられたことや、待てたことが、自信になって、しだいに自分をコントロールする力が確かになっていくことでしょう。

このような「ちょっとならがまんできる」力は、まもなく「悪い自分ではない、より良い自分を選び取りたい」心として結実していきます。(白石正久『子どものねがい・子どものなやみ』p.114)

相手に届けるための言葉の選び方、というものがある。

子どもに対して「一緒に」であるとか、「一番」とか、「ねぇねぇ!」とか、(あれ?これって子どもに伝えるときの技術か?)

【心ある言葉を届けるために】佐々木圭一『伝え方が9割(2)』

たくさんと少しなどの関係でとらえる力は、対比的認識とよばれて います。対比的認識が芽生えたことによって、「少しなら我慢できる」 という自分をコントロールする力が現れ出てきたのです。しかし、この 力は、まだ芽生えのときであり、自分の世界を守ろうとする心、欲張りな心は、現実の生活のなかで圧倒的に強いのです。だから、友だちに貸 してあげられない姿、分けてあげられない姿のほうが、おとなの目に映 る時期でしょう。「○○ちゃんにも、あげたら」と言われれば、「いや!」、 「あかん!」のことばが返ってくるはずです。だから、「何で分けてあげられないの」と叱られることばかりでしょう。しかし、子どものなかには、確かにこの少しなら分けてあげられる力が育ってきているのです。

こんなとき、「何で分けてあげられないの」と言う前に、「この小さいの ひとつ、どうぞしてあげたら、○○ちゃんありがとうって言ってくれる よ」などと対比的認識の力に子どもが立ち戻れるようにしてあげましょうね。このような少しの我慢は、分け与える心だけではなく、少し待つ ことができる心にもなってくれます。すぐに食べたい食べたいと言って いたおやつでも、「先生がみんなのお皿に分け分けするまで待っててね」 と言えば、それが少しの我慢で済む見通しがもてるゆえに、お皿に手を かけることなく、いただきますをいっしょにすることができるのです。(白石正久『発達の扉(上)』p.144)

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