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2歳・3歳が感情知性EQを使うと?自己と他者の心のマネジメント能力

2歳・3歳が感情知性EQを使うと?自己と他者の心のマネジメント能力

子どもの心的世界のゆらぎと発達: 表象発達をめぐる不思議
『子どもの心的世界のゆらぎと発達』木下 孝司

この記事のまとめ

相手の心を知るチカラの発達は3段階です。

1歳でも「共感」して思いやる行動が取れますが、この頃はまだ「他者」の視点が曖昧です。

2歳になったら「共感」能力は確かにあがるのでしょう。が、言葉の発達に脳のエネルギーが取られているように思います。

3歳になると嘘を意図的につけるようになってきます。これも「相手の心」「相手の視点」がわからないとできないことです。

けれども、「他者」と「自己」を区別して、「嘘か・嘘でないか」ではなくもっと広範囲に「何を考えているのか」を考えられるようになるのは、4歳です。

6歳〜9歳の間に、さらにもう一段階、「他者の視点」のレベルがアップします。

他者の視点を持つ

他者の視点を持つには、自己と他者が別々の存在だと知らないといけないでしょう。

「心の理論」で有名な「人の目線を知る力」は共感、情動交流のために必要なものです。

他人の視線を気にして、自分が出せなくなる、という問題がはなはだ大きい子は、自分を見る視点、自分を表現する視点ももってほしいなぁとおもいますが。

他者の視点がもてないと、自分のやりかたでしか他者と関係を結べない、迷惑をかけているのに気がつかない、相手が傷ついてもわからない、ということが起きてしまいます。

このように他人の頭の中で何が進行しているかを推察する能力は、人間の最も貴重な能力のひとつ だ。神経科学者は、これを「マインドサイト」と呼ぶ。 マインドサイト(「心の理論」と呼ばれることもある)は、要約すれば、他者の頭の中をのぞいて その人の気持ちを察したり考えを推測したりする能力だ。これは正確な共感の基礎となる能力であり、 他者をどれだけ理解できるかを決定する能力だ。もちろん、他者の頭の中を文字どおり「読む」こと はできないが、表情や声や目つきからさまざまな手がかりを得てかなり正確に推論することはできる。 言動の「行間を読む」わけだ。 この感覚が欠如すると、他者を愛したり気遣ったり協力したり――まして競争したり交渉したり ――できなくなり、ごく単純な社会的関係にも円滑に対応できなくなる。マインドサイトがないと他者の感情や思考が把握できないから、モノを相手にするのと変わらない空虚な人間関係しか結べない。 これが、アスペルガー症候群や自閉症の人々の状態だ。心の眼が見えていないのである。

レベル1:1歳〜3歳

自分と他人の区別がつきはじめます。

  • 月齢一八カ月前後の幼児の額に大きなマークをつけ、鏡を見せる。多くの場合、月齢一八カ月以下 の幼児は、鏡に映った顔に手を触れようとする。一八カ月以上の幼児は、自分の額に手をやる。小さな子供は、まだ自分を認識するということを知らないのだ。社会的意識が成立するためには、自 分自身を認識し、他者と自分を区別できなくてはならない。
  • 一歳半前後の子供にクラッカーとアップルスライスなど二つの異なるスナックを与え、その子がど ちらを好むか観察する。子供の見ている前で実験者がそれぞれのスナックを食べ、実験者は子供が 好んだスナックは大嫌いで子供が好まなかったほうのスナックは大好き、ということを態度ではっ きりと示す。そのあと、子供の手を二つのスナックの中間に置いて、「わたしにひとつくれる?」 と話しかけてみる。月齢一八カ月以下の子供は、たいてい自分が好きなほうのスナックを実験者に 渡そうとする。月齢一八カ月以上の子供は、実験者が好きなほうのスナックを渡そうとする。一八 カ月以上の子供たちは、自分の好き嫌いは他人の好き嫌いとは違うのだということを理解し、他人 はかならずしも自分と同じ考えではないということを知っている。

2歳という境目

2歳は、1歳のときに芽生えた「自己」をより「自分のもの」にしていく時期です。

「悪魔のような2歳児」という言葉がありますが、「自己」というものがなんなのか、実験をしている最中で、ウハウハ期だと私はおもっえちます。

他者との境界

2歳後半の子どもたちは、自分の最初の発話を繰り返し(自己視点反応)、その際、語気を強めることがありました(「そうじゃないでしょ!」という口調に聞こえました)。あるいは、実験者側の面を覗き込んで、描かれている絵を確認する子どももいました(他者視点反応)。なかには「これ、オトト、こっちはブーブー」と実験者の間違いを諭す子までいました。自己と他者の視点が異なることを自覚して、両者のずれを何らかの形で修復しようとしていることがわかります。

一方、2歳前半の子どもたちは、というと、本人は正しく「ブーブー」と答えていたのに、実験者から「これ、オトトね」と返されると、思わず自分も「オトト」と言ったり、頷いたりすることが多かったのです。相手の言動に同調してしまう反応といえます。2才前半において、まだ自己の視点をしっかりと保持し切れていないことから、こうした同調反応を誘発していると考えられます。なお、幼児はイエス・ノー質問に対して何でも肯定する傾向がある、イエスバイアスという現象が指摘されています。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.49)

子どもがままごとをしている最中、お皿の上に砂を持って「カレーライス」などといって差し出したものを、躊躇なく平然と口に入れてしまうと言う実験。この衝撃の場面で、2歳半以降の幼児は大変驚き、あるいは抗議し、はたまた「もっと食べてー」とふざけて笑ったりと、それ相応の反応がありました。ところが、2歳前半の子供はそうした明白な驚き反応を示さず、無表情のまま、相手をじっと見たり、自分でも砂を口に入れる同調反応が観察できたというのです。砂を本当に食べてしまうという行為に驚いていないわけではなく、驚いていながらそれを自覚できておらず、相手の行為に「飲み込まれた」状態になっていると言えます。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.50)

さっきの自分はさっきの自分

たとえば、ある2歳の女児の例を示しています。その子は妹のお菓子を食べたことを父親にうれしそうに話して、こっぴどく怒られます。すぐに泣くことはなかったようですが、父親に甘えようとしてそれを拒絶されると、「もうしません」と泣きながら約束したのでした。

ところが、母親はやってくると、父親に話したのと同じように、妹のお菓子を食べたことをうれしそうに話したというのです。「何度、同じことをいったらわかるの!」と、我が子ならよりいっそう叱り飛ばしそうな場面です。(略)

この例のように極端ではないにしても、「同じ轍を踏み」まくり、あるいは逆に「今泣いたカラスがもう笑ったり」する子供の姿は日々よく出会うものです。それがとりわけ、2歳台の子どもは、自己の視点を特権的に意識していないという発達的な制約があるために、そうした自己のありようが目立つのではないでしょうか。「人格が分散して在る」状態というのは、”さっきの自己”と”今の自己”が繋がって認識されていない状態ともいえ、これは実に「いいかげん」な振る舞いを導くことになります。

当然ながら、養育者は子どもを一個の一貫した人格として扱い、”さっきのあなた”の行為は”今のあなた”が責任を負う者として注意を与えることになり、そうした働きかけが子どもに一貫した視点を持つことを促す要因の1つとなります。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.46)

心を試す

「わたし」の気持ちという不慣れなものが世界にどう影響するのか、「わたし」のこころは一体、なんなのかを、実験しながら知ろうとしています。

冷静に見ると、とも君の動きはそれだけ見ると不経済というか不合理です。身体が疲れておんぶしてほしいという要求がまさに実現しようとしているのですから、その流れに身を任せてしまえば楽なはずなのに、そうしていない。神田は、そこに子どもの要求の二重構造をみています。つまり、文字通り「おんぶしてほしい」という行為の要求とは別に、「自分の思いを受け入れてほしい」という自我の要求と呼び得るものがあると、神田氏は考えています。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.55)

レベル2:4歳〜5歳

相手の心をのぞきみる

より「遠くにいる」他者、「見えない他者」をおしはかれるようになります。

おもちゃを取られた子が腹をたてることに加え、おもちゃを取られた子の友達は、単なる同級生よりも腹をたてることを理解することができます。

  • A児とB児を連れてきて、二人の見ている前でおやつを部屋のどこかに隠す。そのあと、B児に部 屋から出ていってもらう。そして、A児の見ている前でおやつを別の隠し場所に移し、「B児が部 屋に戻ってきたら、どこを探しておやつを見つけようとするかな?」と質問する。A児が四歳なら ば、最初の隠し場所を探すと答えるはずだ。しかし、A児が三歳ならば、新しい隠し場所を探すと答える場合が多い。四歳児は、他者の知っていることは自分が知っている内容とかならずしも同じ ではない、ということがわかっている。三歳児では、まだこういうことは理解できない。
  • 三歳児と四歳児を連れてきて、「いじわるモンキー」という名の指人形を使った実験をする。実験 者は子供に二枚一組のシールを次々に見せる。一組ごとに、「いじわるモンキー」は、子供にどっ ちのシールがほしいか尋ねる。そして、毎回、「いじわるモンキー」は子供がほしいと言ったシー ルを取ってしまい、子供に違うほうのシールをあげると言う(だから「いじわるモンキー」と呼ば れる)。四歳児の場合、すぐにゲームのしくみを理解して、自分がほんとうにほしいのとは反対の シールをほしいと言うようになる――そして、首尾よく自分のほしいシールを手に入れる。三歳児 の多くは「いじわるモンキー」のいじわるな意図が理解できず、いつまでも正直に答えつづけて、 ほしいシールを手に入れることができない。

マインドサイトをもつためには、自分を他者と区別できる、他者がかならずしも自分と同じように 現実を知覚したり理解したりするとは限らないことを理解する、他者の意図は自分にとってつねに最 善とは限らないことを理解する、などの基礎的能力が備わっていなければならない。

幼児は成長過程で―とくに三歳から四歳にかけて――こうした社会的能力を身につけていき、や がて大人と同程度に正確な共感能力を発揮できるようになる。これをもって、幼児期の天真爛漫が一 部消滅する。子供は、自分の頭の中にあることと現実に起こることとを明確に区別できるようにな るのである。年を重ねるにつれて心理的・認知的能力は高度化するとしても、基本的には、この時期までに身についた共感能力が一生の基礎となる。 (『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.207)

公平さを理解する

心の理論の成績というのは、第三者の状況で物事を考えられる。自分と他者とは違った視点を持っているかを調べる実験でわかります。

「サリーとアンの課題」と呼ばれています。

あの人とこのひとは、別の気持ち、目線を持っていることが、きちんとわかるようになるらしいです。

「3つの山の課題」私からみえていない、他の人とも共有される世界を「言葉」ではなせる。他者の視点を、自分の「ことばで」説明する。

幼児を対象にした2人ぺアの実験で、受け取り側の場合は、心の理論の成績に関係なく、不公平な提案を拒否したが、自分があげる側の場合は、誤信念課題に正答した子どもは公平な配分を提案したのに対して、誤答の子どもは自分が多くなるような配分を提案したという。(『問いからはじめる発達心理学』p.103)

4歳までに学んでおきたいこと

4歳になると新しい段階に入ります。

発達した前頭葉を使って、より「他者をおしはかる」能力が試されます。

体も大きくなってゆきます。もし、この段階までに「自分の情動マネジメントで精一杯」だと、「他者をおしはかる」余裕はなくなりそうです。

1歳半から3歳ごろは、自我が芽生え、自分の要求を通そうとする時期です。したがって、自分の要求が満たされないことが原因で、養育者や他の子供とトラブルになり、叩いたり、押すなどの攻撃的な行動で怒りや不満を発散させることが多いのです。大人が、言葉で伝えることを教えて聞くことで、4、5歳ごろから攻撃的な行動ではなく自分の情動を言葉で伝え、社会に受け入れられる情動調整の方略を身につけることになります。(『よくわかる情動発達』p.87)

3歳になるともう言葉をだばーっと学ぶ時期です。

言葉が使えるようになった分だけ、言葉を使って情動をマネジメントすることを学びます。

例えば筆者が行った調査では、おもちゃを母親が片付ける場面で、2歳のときには泣いて抵抗した子供が、3歳半になると、母親が「時間になったから片付けるね」といったことに対して「なんで?」と質問をしたり、「何時になったら貸してくれるの?」と交渉するようになっていました。このように、要求を泣きで表す代わりに、相手と言葉で交渉することで、不快な状態を引き起こしす原因を有効に取り除く可能性が高くなります。(『よくわかる情動発達』p.87)

レベル3:6歳〜9歳

二次の心の理論とは?

6歳から9歳で二次の心の理論の発達

「Aさんはこう思っている」一次。二次になると「Aさんは、Bさんがこう思っていると思っている」がわかる。誰がどこまでルールを知っているか、それによってAさんの判断・行為も変わってくることがわかる。『子どもは善悪をどのように理解するのか?』長谷川真里

6〜7歳の子どもは(略)日常生活では、例えば嬉しくないプレゼントをもらった時でも、がっかりした感情を出さずに笑顔で応対すべき場合がある。このように相手の感情を傷つけないように社会的慣習にしたがって表情を示すことを表出ルール(sidplay rule)と呼び、2次の心の理論との関連が報告されている、。同様に、がっかりしているのに「ありがとう。嬉しいよ」などということを悪意のない嘘(white lie)と呼ぶが、これも2次の心の理論と関係することが知られている。(『問いからはじめる発達心理学』p.102)

6歳になると、お友達の前では喜びは表すけれども、怒りや悲しみの表情は見せないと、意識の上でも考える子供が半数を超えるようになります。(『よくわかる情動発達』p.123)

2歳・3歳が感情知性EQを使うと?【共感と慰め】【やさしい嘘】

この記事のまとめ

EQは「慰めるチカラ」です。

EQは「おもいやるチカラ」です。

共感とは?

人は一人ではいきていけない。自分が大切だとおもう人が悲しんでいたらどうするだろうか?大切な人が苦しんでいたら?ある人は「飲みに行こうよ」と誘うかもしれない。ある人は話を聞いてあげるだろう。共感があってこその慰め、元気付け、励ましだ。

このスキルも、共感され、慰められ、励まされた経験、情動を調節することを誰かに手伝ってもらった経験がなければ、習得することができないだろう。

二歳あたりからは他人の感情と自分の感情は別だということがわかり、他人の本当の感情を読みとる手がかりを敏感に察知するようになる。その結果、たとえば泣いている子のプライドを考えて その子に余計な注目が集まらないようそっとしておいてやる、などといった気配りができるよう になる。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.168)

2歳で使えるEQ(1)

「運動模倣」は、二歳半あたりで幼児の行動レパートリーから消える。このくらいの年齢になる と他人の痛みは自分の痛みとはちがうことがわかり、また、他人を慰める方法も上手になる。あ る母親の日記から典型的な例を拾ってみよう。

お隣りの赤ちゃんが泣きだした……。ジェニーは近寄っていって、赤ちゃんにクッキーをあ げようとした。ジェニーはずっと赤ちゃんの後をついてまわり、自分に向かって何かブツブ ツ不平を言っている。それから今度は赤ちゃんの頭をなでてやろうとするが、むこうは嫌が って離れようとする……。赤ちゃんはもう泣きやんでいるのに、ジェニーはまだ心配顔。いつまでもおもちゃを持ってきてやったり頭や肩をなでてやったりしている。

発達のこの段階で、幼児の感受性に個人差が出はじめる。ジェニーのように他人の気持ちの乱 れに鋭敏に気づく子がいる一方で、全く気づかない子も出てくる。アメリカ国立精神衛生研究所 のマリアン・ラートケ ヤロウとキャロリン・ツァーン = ワクスラーがおこなった一連の研究に よって、他人に対する共感的関心の差はかなりの部分で親のしつけと関係あることがわかった。 「ごらんなさい。あなたのせいであの子がどんなに悲しい思いをしたか!」というように、子供 の不適切な行為が他人におよぼした苦痛に目を向けさせる叱り方をする家庭のほうが、「お行儀 の悪い子ね」という叱り方をする家庭よりも共感面で関心の高い子供が育つ傾向が大きいとい う。また、子供は他人が困っているときに周囲の大人がどう反応するかを見て共感を学習していくこともわかった。見たことを模倣しながら、子供たちは共感のレパートリー、とくに困ってい る人に手をさしのべる感受性を育てていくのだ。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.158)

2歳で使えるEQ(2)

五歳のレンは、もうがまんできなかった。二歳半になる弟のジェイが、さっきからレゴをこわ してばかりいるのだ。頭にきたレンはジェイにかみつき、ジェイが泣きだす。泣き声を聞きつけ た母親があわてて走ってきてレンを叱り、けんかのもとになったレゴを片付けるよう命令した。 そこで今度はレンが泣きだした。こんな叱られ方は不当だと感じたのだ。けれども怒りのおさまらない母親は、レンの機嫌をとってやらない。

そこへ思わぬところから慰めの手が差しのべられた。弟のジェイだ。もともとやられたのはジ ェイのほうだが、お兄ちゃんが泣いているのを見て心配になり、慰めにかかったのである。ジェ イの奮闘はこんな具合だ。 「ねえ、レン。泣くの、やめなよ。ねえ、やめなよォ」

レンは泣きやまない。直接言ってもだめなので、ジェイは母親の力を借りることにした。「マ マ、レン泣いてる! 泣いてるの。見て。ね、レン泣いてるでしょ?」 ・そして兄のほうに向きなおり、母親のようなしぐさで泣いている兄の背中をトントンたたきな がら、やさしく言いきかせる。「ほら、レン。いつまでも泣いてちゃ、だめでちゅよ」。

それでも、レンのすすり泣きは止まらない。そこでジェイは作戦を変え、「レン、ぼくお片付 けしてあげるよ。ね?」と愛想のいい声をかけながらレゴを袋に放りこみはじめた。

レンの涙は、まだ止まらない。ジェイはさらなる手を考えた。こんどはレイの気をそらす作戦 だ。兄のところへおもちゃの自動車を持って行き、さっきの悲しい出来事から兄の意識を引き離 そうとする。「ねえ、この中、だれかいるよ。これ、だれ?ねえ、レン、これ、だれ?」

レンは相手にしない。レンの悲しみは慰めようがないらしい。いらいらしてきた母親は、古典 的な脅しに出る。「お尻ペンペンしましょうか?」 レンは身を震わせながら「いやだ」と答え「じゃあ、泣くのをやめなさい」。母親は怒りを抑えてピシッと言う。 レンはしゃくりあげながら「やめようとしてる……」と哀れな声をしぼり出す。 それを聞いていたジェイが最後の手を思いついた。母親のきびしい口調を真似て、こう言った のだ。「泣くの、やめなさい、レン。お尻ペンペンしまちゅよ!」

このミニドラマは、わずか二歳半の幼児が他人の気持ちを操縦するためにどれだけ高等な情動 技術を応用できるかを見せてくれる。泣いている兄を慰めようとしてジェイが繰りだした手は、 単純に訴えかけることから始まって、母親に助力を頼む(うまくいかなかったが)、相手のから だにさわって慰める、手伝いを申し出る、気をそらせようとする、脅す、直接命令をする、など じつに多岐にわたっている。もちろん、ジェイは自分自身が泣いたときに周囲の人間から慰めら れた経験を思い出していろいろやってみただけだ。それで構わない。大切なのは、こんなに幼い ときからこれだけの方法が応用できるという点だ。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.173)

3歳:思いやりと嘘

この記事のまとめ

EQは「嘘をつくチカラ」です。

嘘をつくことはいいことです。嘘をつくことで人間関係が円滑になります。「いらんことは喋らない」というのは、大人のエチケットもいえ、「正直者が馬鹿を見る」世の中かもしれません。うまく世の中を立ち回るために、嘘のつき方を、子どもに伝えていきたいものです。

私たちは表出ルールをごく幼い頃から身につける。場合によっては、はっきりと教えられて身 につける。たとえば、おじいさんから届いたバースデー・プレゼントが善意ではあるけれど子供 の大嫌いなものだったような場合、私たちは子供に「がっかりした顔を見せてはいけません。に っこり笑ってありがとうを言いなさい」と教える。表出ルールは、こうして教育されるのだ。し かし実際には、表出ルールはモデリングによって学習される場合が多い。子供は、他人の行動を 観察してルールをおぼえるのだ。情操の教育において、情動は媒体であると同時にメッセージでもある。子供に「にっこり笑ってありがとうを言いなさい」と教える親の口調が厳しく冷淡であ ったなら、子供は全然ちがう受けとめ方をして、おじいさんに向かって不機嫌な顔でぶっきらぼ うに「ありがとう」と言うかもしれない。結果は大きくちがってくる。最初の例では、おじいさ んは(誤解にもとづくものではあるが)幸せな気分になる。あとの例では、おじいさんの心は混 乱したメッセージに傷つく。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.177)

自分の言葉が相手に与えるインパクトの大きさを学ぶ、といってもいいでしょう。

 

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