【0歳からの情動調律】信頼する身体をつくる
受止めたことを、伝える。
お母さんと赤ちゃんはへその緒で繋がっていました。
足りない養分、酸素、をくれるのはお母さんです。
お腹の中から出てきた赤ちゃんは、まだまだお母さんとつながっています。お腹の中で赤ちゃんはお母さんに合図を送っていました。というか、必要なものが回ってくるようなしくみになっていたのですが。。。
生まれてからは、合図をお母さんが読み取って、必要なものを回してあげるしくみをつくります。子どもにとって必要なものの一つが「情動」です。
「情動」とはなんなのかを、「情動調律」を通じて赤ちゃんは学びます。
喜ばしい情動は、笑いあって受止め合って感じるものだと。
不安や悲しみ、怒りの情動は受け止められ、和らいでいくものだと。子供は学んでいきます。
そして情動を受けたり、あげたりすること自体が、身体が共感している状態だといえるのです。
双子とその母親は当時コーネル大学医学部の精神科医であったダニエル・スターンの研究に参加し、詳細な観察をうけた。スターンは親子のあいだでくりかえされる何気ない交流に非常に興 味をもっている。人間の情動の最も基本的な部分はこうした親密な交流の時間に形成されると考 えるからだ。なかでも決定的に重要なのは子供自身が「自分の感情は共感をもって受けとめられ ている、自分は受けいれられ相手にしてもらっている」とわかる「情動調律」のプロセスだ、と スターンは述べている。双子の母親は、マークとのあいだでは情動調律を得られたが、フレッド とはうまくいかなかった。親と子のあいだで数知れずくりかえされる情動調律(あるいはその失 敗)が、成人後の親しい人間関係に期待する情動の形を決めていく、その影響力はたぶん子供時 代のどんなドラマチックな出来事よりも強いだろう、とスターンは力説している。 情動調律は親子関係のリズムの一部として無意識的におこなわれる。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.160)
笑う。泣く。音を出す。踊る。
共感は人間の本能であって、癒し、人間関係のために必要な身体的、無意識の能力です。
同調は理屈なしに喜びを感じさせるものであり、集団が大きければ大きいほど喜びも大きい。ダン スやマスゲームが世界じゅうで愛されている所以である。スタジアムの観客席を一周する「ウェー ブ」も、大集団による同調の喜びを表現している。
このような作用は、人間の神経系に生まれつき備わっているらしい。子宮の中にいる胎児でさえ、 人間の話すリズムに同調した動きを見せる (人間の話し声以外の音に対しては、そうした反応は見ら れない)。一歳児の喃語も、そのタイミングや長さは母親の喋るリズムに同調している。赤ちゃんと 母親のあいだであろうと、初対面の人間どうしであろうと、そうした同調は「聞いていますよ、どう ぞ続けてください」というメッセージなのだ。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.55)
情動調律(共感)の2段階
1:相手の情動を感じて、感じ取ったことが伝わる(言語・非言語)
いい情動でも、悪い情動でも、「今の私の状態をわかってくれた」と相手が思えるようになったら、次の段階で送る自分の情動に、相手が「調律」する下準備ができます。
表情や、声の色、姿勢といったもの、身体的なものが、相手に伝わります。
母親からの調律的反応が自分の情動状態の映し出し、じぶんの情動状態を折り返す鏡として捉えられるようになるのは、スターンの主観的な自己が形成され始める7〜9ヶ月頃からであることがうかがえる。母親の情動調律を介して、自己の情動の意味を可視化する、まさに他者を鏡として自己を折り返す原初的な始まりである。同じ頃に3項関係が成立してくるのである。(略)以下のエピソードは、スターンが間主観的な情動の交流としてあげたものである。
生後9ヶ月になる女の子が、あるおもちゃにとても興奮し、それをつかもうとする。それを手にすると、その子は“アー!”という喜びの声をあげ、母親の方を見る。母親もその子を見返し、肩をすくめて、ゴーゴーダンサーのように上半身を大きく振ってみせる。その体の動きは、娘が“アー!”と言っている間だけ続くが、同じくらい強烈な興奮と喜びに満ちている。
いずれの事例においても、母親が子どもの内的な状態を感じ取り、それと対応したような反応を返し、子どもの側も母親によるじぶんの情動の共有を感じ取っていくといった間主観的な交流の様子が見られる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』p.23)
子どもが片言を話し始める1歳頃には、この映し出しが、しだいに言葉によってなされるようになる。(略)母親は、赤ちゃんの痛い体験を見て即座に「痛かったね」、喜んでいるような興奮したしぐさを示すときには「うれしいのね」と、ことばをかける。赤ん坊の気持ち(情動)をことばによって代弁してあげるのである。とくに、多語表現が出現し始める1歳半ば頃になると、それまでとは大きく変化してくるようである。先の青木らの研究においても、母親の発声、身振り、表情といった様式による情動調律は減少し、(略)母親の言葉を通して、自己の情動が映し出されるようになるのである。そのような母親のことばによる映し出しによって、自己の内的な感覚や情動体験に、“痛い”、“うれしい”といった形が与えられることになる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』p.25)
2:心がくたびれる情動なら、安心できる情動を送ってあげる。
不安や怒り、悲しみに対して、表情を変えたり、声のトーンを変えたり、あやしてあげたり、自分の情動を相手に伝える段階です。
スターンは母親と赤ちゃんの様子を長時間ビデオに録画し、それにもとづいて親子間の情動調律を微細かつ正確に研究し た。スターンの観察によれば、母親は情動調律の行為を通じて「あなたの感じていることをお母 さんも感じているのよ」と赤ちゃんに伝えている。たとえば赤ちゃんがうれしそうな声をあげる と、母親は赤ちゃんをやさしく揺すったり何かささやいたり赤ちゃんに合わせて高い声を出した りして、赤ちゃんのうれしい気持ちを確認し肯定してやる。あるいは赤ちゃんがガラガラを振る と、母親は赤ちゃんのからだをガラガラと同じリズムで小さく揺すって応えてやる。このような 交流においては、子供の興奮レベルに母親が合わせてやることが肯定のメッセージになってい る。ささやかな情動調律の積み重ねが、母親と情緒的につながっているという安心感を赤ちゃん に与える。スターンの観察によると、赤ちゃんと向きあうとき、母親はだいたい一分間に一回の 割合でこうしたメッセージを送っている。
情動調律は模倣とはちがう。「単純に赤ちゃんの模倣をするとしたら、それは赤ちゃんの行為 を理解したというだけで、情動を理解したことにはなりません。赤ちゃんが感じていることを母 親も感じ取っているのだというメッセージを伝えるには、赤ちゃんの内面の情動を別の形で再生 してみせることが大切です。そうすれば、赤ちゃんは自分のことを理解してもらえたとわかるわ けです」と、スターンが語っている。(『EQ こころの知能指数』ダニエル・ゴールマン p.160)
0歳からの情動調律
母親が赤ちゃんを抱いている場面を想像してほしい。母親が上下のくちびるを軽く合わせて、愛情 あふれるキスのしぐさを見せる。それを見た赤ちゃんは、なにやらまじめな表情でくちびるをすぼめ る。母親のくちびるが左右に広がってかすかな笑みを見せる。赤ちゃんはすぼめていた口もとをゆるめ、 いまにも笑いだしそうな顔を見せる。そして、母親と赤ちゃんは一緒に笑顔になっていく。赤ちゃんは満面の笑みを浮かべ、頭を横へ上へ、うれしそうに動かす。 この一連のやりとりは、わずか三秒足らずのできごとだ。多くのことが起こったわけではないが、 はっきりとしたコミュニケーションがおこなわれたのは確かだ。こうした初歩的なコミュニケーショ ンは、「原初的会話」と呼ばれる。人間のあらゆる相互作用のなかでも原初的なもの、最も基礎的な コミュニケーションの形だ。
原初的会話においても、オシレーターが働いている。微細に分析してみると、赤ちゃんと母親はコ ミュニケーションの始まり、終わり、途中のポーズなどでぴたりとタイミングを合わせ、リズムを揃 えていることがわかる。お互いが相手のタイミングに合わせて自分の動作を調節しているのだ。
こうした「会話」は非言語的コミュニケーションで、言葉は単に効果音として使われて いるだけだ。 赤ちゃんとの原初的会話は、眼差し、感触、声の調子によっておこなわれる。メッセージは笑顔や喃 語、そして母親の側からは「あやし言葉」を使って伝えられる。
あやし言葉は言葉というよりむしろ歌に近く、強勢と抑揚のついた声調が特徴的な話し方で、中国 語を話す母親であろうと、ウルドゥー語を話す母親であろうと、あるいは英語であろうと、文化の違 いを越えてほぼ同じような響きをもっている。あやし言葉はどの国でもやさしく楽しげな響きで、声 は高く(三○○ヘルツ前後)、フレーズは短く、はつらつとして、高低の変化が大きい。
母親はあやし言葉を口にすると同時に、リズムをつけて赤ちゃんを軽くたたいたりさすったりする 動作をくりかえす場合が多い。母親の顔や頭の動きは手や声の動きと同調していて、赤ちゃんのほう も笑顔や喃語で応え、あごやくちびるや舌の動きと両手の動きを同調させる。母親と赤ちゃんのこう したやりとりはほんの数秒、ときには千分の数秒の瞬間的なもので、母子とも同じ気分(ふつうは満 足な気分)になったところで終わる。母親と赤ちゃんは、心拍数が一分間に約九○のゆったりした同 調状態にはいる。
こうした理解は、ビデオに録画した母子のやりとりを莫大な時間をかけて検証するという骨の折れ る作業の末に得られたものだ。研究をおこなったのはエジンバラ大学のコルウィン・トリヴァーゼン だ。この研究によって、トリヴァーゼンは原初的会話の分野で世界的権威となった。トリヴァーゼン は原初的会話を、二人の人間が「ひとつの拍子に乗って和声と対位法でメロディーを生み出す」作業 である、と説明している。
しかし、メロディーを生み出すだけでなく、二人は感情という主題に沿ってある種の対話をしてい る。母親の手の感触と声によって、赤ちゃんは愛されているというメッセージを受け取る。その結果、 トリヴァーゼンが言うように、「その場で、言葉にならない、概念ももたないラポール」が生まれる。 のである。
こうした合図のやりとりによって母親と赤ちゃんのあいだに結びつきが形成され、その結果、赤ち ゃんは喜んで興奮したり、落ち着いておとなしくなったり、あるいは怒って泣いたりする。原初的会 話がうまくいっている場合は、母親と赤ちゃんは明るい気分で気持ちが通じあっている。しかし、母 親か赤ちゃんのどちらかが会話にうまく応じられないと、結果は大きく違ってくる。たとえば、母親 のほうが赤ちゃんにあまり注意を向けていなかったり対応がおざなりだったりすると、赤ちゃんは関 心をなくしてしまう。母親の対応するタイミングがまずいと、赤ちゃんは困惑した表情になり、その あと不快感を表わす。赤ちゃんのほうが反応しないと、母親は腹を立てる。
母子のコミュニケーションは人間関係の個人教授のようなもので、原初的会話によって赤ちゃんは 他者とのつきあい方を初めて習うことになる。人間は、言葉による表現を身につける以前に、心でど う寄り添うかを学ぶのだ。原初的会話は人間にとって一生の基礎となる対人関係の原型であり、この ときに学んだ感覚にもとづいて他者とのきずなを育てていくことになる。赤ちゃんのころに習得した 同調能力が、一生を通じてあらゆる社会的相互関係を結ぶ際の指針となるのだ。
赤ちゃんのころの原初的会話において感情が主題であったように、大人になってからのコミュニケ ーション においても感情は基本でありつづける。感情にかかわる非言語的会話は、他のすべての人間 関係を支える基礎であり、あらゆる相互関係における隠れた前提なのだ。(『SQ 生きかたの知能指数』ダニエル ゴールマン p.60)
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