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マインドフルネスでコミュニケーションする:相手の学びの回路を開く

マインドフルネスでコミュニケーションする:相手の学びの回路を開く

マインドフルネスストレス低減法

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しかし、人間には、考え、意識し、人に影響を与えるといった能力があります。ですから、私たちは自分の無意識や深くしみこんだ習性を超えた対処法をいくらでも考えることができるはずです。では、そういった人間関係の対処法にはいったいどんなものがあるのかを考えてみましょう。ただし、その場合でも、自分が無意識のうちに受け身になっていたり、攻撃的な反応を示しているということに気づいていなければ、対処法は考えようもないのです。なぜなら、人間関係とは反応するものではなく,対処するもの、だからです。

人間関係の基本は、『結びつき』にあります。コミュニケーションというのは、お互いの見方を交換しあい、一緒に新しい見方を見つける、ということです。ですから、一方的に力で圧倒するのではなく、もっと、関係自体を信じる」という態度も人間の結びつきを強めていくうえでは重要です。まず、その関係に対して生じてくる自分の感情を意識することができるようになれば、コミュニケーションを行うことに不安や脅威を感じたりすることはなくなるはずです。たとえ脅威とか怒りなどを感じたとしても、コミュニケーションに意識を集中することができれば、人間関係を大幅に改善していくことができるのです。

コミュニケーションという言葉には、4人びとの絆を通じてエネルギーが行き来する。という意 味があります。また、お互いに一つになり、結びつき、分かちあうという意味も含まれていま す。つまり、コミュニケーションとは、「心を一つにする、ということなのです。これは、必ずし も、お互いに合意するということではありません。状況を全体としてとらえ、お互いの考え方を理 解するということなのです。 「自分の感情や自分の考え方だけにとらわれていると、本当の意味でのコミュニケーションはでき ません。私たちは、とかく自分と違う見方をする人を嫌い、同じ見方をする人だけとつきあおうと する傾向があります。それで、まったく正反対の見方をする人に対してストレスを感じてしまうの です。そして、ひとたび相手に脅威を感じると、敵・味方という基準で一線を画してしまい、敵対 的な人間関係を作りだしてしまうことになります。これではコミュニケーションができるはずはあ りません。

このように、自分の許容範囲を限定してしまうと、私たちや私たちの考え方”といった全 体的な視野から相手を見ることができなくなってしまいます。しかし、お互いの考え方を広げ、全 体性という視点を忘れずに相手の考え方をすすんで理解しようとするなら、心の中の狭い境界線が とっぱらわれて、新しい可能性が生まれてくるのです。どちらか一方だけでも全体性という視点を もつようになれば、衝突を回避し、和解を見いだす新しい可能性が生まれてきます。 調和のとれたコミュニケーションの必要性という点では、国家や政府、政党といった大規模な集

団であっても、個人であっても同じです。ひと昔前は敵どうしだったアメリカとドイツ・日本、あ るいはアメリカとロシアも、今では密接な協力関係にあります。それは、それぞれの国家が自国の 利益だけを追求するのではなく、全体性という枠組みで世界をとらえようとしているからなので す。

攻撃的エネルギーを親和に変える―合気道による訓練

ストレス・クリニックでは、適切なコミュニケーションの能力を養うために、ジョージ・レオナ ルドの提唱する、合気道”の技術をとり入れています。

これは、二人一組で体を使いながら、相手とのパートナーシップを作る意識を高め、恐怖感やス トレスの生じる状況に対して、反応するのではなく対処することを身につける練習です。授業の中 では、実際にいくつかの状況を設定し、それぞれの状況で二人の人間関係がどのような形で現れる か、そしてその関係を客観的に観察し、当事者としてはどんなふうに感じるか、といったことを話 しあっていきます。

合気道というのは、肉体的な攻撃を受けるという状況のもとで、自分の重心を定めて、落ちつきを保ち、やみくもに向かってくる攻撃者の不安定なエネルギーを利用して、自分も相手も傷つけずに、そのエネルギーを消滅させるという柔術です。そのためには、自分から攻撃者に近づき、一番危険の大きい位置を避けつつ、相手の真ん前に立ち、相手と接触するのです。

相手と接触する

①状況を作るのは、必ず攻撃側、つまり立ち向かってきて、ストレスを生じさせる人間です。攻撃者は、相手の肩を狙って、腕を真っすぐ前に伸ばすようにします。 授業では、攻撃者が向かってきたときに、それを受けるほうは床に横たわり、「何をされてもかまいません。私が悪いんですから」、あるいは「やめてください。私のせいじゃないんです。誰かほかの人がやったんです」と言うシナリオから始めます。組になった二人が順番に両方の役を演じ たあとで、どんなふうに思ったかを話しあいます。

こういう状況は、どちらの立場に立っても嫌な気分になるものですが、現実社会でもよくある状況です。家庭などで、自分の受動的な行為に対して、同じような嫌な気分を味わうようなことが誰 にでもあることと思います。

かわす

② 次のシナリオは、攻撃者の腕が肩に触れる寸前に、できるだけ速く身をかわすというもので す。すると、攻撃者の手は、こちらの体のすぐそばを空をきってかすめていきます。この場合、攻 撃者はなぐるつもりでいたのに、それができなかったため、不満足な気分を味わいます。反対に体 をかわしたほうは、「してやったり」という気分になります。 このように、一人が接触しようとしてきても、相手はなんとかしてそれをかわそうとする、というケースは現実社会でもよく見かけることです。どんな場合にしても、攻撃的、あるいは受け身と いうように、役割が習性となってしみついてしまうと、両者の関係はお互いにとって非常につらい ものになります。それは、接触やコミュニケーションが成りたたない関係になってしまっているか らです。こういう関係は寂しく、つまらないものです。しかし、実生活の中では、最も身近にいる 人間に対しても、こういう関係しか作れない人がたくさんいるのも確かです。

抵抗する、踏ん張る。

③次のシナリオは、攻撃に対して逃げるのではなく、向かっていく、つまり足をふんばって抵抗するという方法です。これは、二人で向きあってお互いに押しあいながら、より緊張した状況を作 るために「正しいのは私だ、あなたはまちがっている」と言いあいをします。そして終わったら、 呼吸を整え、目を閉じて、自分の体と思念に注意を向けます。

これをやってみた人は、口をそろえて「一方が受け身に徹する場合よりもずっと気分がいい」と 言います。なぜなら、この場合には、少なくとも肉体的な接触があり、力を出しきって闘うという ことで、それなりに爽快感をもたらすからです。

お互いにぶつかりあうと、少なくとも晴れ晴れとした気分を味わうことができるものです。しかし、同時にむなしさも生みだします。両方とも自分が正しいと思っているわけですから、自分の主張を相手におしつけようとします。それでいて、ぶつかりあったところで相手が見方を変えないだろうということもわかっているのです。こうなると、永久に闘い続けるか、どちらかが関係をこわさないため、といって、うわべでの屈服をするしか方法がなくなってしまうのです。そして、「人生とはこういうものだ」と自分を納得させてしまいます。 

しかし、このような人間関係は、日常生活の中のあらゆる関係に影響していくとともに、肉体的にも精神的にもかなり疲労をもたらすものです。そして、自分自身や人間関係に対する見方もどん どん狭まっていってしまいます。したがって、闘い続けるという関係の作り方は、決して理想的な コミュニケーションとはいえない、ということになります。

コミュニケーションする

④最後のシナリオは、合気道では《融合》 と呼ばれているものです。これは、これまでご説明し てきた方法とはまったく対極に位置するストレス対処の方法です。この場合の基本は、自分の内 部をおだやかで落ちついた状態にして、意識と注意力を保つ、ということにあります。

自分の心のバランスを保ちながら、攻撃者である相手がストレス要因である、と意識してください。その状況の中で恐怖感があったとしても、その恐怖感に左右されることなく、呼吸に注意を集中し、状況全体を観察します。

そして、攻撃者のすこし横に向かって歩み寄り、相手が伸ばしてきた手首をつかみます。手首を つかむと同時に、横に一歩踏みこんで相手の体に接触します。このような位置どりは、「その場の 状況に積極的に参加している」という意思表示になります。このとき、攻撃者を力でコントロール しようとしてはいけません。手首をつかんだまま相手と同じ方向に向きを変え、手首を通じて相手 のエネルギーに融合するのです。 二人は同じ方向を向いて、同じものを見ていることになります。融合しながら、ぴったりと相手の体に触れ、相手の動きに合わせて方向を変えたり、動いたりします。これは、相手と同じ視野 でものごとを見て、相手を受け入れようとしている』ということを伝える意思表示になります。つ まり、攻撃者を尊重はしているが、恐れてはいないこと、そして、攻撃のエネルギーを自分に向け てほしくないと思っていることを伝えているわけです。この瞬間に、相手の意思には関係なく、あ なたは敵ではなく仲間になるのです。 (『マインドフルネスストレス低減法』J.カバトッジン p.241)

J.カバトッジさんの「融合」体験

昔、私の直属の上司だった人の話をご紹介しましょう。

彼は、顔に笑みを浮かべながら「この大バカものが!」とどなるようなタイプの人間でした。彼 が敵意をむきだしにするので、まともな職場関係を作れず、それが私にとって大きなストレスに なっていました。しかし、そのうちに、私は、上司が自分で敵対的な関係を作りだしていることに まったく気づいていない、ということがわかってきました。

ある日、彼はいつものように私に対して笑いながら、ひどい言い方をしてきました。私は、今日 こそ自分の気持ちを訴えなければいけないと決心し、丁寧に、そして感情をおさえながら、「あなたがものを言うたびに私が落ちこんでいることに、あなたは気がついているのですか」と尋ねました。そして、私がどう感じているかということを話し、「私には、あなたが私を嫌っていて、私のやった仕事も気に入らないとしか思えないのです」と言いました。ところが、彼の答に私はびっくりしてしてしまいました。彼は、「君の名前を呼び捨てにしたり、君にそんな思いをさせていたなんて気づかなかった」と言うのです。この話しあいの結果、私たちの職場関係は大幅に改善され、おかげでストレスもかからなくなりました。これは、私が彼に反抗して、「今までの仕返しをしてやろう」などとは考えないで、彼の攻撃に融合しようとしたために、お互いに理解しあえる関係になれたのだと思うのです。

”融合”という方法には、相手が次にどんな行動にでるか、あるいは自分がそれにどう対応していくか予測がつかないわけですから、明らかにある種のリスクがともないます。しかし、落ちつきと受容力をもって、全体性とバランスを意識しながら、一つひとつの瞬間に注意を集中することができれば、必要に応じていつでも新しい、より良い解決策が浮かんでくるようになるはずです。そのためには、自分の感情を意識して、それを受け入れると同時に、相手を認め、相手の感情も共有するようにしていかなければなりません。敵対関係の中で、どちらか一方でもこういう姿勢をとることができれば、相手がそれを望まない場合であっても、関係全体を変えていくことができるのです。このように、自分の中のおだやかな落ちつきを失わないようにしながら、自分の見方を変えることによって、単に反応したり、力でおさえつけたりするよりも、ずっと関係をコントロールしやすくなるのです。

対人関係のストレスがたまる状況の中で、瞑想によってもたらされる忍耐力、知恵、自信は大きな役割をはたしてくれます。あなたが落ちついていて、自信にあふれていれば、人は力でおさえこもうとはしてこないはずです。

ほかの人の要求や考え方に対して、否定したり、議論したり、闘ったり、抵抗したり、善悪をつけたりということをしないで、静かに耳を傾けることができれば、相手も自分が受け入れられ、話を真剣に聞いてくれていると感じます。これは誰にとっても気分の良いものです。そして、相手も真剣にあなたの話を聞こうとするようになります。たとえ相手が敵対的な感情をもっていたとしても、すぐに感情的なわだかまりは解けるでしょう。このように、お互いの心が通じあい、考え方の違いを認めあい、心を通じあわせるような姿勢をもつことによって、本当のコミュニケーションを行うチャンスはますます広がっていくのです。 (『マインドフルネスストレス低減法』J.カバトッジン p.247)

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