時間認識の広げる自己イメージ『“わたし”の発達』岩田純一
この記事のまとめ
時間感覚の発達と共に、「自己」は成長します。
『“わたし”の発達―乳幼児が語る“わたし”の世界』岩田純一
昨日と明日の私は違うでしょうか。同じでしょうか。変わるのでしょうか。
私はどんな遠い過去、未来のことを考えることができるでしょうか。
前頭葉が発達するにしたがって、「自己」の姿がどんどん広がっていきます。
2歳
過去に遡る
過去に遡って、今の自分の状態、過去の自分の状態を説明することができます。
なぜそうなったのか、どうしたらいいんだろうか、といった話をすることができる年齢です。
また、2、3歳ごろから、子供は今の情動状態になった原因を理解し、表現しはじめます。たとえばブレザートンは、2歳4ヶ月の子供が「暗い。こわい」「私抱っこした。赤ちゃん喜んだの」と言ったことを報告しています。(『よくわかる情動発達』p.87)
2歳を過ぎると、現在自分が感じている情動だけではなく、過去に感じた自分の情動についても話すようになります。2歳半のある子どもは、日中に母親と離れて違う部屋で遊ばなければならなかったことを、夜寝る前に母親に「あのとき、さみしかったの」と話しました。このように、自分の情動を言葉にすることで、周囲の大人は、子どもの情動をよく理解でき、それだけ共感することも可能となります。(『情動発達』p.86)
鏡像の自己認識が出現するのに少し遅れて、2歳前後の頃にはI, You, meといった人称代名詞が子どもの発話にみられ始めるようになる。そして、この頃には多語表現が一般的になってくる。そのことは、我が国のデータでもほぼ同じである。したがって、2歳頃から子どもは、それほど遠くない過去の自伝的な記憶を語り始めるようになるのである。(略)うまく質問していくと、最も年少の2歳半ば頃の子どもでも3ヶ月以前の遠い過去に遡って体験のエピソードを思い出すことがみられたという。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.39)
3歳
手助けをもらいながら、自己を、言葉を学ぶ。
一日の報告ができる。「キョウ ママゴトシテネ ミイチャント オ庭デ遊ンデ マックロクシテネ オウチハイッテキテネ「オ姉チャンフイテ」ッテフイテモラッタンダ」*
未来や過去のことをはなす。「ぼくきのう、泥んこやったんだっあ。そいで今日もやったの!泥んこ面白かった。だから、また明日もやるんだぁ!」
「あっちゃん、きょうお休み。病気になっちゃったの。おなかが痛い痛いだって……。」「こんどこんどって、いつのことだよ。ほんとに!」
「だめ、のぶちゃんこれからあそぶの。だって大きいお山、つくるとこだったの!」「ママ、ぼくのこときらいになったの?だからおこったの?」**
3歳ころにもなると、体験の記憶を自分からなんとか想起して語ろうとするようにもなってくる。その際、子どもの想起を励まし、引き出すような母親のかかわりが重要なものになってくる。子どもの早期に耳を傾け、それにコメントし、とおきに誘導的に問いかける。そのような共同想起のなかで、子どもの体験が記憶として引き出され、母親からその体験の意味づけを受けながら、じぶんの自伝的な記憶として構成されていくのである。(略)親による導きのもとに、自らの体験が意味づけられ、そこで経験するじぶんの感情や情動が対象かされて行くのである。そのなかで子どもは、どのような状況でどのように感じるべきか、それをいかに表現するべきかということを学んでいくことにもなる。このように養育者は、子どもがエピソード経験を自伝的な記憶として構造化していくのに重要な役割をになうのである。過去の経験をめぐる会話のなかで、養育者は「いつ、どこで、誰と、何を……」「どうして〜なの?」「どう思ったの?」と、子供の体験記憶の細目を構造化するように問い詰める。母親は、まだひとりでは十分い想起し物語れない子どものために足場作りをするのである。そのような母親の問い詰めをくぐるなかで、子供は記憶を辿ることの意義や、経験する出来事のどんなことを、いかに記憶すればよいのか、またそれをどのように物語るべきかの形式を学んでいくのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.47)
この時期のひとつの話題を深く語るほど、言語能力は上がる。過去の共同経験を詳細に想起させる手がかりを質問形式で次々と子どもに与え、子供からの早期がない場合にもなんとか早期を促す工夫をするといった母親と、同じような質問を繰り返すだけであり、子供から反応がない時も、単に同じ質問を繰り返し、早期を前に進めないような無駄な質問をする、あきらめて話題を変えてしまうといったタイプの母親もいる。(p.49)
未来を語る
3、4歳頃には、過去の出来事だけでなく、こうありたい、こうあるだろう先の自己を語り始めるようになってくるのである。ある4歳間近な女児が、「きょう、〜ちゃんの家に遊びに行くでしょ」と、降園後に遊びに行く約束をしている男児に話しかけている。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.137)
4歳
時間の中の自己
知らない間にシールを貼られている映像を見た子どもがシールを取るかどうか、という実験にパスする子どもが多くなる年齢です。
4〜5歳児は、じぶん自身の映った数分前の映像をみれば自信を持って頭に手を伸ばしてステッカーを取ろうとするのである。4歳頃には大多数の子供がこの遅延・自己認識テストをパスするようになることがわかった。(略)子どもは時間的なパースペクティブのもとに、過ぎ去って行く自己の経験や体験を生活史の流れのなかに時系列的に関連づけ、繋ぎ止めていくことがしだいに可能になってくるのである。だからこそ数分前の映像ではためらいなく手を伸ばすが、1週間も前の映像の際には手を伸ばそうとしなくなるのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.42)
状況を説明する
木製の線路を長くつないで汽車を走らせていたのに仲間からそれを外されて「先生、〜くんぼくの線路こわさはんねん(6月末の年中児)」と保育者に訴えに行ったり、仲間のいざこざの始終をみていた子どもが保育者にその経緯や事情を言いつけにやってくるのも年中児になって目立つようになる。また下例のエピソードのように、保育者に尋ねられて他児のことを注進するといったことも4歳頃には見られるようになる。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.60)
根に持つ
ここまでくると本当に人間くさくなってきます。
4歳に入ると、相手との過去の関係を根にもつことがよりはっきりとうかがえるようになる。(略)K児が線路に列者をつないで一人で遊んでいる。そこへT児が一緒に加わろうとするが入れてもらえず、傍のまだ使っていない列車を借りようとするがそれも拒否される。「みんなのものや」と抗議しながらも、仕方なく少し離れたところで線路をつないで列車を手で走らせている。しばらくして、そこへ先ほどのK児が、必要になった機関車の部分を「かして」とやってきたのである。T児は「イヤ、ぼくもかしたやらん」とKに向かって言う。しばらく押し問答が続き、結局はひとつだけ貸すという結末で落ち着いた。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.62)
プランを立てる
あれをやって、これをやって、次にこれをやる・・・という指示が簡単なら、4歳くらいでもできるでしょう。
ただ「トイレ行ってから、部屋で怪獣で遊んで、砂場に行ってけんけんぱー」といった脈絡のないタスクができるようになるのは、もうすこし大きくなってからです。
自発的なプランの立案やその遂行能力は5歳頃に急激に育ってくるが、自分のプランを自覚化させるような支援的な促しがあれば、3、4歳児でも先の目標を心に問えつつ、じぶんの行動を遂行・調整していけるのである。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.144)
未来をつくる
従来の諸研究を眺めると、4、5歳頃から目先の誘惑に耐える工夫をしながら待つことができるようになってくる。トンプソンらの研究でも、3歳ではまだ難しいとしても、4歳頃から5歳にかけて、先の大きい満足を見越しながらの未来志向的な遅延行動が可能になってくるという。(『〈わたし〉の発達ー乳児が語る〈わたし〉の世界』岩田純一 p.142)
明日も僕は、僕なのかな
ありえない世界をことばを介して他者と楽しむ世界に足を踏み入れた子どもは、「自分は何者か」といったことへの関心・理解も深まり始めます。(略)上山の言葉でいう自我に目覚め始めたヤヒロは、それを共有しているはずの他者からの思いがけない反応によって「ボクは他ならぬボクである」という確信にゆらぎを感じたのかもしれません。そして、現実における自分の存在を親しい他者にしっかりと認めてもらう確認作業が必要だったのかもしれません。
そして、この頃の子供達は、自分を時系列の中に位置付けようと「昨日」「今日」「明日」はもちろん。「昔」「おとなになったら」などということばを用いて話をします。(略)筆者がある幼稚園で七夕の願い事をしらべた時、燃焼時ではクリスマスと同様にほしいおもちゃなどが書かれていいたのに対し、年長児になると具体的で現実的な内容になっていたことを思い出します。(『子どもの心的世界のゆらぎと発達』p.159)
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